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第78回
『良友』画報に 登場した日本人 陳祖恩
1934年6月15日、画報『良友』に『如此上海:上海租界内の国際的イメージ』というコラムが掲載された。上海を「中国の上海」(南市、閘北)と「外国の上海」(霞飛路、楊樹浦、南京路、虹口)に分けて紹介。外国的上海の15枚の写真も掲載され、その中の一枚は、虹口日本人街の特徴をとらえた、日本人女性が呉淞路を歩いているものだった。編集者は、「呉淞路に足を踏み入れた人は、自分が日本にいるんじゃないかといぶかしむことだろう。ここ一帯には、和服の女性、日章旗、内田、町井、村上などと書かれた表札、高下駄に桜が見られ…」と注釈をつけている。
他の号でも、新年の風習や遊芸会、学校体育などの写真を掲載し、上海日本人街の特徴を紹介したことがある。1924年12月30日出版分では、『上海日僑新年時事』と題し、居留邦人が催した新年音楽会や、新年弓術発表会などの写真を、同時期に各国の学生が日本人倶楽部で親睦会を開き、会食や詩の朗読などを行っている写真も掲載している。1931年5月に載せた、『日本日童学生千人操』と題した写真は多くの読者が関心をよせた。なぜなら当時、上海の日本人小学校は、校舎や教育設備が一流な上、様々な学校式典、運動会、修学旅行、遠足などの行事があったからだ。中でも入学式と卒業式が非常に重んじられていた。『千人操(千人体操)』の写真は、居留邦人が体育教育の啓発も軽んじていないこと、そして中国の「弄堂学校」とのハード面での差を大衆に知らしめた。
1920、30年代、地域を越えた交流が上海文化に磨きをかけた。『良友』はこうした文化を写真と記事で読者に紹介し、日中文化交流の史料を後世に残している。文芸漫談会、通称「上海漫談会」は内山書店の主人、内山完造が場所を提供して行なわれた文人達の交流会で、発足当初は「上海無産文人倶楽部」だったことを知る人は少ない。1927年に同誌に掲載された、田漢著の『日本印象記』の中に、内山完造と文芸漫談会のことが生き生きとした文章で記されている。内山氏は訪日する田漢のために船の切符を手配してやったり、日本側の各方面にも彼をもてなすように連絡をとったりしたことがある。1930年初頭、日本画家の巨匠、横山大観が静子夫人を同行し、イタリアで美術展覧会を行なう旅路の途中、上海に立ち寄り、それを知った日中の美術界の人々・・・王一亭、銭痩鉄、張大千、張善?ら四十人あまりの中国人画家と、駐上海田中正一副領事、画家の渡辺、晨畝ら10人の日本人が、精進料理で有名な「覚林」に集まり、横山夫妻の上海入りを歓迎した。『良友』は「中日の芸術家たちが覚林で宴を開いた記念」と題してこの時の写真を掲載。また。画家の有島生馬(1882〜1974)が上海を訪問したときのことも、同誌は掲載している。有島は白樺派を代表する一人で、中国画家の陳抱一らとも交友を深めている。
『良友』が上海の居留邦人に関心を寄せている時期、居留邦人に関連する社会の趨勢にも注目していた。1927年3月、国民革命軍が北伐し、上海に進軍した際、日本海軍陸戦隊1100人が居留邦人保護を名目に上陸し、日本人倶楽部や北四川路、楊樹浦、上海西部などの警備に当たった。この時、東亜同文書院の学生200人が軍の指示により、通訳を担当。『良友』は日本海軍上陸風景、日本軍艦高級士官の閲兵、上海市内への行軍や、日本人の子供が国旗を振り、軍に敬礼をしている写真などを掲載した。国民革命軍が上海を制圧した後、居留邦人は高級日本料亭で北伐軍の蒋介石総司令をもてなしている。蒋介石が宴会場の中央に座り、日本駐上海矢田七太郎総領事がその傍らを、王正廷、宋子文、孔祥熙ら国民党の要人も列席。日本の社交の伝統として、美しい着物を着た12人の芸者が賓客らにお酌をした。
1932年に起こった虹口公園爆破事件は、一大ニュースとして上海のあらゆるメディアが一斉に報道。やはり挿絵付の報道が重要視され、『良友』はこの「上海虹口公園爆弾事件」の一連の絵や写真を掲載し、次のような一文を添えた・4月29日の天長節(天皇誕生日)、虹口公園で居留邦人たちによる祝賀会が開かれる中、突然刺客が爆弾を投げ込んだ。壇上の要人一名死亡、五名負傷。『良友』は美しい虹口公園の風景図と、白川大将が演説する写真、死傷した6名の日本軍要人の顔写真、さらに刺客、尹奉吉の写真も掲載。彼の後ろには朝鮮国旗が掲げられ、胸には誓詞牌を、左手に手榴弾、右手に手槍を持った姿で、誓詞は「韓人愛国団の一員として、我々の祖国の独立と自由と恢復を図に我は赤誠を以って誓う。」という内容だった。『良友』が掲載した尹奉吉の写真は、実行前の記念写真だった。事件の後、何者かがこの写真を新聞各社に送ったのが用いられた。
 
  陳祖恩  
  東華大学人文学院教授/上海社会科学院歴史研究所研究員。
1994年から上海の日本人居留者たちの研究を始める。著書に《明治時代の上海日本人居留民》《上海日本居留民の子弟教育》《日本僑民在上海(写真集と共著)》などがある。