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第85回
雑賀家史記 陳祖恩
雑賀健の家族写真
2007年3月、大阪から来た雑賀健氏が、黄浦江岸にある旧日本領事館を再訪した。実はここは彼の生誕の地。落ち着いた色合いの赤レンガの建物は生れた時と同じとはいえ、歳月が流れ、昔日の面影は薄れている。だが、雑賀氏は、当時のことを鮮明に記憶しているという。
雑賀健氏の父親、雑賀利三氏は外交官で、1932年7月から上海日本領事館外交書記生を務め、1935年11月にアサという女性と神戸で結婚した。新婚旅行を終えると、上海総領事館宿舎で新婚生活をはじめた。当時、利三氏は28歳、妻アサは23歳だった。1936年12月、長男の健が領事館宿舎で誕生した。
開戦後、父はカナダのバンクーバー総領事館へと異動になる。翌年10月、同地にて次男が誕生。さらに利三氏は米国ニューヨーク総領事館に異動になったため、一家でニューヨークへと移住。しかし、1941年12月8日、戦争が勃発し、米国にいる日本人は監禁されることになった。12月30日、米国 国務院の指示に基づき、外交官は1ヶ所のホテルに、その他の日本人は各地の収容所に移送された。 日米協定に基づき、1942年8月に、監禁された日本人はようやく帰国の途に着いた。
1942年10月、利三氏は再び上海総領事館への赴任が決定。1943年3月、健氏と弟は母と共に上海をおとずれ、虹口の公平路で生活を始めた。4月1日、健氏は上海第九国民学校に入学。1学期修了後、長春路にあるアパートに引っ越すことになったため、第一国民学校(元北部小学)に転校した。
当時の長春路一帯は、居留邦人の高級住宅街で、健氏が住んだアパートも、約50戸の日本人家族が住んでおり、そのほとんどが、商社の社員や公務員だったという。
1944年から1945年にかけて、日本では頻繁に空襲があり、各地で食料が欠乏し、都会の国民学校の生徒たちはバラバラに農村へと疎開した。だが、上海の日本国民学校では、こうした憂いもなく、食べ物はもちろん、日常生活に不便を感じることは全くなかった。雑賀健氏の記憶では、上海で空襲警報を聞き、防空壕に避難した経験は何度かあるものの、実際には一度も空襲に遭わなかったという。唯一体験した爆撃は、1945年の終戦前夜のこと。「第一国民学校の正門に面している四川北路で、米軍機が爆弾を一つ投下して、地面に直径5メートルくらいの大きな穴が開いたんです。 噂では、正門のインド人の門番が亡くなり、路面電車のレールも爆発で曲がったそうで、とても怖かったですね」と当時を振り返る。
1945年、終戦。中国政府の居留邦人返還政策に基づき、上海の居留邦人は虹口の指定された区画に集められ、中国の保甲制度によって管理されることになった。 保甲制度とは警防のための隣組制度で、戸毎に戸長を決め、十戸を甲、十甲を保、保の上に区を設けて編成したものだ。雑賀一家も長 春路のアパートを出て、狄思威路求志里にある佐藤基という友人宅に移り、「上海日僑第一区北26保10甲4戸」に編入した。その頃は引越しの手伝いを探すのも大変な時期だったが、幸いにも利三氏の同郷で、第一陸戦部隊の大尉軍医が、彼の部下たちに指示をし、家財道具を求志里に運んでくれた。 「この頃の日本人は勢力が弱く、もし引越し途中に荷物を悪い人に奪われてしまっても、抵抗できなかったでしょうね」と雑賀氏は当時を振り返る。ゆえに雑賀家は手伝ってくれた投降兵たちに今でもとても感謝しているのだという。
1946年3月、利三氏は過労のため逝去。享年わずか38歳だった。「父親を火葬したあと、遺灰は家の仏壇に安置しました。その後、子供と女だけの家庭はリスクが大きい、と日僑管理処が優先的に帰国できるよう手配してくれたのです。今でも母が大事にとってある、帰国の時につけていた腕章から、私達は興業坊大隊第一隊第七班に配属されていたことが分かります。携帯許可が出た荷物はほとんどなく、一家で柳行李が2つ、掛け布団と敷布団が2組、リュックは1人1つまで、腕時計が1つでした」。
この当時、雑賀健氏はまだ国民学校3年生だったが、父の形見の腕時計を身につけていた。ちょうど父の2周忌の出来事で、速やかに家財を整理し、二人の幼い子供をつれて帰国するのは、まだ33歳だった母親にとって、精神的にも体力的にも相当な負担で、限界ギリギリだったという。
帰国後の生活を心配した、居留邦人たちは、それぞれ知恵を絞り、制限されつつも金銭価値のあるものを持ち帰ろうとした。ある女性は金塊を細かく砕いて髪の毛の中に隠し、ある人は貴重品を新聞紙でくるみ、近くのゴミ箱の中に隠した。だがこうした行為のほとんどは発見されてしまい、小組全員 の帰国が延期される羽目になってしまったという。
雑賀健氏は日本に帰国してから、50年後再び上海を訪問、ゆかりの場所を訪れ、子供時代の思い出探しを楽しんだ。
 
  陳祖恩  
  東華大学人文学院教授/上海社会科学院歴史研究所研究員。
1994年から上海の日本人居留者たちの研究を始める。著書に《明治時代の上海日本人居留民》《上海日本居留民の子弟教育》《日本僑民在上海(写真集と共著)》などがある。