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第67回  
日清貿易研究所 陳祖恩
日清貿易研究所は、東亜同文書院の前身である。両者の直属機関は異なるものの、そもそもの創始目的や人事には、一連の関連性があった。 日清貿易研究所の創始者は荒尾精(1858〜1896)。本名は義行、後に東方斎と号した。尾張藩士の家に生まれ、廃藩置県によって東京に出て私立学校に入学し、中国語や英語を学ぶ。その後、外国語学校に進み、フランス語を専攻した。1878年、陸軍教導団砲兵科に入学。更に陸軍士官学校に入り、熊本歩兵連隊に赴任。1885年に同校を卒業後は、陸軍参謀本部支那部付けになった。翌年、参謀本部の命を受け、情報収集の為に中国に赴任し、上海にある楽善堂の岸田吟香訊ねた。岸田の知遇を受けた荒尾は、調査活動のカモフラージュのために漢口に楽善堂支店を開き、宗方小太郎、井手三郎らと共に商業の傍ら、情報収集に奔走した。
1889年、荒尾は漢口での三年間の諜報活動を終えて帰国し、参謀本部に2万6千字にも渡る復命書を提出した。この復命書には「貿易富国」の構想が記されており、貿易振興は日中間の急務であり、中国に日清貿易商会を設立することを主張。また、日清貿易研究所もその付属機関として設立し、貿易業務人材の育成を行なうことを提案していた。貿易商会設立案は却下されたが、川上操六参謀本部次長が研究所設立を支持し、4万円の援助金を獲得。1890年9月3日、荒尾精は日本全国から集った150人の学生と研究所員数十人と共に横浜から横浜丸に乗り込み、長崎を経由し、9月9日、上海に再び降り立った。
日清貿易研究所が設けられたのは大馬路泥城橋傍にある「憶里」という弄堂内の二階建ての民家。荒尾が所長に就任し、根津一、西村忠一、小山秋作、宗方小太郎ら四人を責任者に、顧問に田鍋安之助を置いた。実習科目は中国語・英語・商業地理・支那商業史・簿記学・和漢文学・商業算・経済学・法律学・習字・商務実習などで、教員は楽善堂漢口支店の関係者が中心になり、荒尾自身も中国語教師として教壇に立っていた。  
荒尾はしばしば連絡業務のために日本に帰国していたため、実質の研究所運営は根津一(1860〜1927)が所長代理として仕切っていた。根津は陸軍士官学校卒業後に陸軍大学に進んだが、ドイツ人教官と意見が合わずに退学させられ、参謀本部支那部に移動になった人物である。
ほどなく、日本政府は日清貿易研究所への援助を打ち切り、研究所は運営困難に陥る。この 年の12月末にはわずか銀1元と銅板3枚しか資金がなく、仕方なく楽善堂の信用で2000元の為替手形を得、何とかしのいでいた。また、研究所が借りた民家は衛生状況が劣悪なため に病気になる学生が増加し、財政危機と共に教職員や学生の不安が募っていった。1891年2月には、約30名の学生が授業内容を不満とし、集団退学してしまう事件が発生。同年6月、 研究所は競馬場の向かいにある涌泉路(現・南京西路)の洋館に移転。更に長崎商業学校校長猪飼麻二郎を教頭に向かえ、教務改善したため、ようやく学生たちは落ち着きを取り戻した。  
大阪の商人、岡崎栄次郎が四川路と漢口路の交差点に開店させた瀛華広懋館は、中国と日本の商品を販売する店で、毎日15人から20人の日清貿易研究所卒業生がここで商業実習を行っていた。実習は関税系・貨物系・売買系・調査系・正貨出納系・庶務系の六系統に分けて行なわれていた。本来、ここで得られた利益は学校の経費に回されるはずだったのだが、日清戦争勃発により、陳列所は閉鎖、資金不足のため、研究所も閉校せざるを終えなくなった。閉校までの全卒業生数89名。  
根津一は「清国通商総覧」という本を編集、発行している。これは日清貿易研究所業務の集 大成とも言うべきもので、三巻にわたり、当時の中国の商業地理・運輸・交通・金融・産業・風俗などを項目別に紹介した、実地調査の結果をまとめたものである。同書は発行されるやいなや、日本ビジネス界で非常に重宝された。  
日清貿易研究所の卒業生の中には、中日貿易や教務を生業とするものもいた。大東汽船、湖南汽船の経営者、白岩龍平は日本の水上運輸事業を中国沿岸及び長江航路の開拓者で、東亜同文会理事長も勤めたことがある。  
土井尹八は日清戦争後、瀛華広懋館の処理を請負、瀛華洋行と改名し、社長に就任。中日貿易に50年間携わった。  
西島良尓は、卒業後に大阪控訴院及び地方裁判所中国語翻訳官・神戸地方裁判所翻訳官などを歴任、また、大阪・神戸などで中国語を教えた。著書に「日支商用会話」「華瀛商用会話」「清国一斑」などがある。
 
  陳祖恩  
  東華大学人文学院教授/上海社会科学院歴史研究所研究員。
1994年から上海の日本人居留者たちの研究を始める。著書に《明治時代の上海日本人居留民》《上海日本居留民の子弟教育》《日本僑民在上海(写真集と共著)》などがある。