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第53回 上海にいた日本人 |
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文芸漫談会 |
陳祖恩 |
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塚本夫婦結婚祝いに出席した 文芸漫談家の面々 |
内山書店が中国現代文化史に何かしら影響を与えたとすれば、その要因は以下の2つだと言えよう。1つ、扱っていた新書の種類が多く、文化情報の発信が速かったこと。当時の中国で出版された左翼系書籍のうち、日本語を原文とした330種類の書籍はその殆ど全てを内山書店が扱っていた。もう1つは、店主の内山完造が結成した「文芸漫談会」の存在。日本の作家や新聞記者、画家を紹介し、彼らと中国の新進文化人、芸術家との交流を深めさせていた。
文芸漫談会は上海漫談会とも呼ばれた。内山完造が場所を提供。規則も特別会員などなく、参加者は当時の日中の政治や文芸などについて自由に語り合う。中国人の参加者の大半は日本留学経験がある青年文学家や芸術家などで、当時の中国現代文壇を担う者、例えば東京大学卒の郁達夫や東京高等師範卒の田漢、京都大学へ留学していた鄭伯奇、早稲田大学に留学していた欧陽予倩などだった。日本人の参加者は上海在住もしくは視察に来た著名文化人が殆ど。内山書店があったのは虹口地区の、いわゆる「越界築路」。ここは名義上が公共租界だが、実際は日本人統治下の場所で、国民党警察によるこの一帯への巡邏がなかったために、内山書店は日中の文化人が自由に自分の思いを表現できる理想的な場所だった。
1926年1月、日本の唯美派作家谷崎潤一郎(1886〜1965)が、人生2度目の上海に足を降ろした。三井銀行上海支店の土屋支店長が、有名な精進料理屋「功徳林」で三井銀行や三井物産の社員十数人が参加する宴席を設けて谷崎の来訪を歓迎。その席で宮崎という職員が、谷崎に「中国の青年芸術家たちが新文化運動を始めており、日本の小説や戯曲が彼らに翻訳され、一般読者に親しまれるようになってきた。もしこの話が信じがたいようなら内山書店に足を運んでみてほしい」と語った。谷崎はこの話に大いに興味を覚え、書店訪問を決めた。
数日後、谷崎は当時、北四川路阿瑞里にあった内山書店を訪問。満州を別にすれば、この本屋は中国最大の日系書店だと谷崎は感じた。店内には火鉢を置き、その周りに長椅子や机を配置。そこで茶を喫しながら雑談する文化人や読書好きの客人の姿が見られた。谷崎は内山完造に挨拶し、中国の優秀な若手文化人と是非会ってみたい、と依頼。内山は知人の文化人に電話で連絡を取り、会合日程を決めて書店の2階で会う手はずを整えた。この会合には日本人は谷崎潤一郎、大阪毎日新聞社の村田孜郎、中国劇研究会の塚本助太郎ら、中国人は内山と親しい郭沫若、欧陽予倩、謝六逸、方光涛、徐蔚南、唐越石、田漢ら中国現代文壇を代表する文化人が集まった。双方は両国の文壇や劇壇、翻訳や映画など多岐に渡って自由に討論を繰り広げ、内山完造は精進料理屋「供養斎」から料理をとりよせて皆にふるまった。日本の精進料理と比較すると、中国のそれは使う材料が豊富で技術も素晴らしい、と谷崎潤一郎は非常に驚いている。
同月29日午後2時、欧陽予倩と田漢が主席をしている上海文芸消寒会が、谷崎潤一郎の上海来訪歓迎のため、徐家匯路10号の新少年影片公司で盛大な歓迎会を催した。「上海に来られた先生に会えた、この貴重な機会に感謝し、ここに一席設ける」当日、中国文芸界から洋画家陳抱一や、漂泊の詩人王独清、戯劇画家の関良、映画監督任矜蘋ら、約90人もの人が集った。誰もがみな友好的な雰囲気の中で、大いに飲み大いに語らい、「天真爛漫の極みに至る」。谷崎潤一郎は酔いが心地よく回り、郭沫若に抱えられて彼が定宿にしている福州路の旅館、一品香に帰った。 「文芸漫談会」が成立されてからは、日本から来た文人が中国の文壇関係者と交流したいと思ったとき、内山書店を訪れればその願いはほぼ叶えられるようになった。作家伊藤春天(1892〜1964)とロマン派の詩人金子光晴(1895〜1975)が上海に来た際、谷崎潤一郎の紹介で内山完造に会った。折りしも中国の文人たちも日本の文人との交流を望んでいたこともあり、内山は金子らに文芸漫談会への参加を熱心に勧め、双方を引き合わせている。元中国文化部副部長の夏衍が《懶尋旧夢録》の中で「内山完造もまた、現代の奇人の1人だろう。(店に)2、3度行き、その度に1、2元の本を買っただけなのだが、店主はすぐに私の好みを把握し、私が好む本を何も言わずとも出して来てくれる上に、話してみたいと思っていた人々も紹介してくれた」と記している。 1927年10月、魯迅が虹口地区に引越し、内山完造と知り合うと、すぐに文芸漫談会の常連になった。魯迅の日記に「1930年8月6日夜、内山より漫談会への招待あり。功徳林で記念撮影と夕食。参加者18人」とある。9月19日、内山完造は女流作家林芙美子(1903〜1951)の歓迎会を開き、魯迅も招待。 文芸漫談会は日中両国の文人が筆を揮う機関誌《万筆鏡》の発行も行っていた。 |
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陳祖恩 |
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上海社会科学院歴史研究所副研究員。
1994年から上海の日本人居留者たちの研究を始める。著書に《明治時代の上海日本人居留民》《上海日本居留民の子弟教育》《日本僑民在上海(写真集と共著)》などがある。 |
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