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第80回
開導学校 陳祖恩
武昌路にあった東本願寺上海別院
明治時代の日本の小学校教育は、当初、4年制の尋常小学校と、同じく4年制の高等小学校に分けられており、6歳から14歳までの児童に教育を受けさせることが、両親もしくは後見人に義務付けられていた。
1888年(明治20年)に、上海で最初に出来た日本の小学校を、開導学校という。虹口の武昌路東本願寺上海別院内に設けられ、校舎は2階建てで、1階に教室7部屋、2階に事務所と教師の休憩室があった。開校間もなくは、経済的に苦しく、開校のための費用が150元しか用意できなかったため、最低限の教材と学習用具、本などを揃えるのが精一杯だった。
年度予算も720元と非常に少なく、当時の奥村定吉教諭には、毎月7元の手当てと食事が無料で提供されたが、他の職員には一切手当てが支払われなかった。こうした費用の一部をまかなうため、 児童は毎月、学校に20銭の謝礼金を支払った。しかし、この金額は 当時の相場でもとても低額である。
日本開導学校は、日本政府の『小学校令』に基づいて教科書を編纂し、東京地方政府の規定に沿って、閲読、書法、作文、算術のほかに、高等小学校では英語も教えた。
第1期の生徒は、古賀浅太郎、今田圓治、中尾繁太郎、東屋広吉、北川友次郎、松尾かめ、北島文次郎、入江定治、金子いご、金子種吉の10人だけだった。
1890年代以降、居留邦人の増加に伴い、子供の数も増えていった。1893年から98年までに上海で生まれた子供の数は、男子44人、女子30人、1899年から1905年に生まれた人数は、男子115人、女子103人と2倍から3倍にもなった。当然、開導学校の生徒数も増え、1904年度を例に挙げると、尋常小学校 の全生徒数は男子32人、女子30人、高等小学校の全学年では男子17人 、女子15人と開校当初 、10人 だった児童は100人近くに膨れ上がった。
この状況について、日本語紙 「上海日報」は、1905年12月22日付けの 『上海で読む・児童教育論』というタイトルで、次のような内容の文章を掲載した。「開導学校の現状には非常に不満がある。生徒の学力は非常に低く、学校の設備も不完全であり、理科の教材や薬品、標本などは全く揃っておらず、体操器具すらない。生徒は102人もいるが、東本願寺中庭にある運動場は160坪しかない。1人当たり1坪半だ。2学年ごとに教師は1人しかおらず、補助人員もない。また、裁縫は、女性教師1人だけが教え、楽器の1台は破損しており、参考書は全て旧式のものだ。日本の地図や地球儀すらない。3〜5年後には、 居留民団によるちゃんとした学校の建設を計画するべきだ」。
日露戦争が終結した後、日本政府は、海外での日本人教育に力を入れるようになっていたこともあ り、1905年12月、上海日本居留民団は、学校、日本義勇隊及びその他の慈善救済事業を経営する公共団体として、日本人協会を設立。翌年、同協会は開導学校の経営を引き継ぎ、伊東米治郎協会長が名誉校長に就任した。同協会が管理するようになったことで、開導学校は十分な経費が与えられるようになった。年度予算を例に挙げると、予算3921元のうち、授業料の収入は1265元で、残 りは全て協会が負担。また、教師の給与も保障され、校長の月給は80元 、教員2名は月給45元 、 補助教師1名は35元が支給されるようになり、それまでとは格段の待遇となった。
その後、1906年4月9日に、 開導学校は「上海開導尋常高等小学校」と改名した。5月27日、外務省と文部省の援助により、高橋栄七新校長と、西山亮之助、湯山誠造両教諭が着任。5月30日、日本人協会教育部委員が、離任した教員達の送別会を、四馬路の杏花楼で開催。34人が出席した。
教育部の費用の殆どは開導学校に関して使われたもので、更に新校舎の新設計画も進行中だったと いう。
日本人協会が管理したことにより、開導学校の教育設備は、日本国内と同レベルに達することができた。1907年9月、外務省の指令により、上海居留民団が設立され、日本人協会が解散すると同 時に、同協会が経営していた事業 は全て居留民団に引き渡された。 開導学校も上海居留民団に接収管理され、「上海日本尋常高等小学校」と更に改名した。
その後、更に増え続ける日本人のために、日本人小学校の数も増やされた。日本人の住宅の分布によって、上海の東部、西部、中部にもそれぞれ日本人学校が創立され、「上海日本尋常高等小学校」 は北のほうにあることから、北部小学校という別称を付けられた。 1945年の終戦まで、学校は続いた。
 
  陳祖恩  
  東華大学人文学院教授/上海社会科学院歴史研究所研究員。
1994年から上海の日本人居留者たちの研究を始める。著書に《明治時代の上海日本人居留民》《上海日本居留民の子弟教育》《日本僑民在上海(写真集と共著)》などがある。