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上海国際映画祭
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■WALKERで「上海キネマの窓」連載中
2005年上海映画の現状
低迷する上海映画産業の課題とは
上海は中国映画の生誕地であり、多くの映画人と映画ファンを育てて来た都市だ。今年は、中国映画100周年記念として30年代、40年代を代表する映画「小城之春」「魯迅」「白求恩」などをリメイクした作品が上映される予定だ。しかし日進月歩で進み行く映画事業の歴史の中では過去の盛事を懐かしむだけでは足りない。上海の加速する経済発展の影で映画の足取りはひどく悠慢だ。
張安慶
● まず中国映画の最近の動向をお話しいただけませんか?
中国映画は今、国際化、商業化、多元化の道を進んでいます。外国の映画展、映画祭はてはオスカー賞に参加することもすでに珍しいことではありません。国際的な映画界で賞を獲得して名をあげることが中国映画発展の一種の方法であり手段となっているといえるでしょう。陳凱歌(チェン・カイコー)、張芸謀(チャン・イーモウ)から最近の賈樟柯(ジャ・ジャンクー)まで、みな海外で賞を得て帰国する、いわゆる「庭で咲いた花が庭の外で香る」という具合です。
映画自身の商業的な特質としてチケットの売上を追究することを目的とするというものがありますが、中国映画もだんだんとそのように変化してきて大衆に迎合したチケットの売上を重視するものとなって来ています。映画の種類も古代や現代、未来、農村や都市といった多様な題材を選択しているという点でも、ドキュメンタリー、ストーリー、アニメなどといった形態の点でも、ずいぶんと多様化したことが見て取れます。欧米にはまだ追いついていませんが、農民一辺倒だった時期と比べれば大きな変化です。これらのことから今の中国映画は国際的な舞台への道を歩んでおり、以前と様相を異にしているということが説明できます。
● では上海映画はその中でどのような作品を発表していますか?
中国映画の全体的な発展に比べ、上海の映画業界の栄光は再度ならず、低迷と老残の身をさらしています。上海の高度経済成長と文化的なムードが釣り合っていないからでしょう。
では問題の病原はどこにあるのでしょう?監督と体制です。特に監督は映画興行の発展の中で決定的な力を持っています。
1984年の「一個和八個」「黄土地」という2本の時代のシンボルともなる映画から中国は第5代監督の時代に入りました。残念ながらこのように現在世界の映画の舞台で異彩を放っている大監督たちは1人も上海からでていません。これらの代表作はすべて西安や広西の電影制片厰といった上海からは遠い地区で作られています。上海のように年功序列や固有の思想に縛られずに、独立した個性とスタイルを培ってきたからです。上海の監督は高齢化しており、若い監督には腕を振るう機会がありません。かつて上海は中国映画を支える3本の足の1本の役割を担っていましたが、(あと2本は長春電影制片厰、北京電影制片厰)現在では映画産業は低迷しています。今後どうなるのか判断することは難しいでしょう。
● しかし上海の映画市場は活発なのではないですか?上海戯劇学院などもありますし・・・
映画のビジュアル効果を重視するのが現代中国映画の傾向
そうです。しかしそこからは最近優秀なリーダー的な人物が出ていません。老監督はもうハイテクノロジーを使ったものや画面のつかみ方において、思ったようなものを表現するのに能力がついてかない状況です。現在の中国の名監督、張芸謀、陳凱歌、侯咏(ホウ・ヨン)はもともと美術光学か撮影を専攻した人物です。彼らが成功したのはこういったことを良く把握しているからで、決して偶然ではないのです。
最近の俳優は中央戯劇学院と北京戯劇学院出身の人物が多いようです。上海映画は昔から世襲の傾向にあります。父親が監督で子供がその仕事を受け継ぐという状況では個人の能力とまわりの体制に限界があります。上海映画の成果が最近かんばしくないことの原因はこれかも知れません。
しかし上海をバックグラウンドにして撮られた作品は多くなっています。テーマとする都市としては、おそらく上海が最も適しているのでしょう。
● 日本映画がかつて中国に与えた影響は大きいものですが、張先生はどのようにお考えですか?
映画だけではなくてテレビドラマもそうですね。往年の映画「君よ、憤怒の河を渉れ」「望郷・サンダカン八番娼館」、ドラマ「赤い疑惑」などは中国のある世代の人々に深い印象を残しました。西洋の名著「紅と黒」「戦争と平和」などに比べ文化的背景が近い日本映画が中国の映画ファンに特別な親近感をもたらしたのです。山口百恵や高倉健は当時の中国では国民的なアイドルでした。
日本の監督たちも映画を通して中国の映画人に深い影響を与えました。張芸謀は黒澤明の「羅生門」で映画に対する見方を変えましたし、小津安二郎、溝口健一が描いた庶民たちの生活は中国のドキュメンタリー発展の牽引役を幾ばくか果たしました。
● 最近韓国映画が上海でブームを生み出しています。香港台湾との合作もだんだん増えてきましたね。
中国の映画ファンの数は明らかに世界一です。文化的なものと属する地域との関係上、上海の映画ファンはアジア地域の映画作品を容易く見ることができるからです。若い世代には映画は世界を知るための重要な手がかりです。文学に比べて視覚的で具体的であることが好まれています。だから文学や雑誌もビジュアルで見せるようになり始めました。
韓国、日本の優秀な映画はすでに上海で固定的な映画ファンを生み出しています。最近台湾の政治家連戦、宋楚瑜が大陸を訪問しましたが、映画文化の上でも今後より緊密な交流と協力がはかられるだろうと信じています。
● 映画は張先生にとってどのような意味を持つものですか?
