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第54回 上海にいた日本人 |
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上海日本中学校 |
陳祖恩 |
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| 上海日本中学校5期生1年D組記念写真 |
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| 上海日本中学校の校旗 |
1938年9月23日、日本居留民団が臨時会議を開き、上海在留の日本人小学生が上海で中学進学ができるようにと、日本中学校を設立することを決定した。 1939年4月1日、高塔路(現・山陰路)20号の日本実業青年学校の校舎を借り、上海居留民団立日本中学校(1942年10月5日、上海日本中学校と正式に改名)が設立された。水口民次郎は上海日本高等女学校校長が学校事務を担当し、有泉谷進、河野好男、福家弘、加藤武夫らが教師として就任。開校1週間前に入学試験が行われ、上海の各日本小学校の生徒131人が受験、101名が合格し、2クラスに編成。5年制(後に4年制に改編)で学生は男子のみ。4月3日、日本総領事から設立認可が下り、4月4日に同校は開校した。6月26日には外務・文部省より「在外指定学校」の指定を受けた。 開校1ヶ月後、上海日本高等女学校の教師、沢口勝蔵が水口民次郎の職務に就き、8月31日、正式に上海日本中学校校長に就任した。沢口は鳥取県師範学校を卒業しており、「中国大陸に一流の中学校を」を常に志していたという。ステッキを肌身離さず、口ひげを蓄えた沢口が真っ黒な人力車に乗って毎日出勤している姿は、学生時代を回顧する上海日本中学校卒業生の多くが鮮明に覚え、文集にその姿を絵にして寄せていた。 1940年6月1日、上海日本中学校の新校舎が上海市街の中心、松井通(現・四平路)に完成した。敷地面積は42034坪あり、うち運動場が17480坪、校舎は近代的なレンガ造りの3階建で、一般教室15室、特別教室16室、講堂一室とその他16室で構成。運動場には体育館、柔道場、剣道場と400メートルのトラックが設けられていた。その他広々とした緑地もあり、馬術などが出来るようになっていた。中学校では剣道や柔道、体操技術大会や土運び、竿登りなど色々なスポーツイベントを開催。守衛は日本小学校と同様、立派なあごひげを生やしたインド人を雇っていた。
文部省は1939年9月以降、中等以上の学校の入学試験は、従来の筆記試験を廃止し、学校の成績報告書(内申書)、口答試験及び身体検査で実施することを決定。1940年、上海日本中学校は前年度の倍にあたる200名の新入生を募集。これに対し約280余りの人の応募があった。小学校を卒業したばかりの幼い子供に、3人以上の教師が応対する口答試験は、受験生を極度に緊張させるものだったという。受験生にとって、上海で日本の中学校に入るためには筆記試験だろうが口答試験だろうが「受験地獄」を味わうことに変わりなかったのである。 上海日本中学校の校訓は「至誠・剛毅・努力」。校歌は作詞を土井晩翠に、作曲を滝廉太郎に依頼した。1941年4月、日本政府は「国体を明徴にし、国民精神を作興する」を戦時中の教育体制にする。上海日本中学校では朝の登校時には校長室に安置されている「ご真影」に脱帽し、敬礼することや、国防色(カーキ色)の平服着用などを義務づけ、青年士官を派遣しての軍事教練を実施した。ある教官は教練中にしばしば学生を二列に整列させては「鉄拳制裁」を加えていたという。 1945年、本来の教務課程は完全に取りやめになった。学生たちは勤労報国のために動員され、閘北で軍馬のために草を刈り、飼料を蓄え、校内の剣道場で手榴弾に火薬を詰めた。一部の学生は「学生勤労報国隊」の隊員として楊樹浦の三菱江南造船所で砲弾や機雷の部品を作っていた。また、81名の学生は海軍甲種飛行予科練習生として軍隊に入り、うち5人が戦時中に亡くなった。 1944年2月、上海日本中学校第1期生71名が卒業した。1946年5月に廃校するまでに、全4期の学生たち(第2期92名、第3期142名、第4期97名)が巣立った。中国新文化芸術運動従事者、元上海自然科学研究所員の陶晶孫氏(妻は日本人)の息子たち、陶坊資(1期)と陶易王(4期)も同校の卒業生だ。陶坊資には《ここが違う!日本と中国・・・二つの母国の生活体験》(蒼蒼社、2001年)などの著書がある。
歳月が流れても、両親と共に過ごした上海での学生時代はいつまでも卒業生の心に思い出として残った。1966年、上海日本中学校卒業生たちが同窓会を結成し、《上海日本中学校会報》の発行などを始めた。2001年10月に刊行された最新の同窓会名簿には、9名の教職員と743名の学生の住所・氏名が掲載されている。2004年12月に刊行された同誌は第18号。こうした当時の学生たちの回顧録は、貴重な資料であり、歴史の証言者なのである。 |
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陳祖恩 |
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東華大学人文学院教授/上海社会科学院歴史研究所研究員。
1994年から上海の日本人居留者たちの研究を始める。著書に《明治時代の上海日本人居留民》《上海日本居留民の子弟教育》《日本僑民在上海(写真集と共著)》などがある。 |
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