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第65回  
玉蘭吟社 陳祖恩
岸田吟香の経営した「楽善堂」
1880年代中期、中国人が編集していた《申報》が「吟壇」というコラムを作り、上海の文化人の詩篇を紹介し始めた。このコラムに登場した詩人は百人余りに登り、1888年春にはその中でも頻繁に投稿していた詩人を中心にした、上海文化人団体「玉蘭吟社」が発足した。驚いたことに、発起人は上海人ではなく、日本楽善堂の店主、岸田吟香だった。驚いたことに、発起人は上海人ではなく、日本楽善堂の店主、岸田吟香だった。
岸田吟香は岡山県の出身で、米国人宣教師を手伝い、『和語林辞書』の編纂に携わったこともあり、新聞記者の経験もある文化人だ。1880年3月、岸田は《申報》編集部近くの河南南路に、楽善堂上海支店を開き、薬品と書籍の販売を始めた。開店時期はちょうど《申報の発展期にあたり、同業の経験があった岸田は同紙が今後上海で最も影響力を持つ新聞になると洞察。また、同紙のコラム「吟壇」にも強い興味を示した。上海人界に溶け込むために岸田は中国人の三文字名を真似て、自分の名を「岸(田)吟香」に、室号を「借楼」、「海上売薬翁」を自称するようになった。 
岸田が発起した「玉蘭吟社」は、楽善堂の前に玉蘭木があったことから名づけられている。1888年の陰暦4月8日、上海で55歳の誕生日を迎えた岸田は、店の前の大きな木に美しい花が満になっているのを見て興奮し、王韜(※)ら上海の著名文人たちを楽善堂に招き、宴会を開いた。宴席で岸田は吟社の設立と王韜をその社長にすることを提案し、参加者はそれに賛同。社名をどうするか、という問題で、王韜「これにしよう!」目の前の玉蘭の木を指差した。まさか彼らも百年以上後に玉蘭が上海の花になるとは想像しなかっただろう。 
玉蘭吟社は月に1、2度のペースで、主に中国の伝統的な文人たちの書を読み、絵画を鑑賞し、詩を作り、詠み、各地に赴き、自然を楽しむなどの活動をしていた。岸田は玉蘭吟社を始めてから、「詩や酒を大いに楽しみ、虚しい日々がなくなった」と大いにその活を満喫し、上海の文人たちとますます交流を深めていった。申報も玉蘭吟社に属する詩人の篇をしばしば掲載し、同社の活動状況などを読者に紹介していた。 
1888年初夏、岸田は漢口に行くために上海を離れることになった。吟社の友人達と名残を惜しんでいる際、岸田は以下のような詩を詠んでいる。
廉繊細雨点離愁,将泛晴川閣下舟。 敢効抛磚引珠玉,白頭海客話瀛州。 驪歌灯下客愁新,剛是江南値暮春。 屈指清和期不遠,一尊江上会嘉賓。
吟社の詩人、蘭月の楼主がすぐさま応えた。
春風吹度漢陽城,道遐閉河放暁晴。両度看花留我酔,幾人折柳送君行。浦雲江樹他郷夢, 薬籠詩嚢旅客情。此日分襟偶然耳,高歌休帯別離声。
国境を越えた友情と、惜別の思いが各々の胸に抱かれたひと時だった。 
同年10月、菊が香り、蟹が太るこの季節、漢口から上海に戻った岸田が、吟社の友人達との再会の宴を開いた。高価な日本酒をふるまい、日本画家塩川一堂の山水屏風を仲間に披露。塩川一堂の作品は「若々しく大胆で、文湖州(※)の画風と共通する部分がある」とみな驚嘆した。後日、吟社の仲間が連れ立って西洋人のボートレース観戦に行き、そのときの様子を甬東小楼の主人である詩人、王恩薄が《観西人賽船即応東瀛岸吟香先生之嘱》の中次のように詠んでいる。
潮声画静波涛平,江頭一葉偏船軽。西人賽船角勝負,双揺蘭撃空明。  
当時珍しかったボートレースのにぎやかな様子が活き活きと描かれた詩である。 
1889年3月、岸田は上海での仕を終え、帰国の途に着くことになった。王韜は自宅「淞隠廬」に玉蘭吟社の仲間を呼び、送別会を開催。席中、岸田は塩川一堂の《春江送別図》を取り出し、銘々がその絵でふくらまたイメージをもとに、詩作を楽しみ、《申報》編集者の黄協(夢生)はすぐに「めでたさにふさわしい」と、申報第一号に《春江送別図》という題で岸田吟行送別の文を掲載した岸田がメンバー達に日本酒をふるまったところ、詩人倉山旧主(袁祖志)がほろ酔いで次のじている。
梅剛破蕚相将,不辨花香与酒香。頓觸詩情生幾席,忽春意到壷觴。嘗来別味,同此交歓淡莫忘指点扶桑帰櫂便,未応嘗酒恋仙郷。
上海文人たちとの交流と、玉蘭吟社の社会的影響力の強さもあり、岸田と楽善堂の名声は一挙に上がり、同店は瞬く間に上海薬品業界の名店の一つに名を連ねるようになっていた。
※王韜(1828〜1897)・・・はヨーロッパを遊歴した後、1874年に香港で《循環日報》を創設し、自立と法改正を訴えた。1884年、上海に戻り、申報の編集部主任と格到書院の主宰などをした。
※文湖州・・・宋代の画家、文同のこと。湖州府知事の後任になったが、着任前に亡くなったため、『文湖州』と呼ばれるようになった。
 
  陳祖恩  
  東華大学人文学院教授/上海社会科学院歴史研究所研究員。
1994年から上海の日本人居留者たちの研究を始める。著書に《明治時代の上海日本人居留民》《上海日本居留民の子弟教育》《日本僑民在上海(写真集と共著)》などがある。