映画は映画館に行って観るものです。周囲のムードも映画を見るという行為の中で重要な部分を占めるものです。私は他の人が見ると長くて退屈だと感じるような戦争映画と芸術作品を偏愛しています。
好きな男優は高倉健です。彼が映画の中で創りだす剛毅さは男として目標でもあります(笑)。このように不幸に遭遇しても自分の信念を持って歩いていくという精神は私に大きな感動をもたらしました。
● 最後に上海映画の低迷についてご意見をいただけませんか?
昨年の上海国際映画祭で審査員大賞の「茉莉花開」、主演の章子怡(チャン・ツィイー)が1人で親子3役を演じた
まず若い世代の映画製作者を育てるような体制を整えていくのが焦眉の課題です。次に市場をさらにヒューマンに、映画観客をさらに細かく区分することが必要です。例えば専門の芸術映画館を造って非商業的な映画の発展を促したり、年齢によって映画のレベルを分けたりして、さらに良い環境とムードを持った映画市場を創りださねばなりません。
映画館を多くの人に慕われるような社交場にして、みんなが映画を見ることを楽しめる状況を作り上げて欲しいですね。
上海映画100年の歩み
1896年
8月11日 上海の徐園「又一村」(今の天潼路814弄35支弄)で「西洋影戯」が上映された。これが中国で初めて上映された映画である。
1908年
スペイン商人ラモスが上海の乍浦路口にトタン板でつくったテントが上海で、そして中国で初めての正式な映画館である(のちに乍浦路388号虹口文化娯楽庁となる。現在はすでに撤去)。
1913年
亜細亜影戯公司が「難夫難妻」を撮影、中国で初めてのショートストーリー映画となる。
1921年
中国影戯研究所が「閻瑞生」を撮影、中国初の長編ストーリー映画。
1922年
3月 明星影片股
公司設立。中国映画史上最も長期間経営を続け、最も社会に影響を与えた私営映画会社である。
1923年
明星公司の社会問題をテーマとした映画「孤児救祖記」を発表。中国で初の商業と芸術の上で大きな成果を上げた国産映画である。
1926年
8月14日から9月14日まで「映画ヒロイン投票」で明星公司の張織雲がトップに。「電影皇后」の称号を獲得する。これも中国映画史上初の映画ヒロイン投票である。
1928年
3月 明星公司の「歌女紅牡丹」を発表。中国初のトーキー。
1932年
『電声日報』が行なった「電影皇帝」投票で聯華影業公司の男優金焔奪が当選。
1933年
『明星日報』の行なった「電影皇后」投票で胡蝶が多数票を得て当選。
1933年
リニューアルした大光明大戯院が勇壮な建築と豪華で整った設備で「極東第一影院」と称される。
1934年
聯華影業公司の「漁光曲」の上海金城大戯院での初上映が大きな成功を収める。当時の上海は60余年ぶりの猛暑であったが、連続上映84日で集客数の記録を作る。この映画は1935年モスクワ国際映画祭で栄誉賞を獲得し、中国で初めて国際的な賞を得た作品となった。
1934年
聯華影業公司のモノクロ無声映画「神女」が中国無声映画で最も芸術的に優れた作品の代表となる。
1935年
人気女優の阮玲玉が睡眠薬自殺をして大騒ぎとなる。享年25才。
1937年
戦争が始まり上海の映画に影響を与える。一部は香港に拠点を映し、後の映画の都香港を生み出すこととなる。他の一部は武漢に移り抗戦を宣伝する中堅の力となった。
1947年
昆崙影業公司の「一江春水向東流」が上海映画の芸術上での里程標となる。映画は3ヶ月連続で上映され、70万人以上を動員、国産映画の記録を作る。
1948年
費穆監督の「小城之春」が中国映画芸術を代表する作品に。同年梅蘭芳が初めてのカラー映画「生死恨」の主演をつとめる。
1953年
上海電影制片厰が中華人民共和国初のカラー戯曲芸術映画「梁山伯與祝英台」を出品。チャップリンにより「中国のロミオとジュリエット」と評された非凡な作品。
1962年
万籟鳴監督による中国初のカラー長編アニメーション「大閙天宮」。この映画はロンドン国際映画祭で優秀映画賞を獲得、「アニメーション映画の真の傑作」「中国の伝統芸術を完璧に表現」と評された。中国の水墨画風のアニメーションと武侠映画がともに世界の市場に進出した。
1981年
上海電影制片厰の撮影したストーリー映画「喜盈門」が2年間上映され、1.7億人を動員、新中国の映画市場の記録を塗り替える。この大都市上海から生まれた映画が長い間中国農民映画の唯一の代表作となった。
1986年
謝晋監督が文革を舞台にした作品「芙蓉鎮」を撮影、特定年代の中国人の生活と心を描いた。
1994年
中影公司と外商が合作して10本の人気作を買い入れ、そのうちの1本「逃亡者」を上海で初上映、続けて中国の各都 市で上映した。
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