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第69回  
アーティスティックな 日本商店街 陳祖恩
呉淞路1932至誠堂書店
1930年代の上海で、フランス情緒あふれるストリートとして有名だった霞飛路現淮海路。西側は欧米人が住み、中央部はにぎやかな繁華街だった。そして霞飛路、1920年代には、どの店もロシア語と英語が併記された看板や広告を掲げる、ロシア人が開いたロシアン・ストリートとして知られていた。
だが中国の著名な作家・建築家の林徽因は、日本商店街があった呉淞路と霞飛路を比べれば、異国情緒という点では呉淞路の方が濃厚であり、客足も呉淞路の方が断然多いと述べている。
店舗が林立する呉淞路は、その当時の上海最大の日本人街で、土橋号や松本号(酒類食品店)、岩崎呉服店、玉屋呉服店、稲垣呉服店、日本堂書店、至誠堂書店、文房洋行、石橋洋服店、晩香堂薬房、日昇堂大薬房、天寿堂薬房、長沢写真館、池田屋、松川屋、浜田商店など、多くの老舗が軒を連ねていた。
呉淞路に並ぶ日系商店の経営者は、商品の見た目の美しさが客の購買意欲を左右するということを熟知しており、商品作成・陳列に芸術的要素を取り入れていた。
取り扱い商品が何であれ、各商店は清潔感と明るさ、快適さが感じられる店づくりをし、穏やかで親しみやすい日本的な接客を行って、顧客を増やしていった。林徽因は『沿呉淞路北行』の中で、呉淞路日本商店街の文化的な風景を次のように記している。
「酒屋のガラスケースには菊正宗、舞鶴、千福といった日本酒が陳列されている。菊正宗は神戸の名酒で、自然の中で生いしげり、至る所で見ることができる菊の花を寓して名づけられた。
毎年弥生の節句が近づくと、百貨店の陳列棚には雛人形が飾られる。雛人形は親王(内裏雛)と三人官女、楽器を演奏する五人囃子、侍従(随臣)、仕丁などの人形と、家具や日用品が雛壇に飾られる。雛人形を飾ると雰囲気が華やかになり、客足も伸びる。
日本の商品陳列は空間が大切にされ、とても調和がとれている。それは日本独特の雰囲気をかもしだしており、貪欲にあるだけの商品をぎっしりと並べ立て、圧迫感を感じさせるような中国系の商店とは大違いだ」。
和菓子は考え抜かれた製造法と精緻な造形、そして美しい包装と詩意あふれる名前を持った、とても芸術的な商品だ。和菓子を頂くときはその美しさも楽しめる。林徽因は、呉淞路の和菓子屋の和菓子はとても人を誘惑するもので、「形は精巧で、色彩は優しげで美しい」と言っている。弥生の節句が来ると、人や鳥、動物などの形をした和菓子が登場し、中には門前に「新しい和菓子登場・・・春之舞」などと掲げていた。
至誠堂は1913年に設立された、上海にある日本書店の一号店。同店では日本の政治・経済・社会科学・文学などの書籍雑誌の専門店で、日本の各新聞紙の代理販売も行っていた。店内の書籍や雑誌は立ち読みも可能で、特に珍しかったのは、小学生向けの児童雑誌があったこと。小学一年生、小学二年生、小学三年生など学年ごとに分かれた雑誌だった。
「いい加減な商売をすると、同業者から訴えられる。これも日本人ならではの精神だろう。だが妥協しようと思えばできるんだ」
呉淞路の日本商店は顧客を増やすために安くて美味しいメニューを色々と考案した。ぜんざい1杯がたった1角で、「赤や緑、黄色の軟らかい団子が入っていて目でも楽しめる」(林徽因)。
お弁当が2角5分。呉淞路以外の日本商店以外ではこの値段では到底買うことなど無理だ。定食は1人前5角。「一汁四菜が赤漆の盆に載って供される。どの菜も配色が考えられていて見た目が美しく、椀、皿、箸の配置は、静かに互いを引き立たせあい、見るものを愉快にさせてくれた」。
女流作家の張愛玲もまた、林徽因と同じように日本文化を称えていた。彼女は複雑かつ繊細で調和の取れた色彩感覚は、かつての日本人の衣装にしかない、と言っている。
「日本の布はまるで一枚の絵のようだ。私はいつも、買って帰ってから仕立てに出すまでに何度も手にとって眺めてしまう。しとしとと降る雨の中、ミャンマーの小さな廟に棕櫚の葉がかかる。赤茶色の熱帯。初夏の池。水の上に薄い緑の膜が貼り、浮き草や、白や紫のライラックが漂って、『哀江南』の世界のようだ。もう一枚は『雨中花』と題されたもの。白地の布に描かれた紫の大きな花。水がぽたぽた滴っている」。
ゆえに彼女は「虹口に買い物に行くのが好き」だった。

 
  陳祖恩  
  東華大学人文学院教授/上海社会科学院歴史研究所研究員。
1994年から上海の日本人居留者たちの研究を始める。著書に《明治時代の上海日本人居留民》《上海日本居留民の子弟教育》《日本僑民在上海(写真集と共著)》などがある。