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第82回
日本の商売人の宣伝活動 陳祖恩
上海藤本商店の広告
居留邦人が上海で商売を始めたのは1868年で、1870年代に入った頃から盛んになっていった。当時の上海で は、広告技術の発展していた西洋文化が溶け込んでいたものの、中国人が行う宣伝活動の殆どは、大小の白紙に宣伝内容を書き、一目 につく場所に貼るだけで、新聞事業の発展、特に紙面の広告活用面において、他の国々よりも大きく遅れを取っていた。
この頃、まだ日系商人の数は数えるほどで、その規模も大きくなかったが、彼らは新聞を活用する術を知っていたので、各店が新聞に広告を掲載。1871年12月、上海の三番目となる長崎の雑貨店「木綿屋」が上海で開店。その開店2年目、上海最大の中国語新聞『申報』が創刊。木綿屋はすぐに同紙に次のような広告を掲載した。「日本から輸入した各種各色水晶の器、漆器、陶器をはじめ、玩具なども取り揃えております」。木綿屋は3年しか営業しなかったが、新聞広告がこの店の名前を上海の歴史に刻みこんでくれた。
「日本広告史前期の巨人」と呼 ばれた岸田吟香は、上海で楽善堂 を経営している間、広告プランとその優れた活用方法で、人々をあっと言わせていた。広告事業がまだ興り始めたばかりの当時、吟 香の創意工夫に富んだ広告は、「東洋」から来た物珍しさで大いに注目を集めている。例えば、楽善堂の看板商品だった「精g水」という目薬は、日本ではどの広告でも、「アメリカの名医ヘボンの秘法の西洋薬」と謳っていたが、上海での広告には絶対に「西洋」と「ヘボン」の単語は用いず、「東洋仙薬」 と宣伝した。「西洋」が既に突出していた上海で、この岸田吟香の「東洋」を大々的にアピールするという手法は、中国人の「蓬莱仙国」( 神話における仙人の住む国)に伝わる良薬を連想させ、販売数を大幅に伸ばした。当時、楽善堂が販売する「東洋薬」の殆どが、上海の中国人家庭の常備薬になるほどだった。
租界にあった日系商店は、中国語の新聞はもちろん、英語の『上海案内』にも広告を掲載し、租界に住む西洋人顧客開拓を狙っていた。佐藤写真館の創設者、佐藤伝吉は、かつて日本領事館で上海に人力車の輸入に関する業務を務めていた経歴を持つ。領事館辞職後に写真館を開店。高い撮影技術がある上、その職歴から人脈が広く、宣伝能力があったために開店間もなく経営は軌道に乗り、店員は多い時で30人を超えるまでになった。1903年、佐藤照相館は英字新聞『上海案内』に次のような広告を掲載している。「上海佐藤写真館、上海一流の人物カメラマン。人物撮影、どんな天気でも最新式ですぐに撮影いたします。どんなサイズでも拡大可能、クレヨンで彩色も可能です。」 この店では人物のほかに各種風景写真も販売し、観光客から喜ばれていた。
日系商店の広告の中でも、最も人々の目を惹いていたのが薬と雑貨の広告だった。こうした商品の 殆どは、低価格で消費の早い生活必需品で、一般市民の日常生活に密着したものである。日本人は宣伝方法に色々と知恵を絞った結果、住宅や茶楼、飲食店の壁に様々な大きさのカラフルなポスターを貼り、主要交通要路に面した塀にポスターや鉄製の看板を掲げた。中には木造船をチャーターし、水 路に沿って江蘇・浙江の小さな町へと宣伝を兼ねて赴き、それら街の薬局と長期契約を結ぶものもいた。このほか、「旗揚げ行列」という宣伝もしばしば実施。鼓笛隊がにぎやかに演奏する後ろに、色とりどりの鯉のぼりを持った苦力 が一列に整列し、医薬品のサンプルを観衆に配るのだ。執旗遊行の宣伝効果はとても高かったようで、薬だけでなく、雑貨店もよくこのサンプル配りを行い、自社製品をPRした。
こうした日系商店の宣伝方法は、中国の同業界の先例を作ったといえる。鉄道、道路、水路沿いの家屋の壁に争うように同じようなポスターを貼り、カラフルなペンキで商品の絵を壁に書いて宣伝するのが、当時の流行の宣伝方法になった。これに対し、芥川龍之介が『江南遊記』で次のような風刺を記している。中国はどこの国からこんな広告術を学んだのか?この問題に対する答えは、いたるところに見られるライオンの歯磨き、仁丹などの俗っぽい日本広告だ。日本はこの点では隣国に一部の厚誼を表したようである。
一般の宣伝広告のほか、日系商人たちはモデルを起用した宣伝も行なっていた。1920年代、上海洋紗(キャラコ) 商が、中国にキャラコを輸入するため、大規模な宣伝チームを結成。南京路の各デパートのショーウィンドウに、様々なブランドのキャラコを陳列した。これらの宣伝活動は、大成功を収めたとは言いがたいものの、チャイナドレスを着た芸者モデルは南京路商業街を煌びやかに飾る風景になっていた。
 
  陳祖恩  
  東華大学人文学院教授/上海社会科学院歴史研究所研究員。
1994年から上海の日本人居留者たちの研究を始める。著書に《明治時代の上海日本人居留民》《上海日本居留民の子弟教育》《日本僑民在上海(写真集と共著)》などがある。