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第81回
豊田佐吉 陳祖恩
1927年、発明の功績により、昭和天皇から
「勲三等瑞宝章」を賜った後の豊田佐吉
静岡県敷知郡吉津村(現在の浜名郡鷲津町)の大工の家に、豊田佐吉が産声を上げたのは1867年(慶応3年)のこと。1879年、吉津村の小学校を卒業し、1885年(明治18年)4月18日に、明治政府が『専売特許条例』を公布したことを、当時19歳だった佐吉は、隣村の小学校教師から教わった。「日本を豊かに、 そして人々に貢献するために、発明に一身を捧げよう」と決意した佐吉は、この日から数十年に渡り、現代紡織機械の発明に明けくれ、多大なる成果をもたらし、世界の「紡織機発明王」と称えられるまでになった。
1890年11月11日、佐吉は彼の最初の発明品となる豊田式木製人力織機を発明し、翌年5月14日に特許1195号を取得。1896年には、豊田式木製動力織機を発明。幾度となく改造を重ねた結果、自動織機を完成させた。これは画期的な発明品で、日本有史以来初の人力を必要としない自動織機であり、操作員1人で3、4台を同時に見ることが出来るようになったために、生産力が従来よりも大幅に向上した。また、豊田織機は横糸切断自動停止装置を備えており、横糸が切れるとすぐに機械を止めることができた。この織機は「もし品質の劣る物を作ってしまったら、機械をすぐに止めて、100%の品質を確保する」という豊田佐吉の考え方の表れであり、豊田製品が高品質を保証する根源なのである。
1906年12月、三井物産大阪支店の藤野亀之助支店長の「発明と経営は対立するものではない」というモットーにより、佐吉は資本金100万円で豊田式織機株式会社を創設する。1910年5月、欧米の紡織事業の視察に行った佐吉は、現地の織機の製造、技術者の教育・指導などの状況をつぶさ に見て回り、翌年1月に帰国。同年10月に豊田自動織布工場を開設 し、14年に正式に運営を始めた。 1918年1月29日、豊田紡績株式会社を創立。資本金500万円の、織機1000台、男女従業員1000人を抱える大きな会社で、生産される布は、もちろん全て自社製造した豊田紡織機で織った布であり、この会社のブランド商品として、インドやジャワ島などに運ばれた。
第一次大戦中、日本の紡織業の中国進出のスピードが加速され、豊田佐吉もこれをチャンスととらえた。1918年10月、佐吉は単身中国へ渡り、上海を中心に、各地の紡織事業を視察して回った。 1年の時を隔て、佐吉は西川秋次を伴い、上海での工場設立と、上海の中心部に豪華な邸宅を建立して、上海に永住する決心をする。 豊田邸はフランス租界の霞飛路 (現・淮海中路)上の西洋式の豪華な1戸建てで、広々とした庭とテニスコートのある5000坪の大邸宅だった。佐吉が上海で紡織 事業の発展を志した動機の根底にあったもの、それは動力織機の発明の完成はもちろん、「中国は人口5億人の巨大な市場だ、人々の生活に綿布は欠かせず、必ず大きな需要が起こる」という考えだった。更に、自分が発明した織機が中国で使用されるようになれば、既に進出を始めている日本の紡織事業にも大きく貢献することになる上、中国国民の生活を豊かにすることもできると考えた。
この当時、上海には既に内外綿など日系紡織工場が数社運営をしており、また中国民衆の反日感情が強まっている時期だったので、新たな土地購入は非常に困難だっ た。西川秋次の協力の下、佐吉は 自ら現地調査に乗り出し、多方面 へ交渉を重ねること1年、ようや く蘇州河畔の極司非尓路(現・万航渡路)200号の土地2万坪の買収に成功。1921年11月29日、上海豊田紡織廠が竣工。資本金銀1000万両(1キロ= 20両)をつぎ込み、当時最先端の精紡機と織機を導入し、佐吉が社長に就任、実質的な経営業務は西川秋次が担当した。設立から3年後には、生産能力が当初の3倍に、上海の14社ある日系紡織工場の第6位の規模にまで成長した。
1919年、上海での工場設立を計画した後、佐吉は1年のほとんどを上海で過ごすようになる。紡織事業の経営に尽力する一方で、発明も続け、よりよい織機の開発・改良を推し進めていた。1926年11月、織機の製造・販売のみを経営する豊田自動紡織機製作所を創設。のちのトヨ タグループの礎である。豊田自動織機の性能のよさは国内外で評価され、「世界の紡織工場」と当時謳われていたイギリスにもその名は轟き、世界有数の織機メーカーだった英国プラツト会社までもが豊田佐吉に特許権譲渡を打診し、1929年12月21日、佐吉は10万ポンド(当時の約100万円)でこの権利を譲渡している。
多忙な日々を送る佐吉は、つい健康面を軽視し、飲酒過多による高血圧や中風に冒されるようになった。1927年4月11日、病気治療のために帰国せざるを得なくなる。1930年10月30日。脳溢血と肺炎により死去。享年64歳。
 
  陳祖恩  
  東華大学人文学院教授/上海社会科学院歴史研究所研究員。
1994年から上海の日本人居留者たちの研究を始める。著書に《明治時代の上海日本人居留民》《上海日本居留民の子弟教育》《日本僑民在上海(写真集と共著)》などがある。