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第76回
上田安三郎 初代三井上海支店長 陳祖恩
明治31年の三井物産支配人会。手前右から2番目は上田安三郎。
1877年、三井物産株式会社の上海支店が広東路6号に誕生。その支店長には上田安三郎が就任した。 三井物産は日系で最初に中国に進出した貿易商社であり、安三郎はその初代支店長ということで、対華貿易の先覚者と言われた。
上田安三郎は1855年2月29日、長崎市浦五島町旧柳川家に池田源左衛門安道の三男として生れる。3歳で長 崎外浦町の商人、上田栄助の養子になり、8歳で広運館に 入学すると共に、儒学者の呉来安に漢籍と書道を師事。15歳、当時長崎に住んでいた米国人、ロバート・ウォルカー・アルウィン宅の家事手伝いとして雇用される。アルウィン氏はフィラデルフィアの実業家で、慶応2年に来日。井上馨や伊藤博文らと知己な上、長崎とウォールシ・ホール商会とは、密接な関係にあり、三井物産の益田孝社長ともよき友だったため、三井物産の顧問も勤めた経験を持つ。 1873年9月、安三郎はアルウィン氏の助力で米国留学へと旅立ち、三年間学んだ。
帰国後、安三郎はアルウィン氏の推薦で三井物産に入社。当時、三井物産はまだ創立間もなく、益田孝社長、木村正乾副社長の下、社員は馬越恭平ら数人だけの小さな会社に過ぎなかった。翌年7月、上田は支店設立準備を命ぜられ、上海へと渡る。滞在中、上海最古の日本商店、田代屋が併設している旅館に投宿した。安三郎はスイスの商人ブリナーを訪問し、彼から多方面でのアドバイスや助力を受け、最初の支店もブリナー商会の一角に設けさせてもらった。
三井物産上海支店は、三池炭や米、茶、海産物などを主要取り扱い商品とし、ブリナーらの紹介で、匯豊銀行(HSBC)、輪船招商局や力のある外国商社、中国商人などとのネットワークを築き始めた。11月8日、三井物産上海支店が正式に成立。安三郎は職員に率先して一軒一軒を回り、三池炭の販売ルートを開 拓していく。開設間もない頃の利益はごくわずかで、半年でたった4、5千円ほどだったが、正式に中国の販路を築いた数年後、安三郎は三池炭販売の業績を認められ、特別奨励金として600円を受取っている。
1878年3月、安三郎は上海から天津へと渡り、東北貿易実情の調査に当たった。同年5月、フランス船籍の波尓馬里号に麦を積み、長崎から天津へと向かった。この当時、貨物量の多寡に関わらず、中国の商業組合の規約に基づき、中国の秤を使って、貨物数量を量ることが義務付けられていた。安三郎はわざわざ上海から指定の台ばかりを取り寄せ、中国人に一つ一つ計量結果を見せて中国商人を認めさせた。安三郎は麦に続き、天津向けに石炭や白米も1艘ずつ輸出し、日本の対東北貿易の端緒を開いた。
1880年3月20日、安三郎は正式に上海支店総管、つ まり支店長に任命される。給与は毎月25円で、同年10月には、毎月30米ドル、交際費20米ドルに昇給。当時、支店に勤務する日本人は八巻道成、福原栄太郎、福島義太郎、長谷部信義らがいた。1885年6月、益田社長と三池鉱山の小林局長が上海を来訪。上海支店設立以来、初の上海訪問である。益田は支店の営業状況を仔細にチェックし、外国商社としてのシステムや管理方法、業績に対し高い評価を与えた。同年、安三郎は上海支店総管兼香港支店総管を命ぜられた。
当時、香港・上海両支店の従業員は合わせて約10名ほどで、安三郎は仕事に応じて領地の従業員を入れ替えながら運営した。この行為は益田社長の了承済みである。また、シンガポール市場の開拓にも着手する一方で、日本での紡織業ブームに順応すべく、浦東に綿花会社を設立。安三郎は他に先駆けて中国の綿花に着目し、イギリスから25台の綿用紡織機を輸入している。中国各方面とのトラブルを避けるため、イギリス人、フランス人、アメリカ人を会社の要職に就けて、外国人との共同経営のように装ったが、経営の実質は日本人が握っていた。
安三郎は、社員に対し、外国のビジネスルールやマナーを学ぶことはもちろん、日常生活の礼儀や身だしなみにも注意を払うように要求していた。週に一度は食事会を開き、社員に食事のマナーを教えたり、職員のために毎年クリスマスと新年のパーティーを開催。景品の抽選や中国曲芸などで場を盛り上げた。
当時、支店の社員たちの給与はとても低く、会社が彼らに貸したお金は相当な額になり、1891年までに会社が立て替えた額は10991円にのぼる。これら借金は、全て安三郎個人の名義で会社 に請求されていた。のちに、その殆どは免除されている。1892年4月、安三郎は西京丸に乗り、16年いた上海 を離れた。別れの時、社員は金を出し合い、金酒盃を彼に送っている。
 
  陳祖恩  
  東華大学人文学院教授/上海社会科学院歴史研究所研究員。
1994年から上海の日本人居留者たちの研究を始める。著書に《明治時代の上海日本人居留民》《上海日本居留民の子弟教育》《日本僑民在上海(写真集と共著)》などがある。