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第84回
新城新蔵 陳祖恩
自然科学研究所の科学研究員たち
1931年4月1日にオープンした上海自然科学研究所(当時の上海、日本人社会で最高の科学研究機構)。その初代所長には、東京帝国大学名誉教授 であり、医学博士の横手千代之助が代行した。二代目所長の座に就いたのが、著名な天文学者、新城新蔵(1873−1938)である。
福島県若松の酒造に生まれた新城新蔵は、京都大学総長を務めたことがある。1935年2月、新蔵は「中国の土になる」という意気込みの下、上海自然科学研究所所長に就任。彼は所内に中国語教室を設け、「60歳にして生徒たるや」と、率先して中国語を学び始めた。研究所は中国に設立しているのであり、研究者は中国で生活をするのだから、中国語学習は必須だと考えたのである。さらに、中国人の研究者、事務員は全て日本への留学経験があり、日本語のレベルは殆ど問題なかったが、新城自らが教鞭をとり、中国人の用務員や、庭師、運転手などに日本語を教えもした。元京都大学の総長が熱心に中国の労働者に日本語を教えてくれるという状況に、研究者達はとても感銘を受けたという。「新城所長は、(摂氏)30度を超える酷暑でも、きちっとネクタイを締め、絶えず吹き出す汗を拭きながら、『さいた さいた 桜が さいた』と何度も繰り返して日本語を教えてらっしゃいました」。
同年4月から、研究所は毎月学術講演会を開き、関係者以外の外国人も喜んで迎えた。講演では一般聴衆にも理解できるように中国語の通訳を用意。さらに虹口地区から来る聴衆のために、内山書店と実業百貨店を臨時停留所にした送迎バスも走らせた。第一回講演は、新城新蔵自らが『自然科学と陰陽五行説』を題材に講演し、350人余りの聴衆が集った。講演終了後、科学愛好家達のために研究所を開放し、標本などを見学できるように配慮した。
新城新蔵の指揮の下、研究所は、「親睦を深め、心身と意志を鍛え、福利増強すること」をモットーに、倶楽部と共存会を設立。倶楽部は所長が会長を兼任し、会員の中から3人の理事を選出した。運営資金は会員が出し合い、各部の予算は予算審査委員会を開いて決定。 更に運動部、学芸部、娯楽部、慶吊(慶弔)部が創られた。共存会は、所内の同僚達が経済面で援助しあう機関として設立。会員は毎月給与の一部を共済基金として納め、窮地に陥った会員の援助にあてた。また、個々の素養を高めるために「進徳会」を設立し、年に数回、講師を招いて講習を実施。 衛生関連のコンサルティングとして保健委員会も設けられ、怪我や急病者の応急処置が出来るように診察室もつくられた。
1937年4月1日、肇家浜対 岸に、上海中山医院と上海医学院が開院した。開院式は中国医学会第四回年会と合同で執り行われたため、多数の中国人学者が招かれ、参席した。新城は、これは中国の学者たちと交流するいいチャンスだとばかりに、式典2日目に茶話会を開き、年会に出席した中国人学者630人を招待した。歓迎の言葉を述べ、生物学科の冨田軍二を中心にした、動物生理学研究室が撮影した映画『動物の体色変化とその機能』を放映。また、参席者に各研究室を自由に見学させるなどし、各方面から好評を得た。
1936年春、研究所は敷地内に鉄筋コンクリートの三階建ての宿舎を建立し、それまで市内各地に散らばっていた所員とその家族を住まわせた。新築の宿舎は当時の高級マンションと同じように洋風のデザインで、ガスや洗面所が完備され、家具も全てそろっていた。所員が一ヶ所に住むようになったことで、それまで通勤に使われていたバスは子弟の通学専用にされた。この当時はフランス租界内に日本人学校がなく、子弟たちは虹口まで通っていたのである。運転手は日本語研修を受けた中国人で、毎日学校の教室に子供達を迎えに行っては、流暢な日本語で帰宅を促していた。
1937年の「8.13淞滬戦争」が起こると、研究所は新城の指揮の下、フランス租界内という地理的条件を活かして科学研究を続行。日本軍との交渉の結果、文化保護委員会も設立した。8月27日、タキシードを身にまとい、勲一等瑞宝章を着けた新城が、研究所員に対し「現在、戦火が中国の書物を次々に焼き、学校を破壊し、数 多くの中国の友人達の財産も焼却処分されている。この中国文化壊滅の時期にあって、我々は自分の研究のことだけ考えていていいのだろうか。我々は今、何をすべきだろうか。破壊された学校や研究機関にあった文献は、私達の研究所で保管し、終戦後に友人達に返そうじゃないか」と話したという。
1938年8月1日、新城新蔵は過労により南京にて死去。1941年1月に元東京大学医学部の伊藤秀三教授が三代目所長に就任するまで、その所長の座は約2年半空いたままだった。
 
  陳祖恩  
  東華大学人文学院教授/上海社会科学院歴史研究所研究員。
1994年から上海の日本人居留者たちの研究を始める。著書に《明治時代の上海日本人居留民》《上海日本居留民の子弟教育》《日本僑民在上海(写真集と共著)》などがある。