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てくてく上海歴史散歩
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  ■てくてく★宋三姉妹の足跡をたどろう  
  映画「宋家の三姉妹」のキャッチにも用いられた「ひとりは金を愛し、ひとりは権力を愛し、ひとりは国を愛した」という言葉で象徴される宋家三姉妹。彼女たちは上海で生まれ、上海で多くの時間を過ごしたため、その住居などが多く残されている。富豪に生まれ激動の歴史を歩んだ三姉妹の歴史を散歩で振り返ってみよう。  
  結婚するならやっぱり英雄!  
 
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1)東平路9号上海音楽学院付属小学、中学9号楼(1927年建造)
2)襄陽路311号
3)瑞金二路118号瑞金賓館1号楼(1917年建造、旧モリス邸)
宋美齢邸

末娘の宋美齢(1987〜2003)は「権力を愛した」で表される人物である。アメリカ留学経験のある彼女は1927年に蒋介石と結婚し、その英語力をもって中華民国のファーストレディーとしてスポークスマン兼ロビイストとして活躍した。結局はトップに立ったから「権力を愛し」となったが、この結婚を裏で画策したと言われる長女靄齢のもくろみから言えば、金融系は自分が、政治系は孫文と結婚した次女慶齢がつながりを持っているからあとは軍とのつながりが欲しい、ということで軍人である蒋介石を選んだだけであろう。蒋介石が大成してなければ「力を愛し」とでもなっていたかもしれない。ともあれ「非英雄不嫁」との信条を持っていた美齢の目に蒋介石は英雄として映り、アメリカ時代からの恋人を棄てて結婚に走ったのである。マジェスティックホテル(現梅龍鎮伊勢丹一体にあった)での挙式の後、彼らは・の襄陽路の邸宅に住んだが、手狭に感じたため宋子文が探し出してきた・の愛廬に移った。・の瑞金賓館1号楼にも滞在したことがあるが、これは青幇の黄金栄が宋美齢の誕生日に送った物であるという噂もある。
 
  理想を生き、夢と結婚した次女  
 
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1)3)淮海中路1843号(1920年初建造、1948年より1963年まで居住)
2)桃江路46号
宋慶齢邸

「国を愛した」で表される宋慶齢(1893〜1981)は1915年に25才以上年上の孫文(1866〜1925)と結婚した。家族は大反対、理解を示したのは「やっぱり英雄よね!」がモットーの妹美齢のみだった。アメリカ留学中の1912年には「20世紀における最も偉大なる出来事」という辛亥革命に関するレポートを書いていたと言う彼女の中で孫文は英雄であっただろうし、孫文の秘書になり見事ゴールインを果たしたときは万々歳だったことだろう。孫文の死後、誰もが孫文の遺志という物を模索するなか、彼女の選んだ「孫文の遺志」は連ソ容共路線。「ソ連はやばい」という蒋介石とは路線が異なる上、性格的にも気に食わなかったようで一生手をつなぐことはなかった。晩年は児童福祉などにも力を入れ、死後中華人民共和国名誉主席の称号を贈られた。
宋慶齢は孫文死後も2人で暮らした香山路の家に住んでいたが、1937年からは・の桃江路の家に移り、1948年春からは・・の淮海路に移転、1963年に北京に居を遷すまでここに住んだ。・・は1981年からは宋慶齢博物館として公開されている。
 
  中国革命の父と言えばやっぱり彼  
 
孫文邸

1895年から辛亥革命まで何度も行なわれた反清起義の相次ぐ失敗にもめげず頑張り続けた偉大なる楽観主義者孫文(1866〜1925)と宋慶齢夫婦が住んだ家。邸内の家具などは宋慶齢の記憶によって再現されている。1924年5月にここで行なわれた孫文の臨時大総統三周年記念集会は毛沢東が準備、参加している。孫文の誕生日(11/12)と逝去記念日(3/12)にはたくさんの花が飾られる。

香山路7号 孫文家(1918年から1924年まで居住)
カントリー風花園住宅

 
  長女がいれば宋家も安泰  
 
 
宋靄齢家

山西一の金持ちと言われるの孔子の子孫でアメリカ留学経験のある孔祥煕(1880〜1967)と結婚した長女宋靄齢(1889〜1973)は「金を愛した」と評される人。小さい頃から父の仕事をそばで見ながら現実的に育った彼女は「宋家」を仕切る役割を確実に果たして行った。現在この住宅は「書香門弟」というお茶屋となっている。

永嘉路383号(1926年建造)
混合式花園住宅
  宋家は三姉妹だけじゃありません  
 
1)岳陽路145号(1935年頃建造 オランダ式花園住宅)
2)東平路11号(1921年建造 1920年代居住 オランダ風花園住宅)
宋子文邸

ハーバードで経済を学んだ宋家の長男宋子文(1894〜1971)は中華民国の財政部長などを務め、関税自主権の改革、税制改革、中央銀行の創設、全国の貨幣の統一などを行なった人物。上海にはいくつかの住居を持っていた。三姉妹に隠れて宋家の男性陣は影が薄いようだが結構頑張っている。・は現在老幹部大学で見学は不可。・はバー、Sasha'sとして営業中。外壁の色は時々変わるようだ。
 
  お父さんも行動力満点  
 
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宋公館 万国公墓

海南島に生まれ幼少時にアメリカに渡り、牧師として中国に帰国した宋三姉妹の父、チャーリー宋は、聖書印刷などで富を築いた。孫文の革命事業に共鳴して支援した彼には実は三姉妹の他に3名の男子もいる。1918年より居住した・には高い壁が設けられているが、隣りにある教会「懐恩堂」からは緑の屋根を持つ建物が望める。・の宋慶齢陵圓には宋家父母の他、宋慶齢も埋葬されている。

1)陝西北路369号(1918年より居住、花園式住宅)
2)宋園路21号 宋慶齢陵園
 
  旧フランス租界を歩こう  
 
宋家関連の建築のほとんどを含んでいるのが旧フランス租界、ゆったりとした庭付き住宅も数多く残っていて歴史散歩にはぴったりのエリアだ。オススメは旧フランス租界の真ん中を突っ切るように走る復興路。昔誰が住んだとも知れない洒落た家を眺めながら歩き、香山路の孫文故居などをアクセントに加えれば、結構充実の歴史散歩になるだろう。その他エリアで密かにすすめたいのが瑞金二路にある瑞金医院、敷地内に年代物の建物が残っていたりする。それから復興中路1363号にある「プラムブロッサムアパートメント(裏にはアリスアパートメント1906、プレートにはクレメントアパートメントと記載が・・・)」フレンチスタイルが美しい。
 
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