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王一亭の梓園 |
上海南部の喬家路上に、梓園という庭付き一戸建てがある。近代の著名な書画家、王一亭の私邸である。1922年、王一亭がこの家に物理学者のアインシュタインを招き、宴会を催したことから、一気に梓園は有名になった。
だが、私邸のため、一般人がここを観覧する機会は殆どなく、王一亭の家族や親友も梓園に関する資料を残さなかったため、王一亭の梓園での生活ぶりは神秘のベールに包まれている。だが幸い、1927年12月4日、上海日本高等女学校が王一亭家見学会を企画し、客間・アトリエ・仏殿・庭園から寝室・ダイニングなど、知られざる王一亭の世界を余すところ無く堪能し、その感想文を残している。これら記録は80年経った今でも、読者に梓園の姿と王一亭という人物の魅力を活き活きと伝えている。
第一応接間について
(四年 藤原正子)
案内されて室内に入る。此処は純中国風の応接間。正面には、立徳堂と大書した大額又立派な書幅がかけられてある。又この室内には、この家の御主人王一亭氏が還暦の祝に送られたと言ふ大層おめでたい曰く付の、紅や白の地に墨黒々と鮮やかな祝詩の軸が、右左の壁にすきまなくかけられた有様は見事なものであつた。さすがに書大家の客間に溢れた趣は一種異なつている。
第二の応接室
四年 石川糸子
数奇をこらした庭園を前に、見るからに、すがすがしい感じのする室である。あたりにはお線香の香が漂って静かな感じがした。正面に掲げられた書幅は清の中頃の人、人物画に秀でた黄応瓢氏の描かれたものだとか。内部に立って居る柱には悉く、王一亭氏の自ら書かれた立派な文字が刻まれて居た。一同感歎して拝見した。右側のドアを開けた、その小さい室には、王一亭氏と母堂のお写真が置かれてあった。
仏殿
四年奥村季子
窓を開ければ朝夕用いられる香の香に誰も誰も心をうばわれる。目礼して入る。中央の仏壇には燦然と輝き出でた仏像、両側に美しく造られた、花形の燭台等は。かような御家庭でなくては見られぬような物であった。他の仏壇に慈母そのもののような柔和な表情をした像が安置され、香煙縷々としてのぼりあたりを包む。
アトリエ
四年 長澤千世子
かねて聞きし一流書家のアトリエ故そぞらに躍る胸を抱いてドアを拝して室に入る。
つきあたりの窓を除いて三方の壁は悉く絵におおわれて居るのには驚いた。中央の大きな紫檀の机の上には筆、墨、筆洗、とき皿等ならべてある。とき皿に朱のといてあるのは一寸、日本書の感じを起した。墨は有名な胡開文製のもので重みのあるものであった。硯は広東省、肇慶洲産の端渓だそうで日本の赤間石と同じく極く上等の物であるとか校長先生よりの話である。入口より左方の壁には八大仙人の書、故事があり馬の首などいやに大きくて私達の目にはおかしく見えた。その隣に蘭の鉢を書いた墨絵があるいずれも大分年を経たものらしい。
居間と寝室
四年 田島貞子
寝室の一方壁に接して置かれた寝台の美しい帳に眼を奪われ、木材には全部、巧に彫刻が施され、上の方には種々の写真が掲げられて、見るからに立派であった。殊に寝台の両側に二つの小さい籠がかけてあったのは興があった。
周囲の壁には名家の書いた絵等が色々あった。中に蝙蝠が飛んでいる絵で、「福自天来」と讃のある懸額は、あまりよいものにして居ないが、中国では、蝠の音が、福に通じる所から、これをよいものにして、飾って置くそうである。
家庭の奥まった寝室と、部屋、殊に中国人のそれは常に観る事が出来ないものであるのに、ここまで私達の為に開放して下さった厚意を感謝せずには居られない。
この王一亭邸見学会は、日本居留民団の伊藤君也も同行し、高等女学校の校長自らが四年生たちを引率した。ちょうど王一亭は都合が悪く外出しており、長男の王伝薫(孟男)が彼女達を案内。だが見学が終わり、私邸を辞そうとしたときに王一亭が帰宅。彼の書の作品「是謂元徳」と四冊の本を学生たちに贈り、彼女達と記念写真を撮った。 |