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第51回 上海にいた日本人 |
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上海日本商工会議所 |
陳祖恩 |
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商工会議所は日本の各地方(大半は市単位)で組成される商工業者の組織だ。主に情報提供や仲介、斡旋、調停・仲裁、契約証明、担当地域の商工事業の統計などを業務にし、法人資格を有している。
戦前、上海にも日本人商工業者の連合組織、日本商工会議所があった。前身は上海日本人実業協会で、1911年(明治44年)11月に、日本郵船会社上海支店長伊東米治郎などが発起した。伊東は初代会長に就任したが、その1ヵ月後に倫敦郵船会社支店長を命ぜられたため、会長職を辞任、横浜正金銀行上海支店長の児玉謙次郎が、次期会長になった。日本人実業協会は中華民国建国、第一次世界大戦勃発など、世界的な事件があった時期、そして紡織業を軸とする日系資本が続々と上海に進出し、上海が日中貿易の拠点になった時期に活動していた。そんな中、中国の関税値下げに向けての尽力や、日本側業者に対し、通関手続きに関する知識などを普及するのに努めていた。1916年、協会は「在支商業会議所連合会」を発起し、対中通商対策などに一致団結して臨む体制を整えた。 |
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| 上海日本人実業家初代会長の伊東米治郎 |
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上海日本人実業協会の事務所は、設立当初は日本郵船会社上海支店内に置かれたが、1914年(大正3年)1月、新しくできた日本人倶楽部ビルに移転した。同年、協会書記長東則正が四川・湖北・湖南・江西・安徽・江蘇などで一期3ヶ月の経済調査を実施し、報告書<<中部支那経済調査>>を完成させた。1919年、更に安原美佐書記長が記した<<支那的工業和原料>>(中国の工業と原料)を出版。上下巻合わせて3千ページある、充実した内容の本である。
1919年4月1日、上海日本人実業協会は上海日本商業会議所に改名。1925年6月には外灘24号の横浜正金銀行3階に移転し、野平道男、田辺輝雄、米里紋吉らがそれぞれ会長を歴任した。日本在華経済権益代表機構を立ち上げた上海日本商業会議所は、中国の実業家との関係を密接にするよう動き出す。1926年5月20日、中国上海総商会が日本視察代表団58名を日本へ派遣。この視察は同会会長虞洽卿曰く「実業を見学すると共に、日中交流の絆をさらに深めるという使命を背負っていた」。6月17日、上海総商会は中国実業視察団帰国祝賀パーティを開催。上海日本商業会議所会長田辺輝雄らが参加し、新人公司が撮影した視察団の訪中記録映画を鑑賞した。 |
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1927年(昭和2年)4月、日本政府が商工会議所法を制定。翌年、上海日本商業会議所は上海日本商工会議所に改名した。同年、新しい形成下での経済対策に呼応すべく、商工会議所を中心にした例会「金曜日会」が開かれるようになった。同会には毎月二回、上海にある日系同業会の代表者たちが参加。主たる会員は在華日本紡織同業会、上海日本棉布同業会、上海日本人紙商組合、上海薬業組合、上海工業同志会、銀行、三井物産株式会社、上海日本海産物商組合、上海日本棉絲同業会、上海日本人糖商会、上海工業薬品同業組合、上海海事懇話会、上海日本谷肥同業組合、三菱商事株式会社、上海弁護士会、満鉄上海事務所など。 |
| 上海日本商工会議所の会員:在華日本紡績同業会責任者。 |
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同会は小冊子「金曜会」も配布していた。1937年7月10日に発行した「金曜会」に掲載された内容は、「海南島の経済価値を被事実化の鉄道・築港計画」「問題点になった 江埠頭開業」「本年度春農作物作付段別と収穫予測」「闇物資不売運動拡大の兆候」「上海ガーゼ公益所投機取締り法」「日中金融聯誼会成立」などだった。経済界の動向の研究や、情報交換などが上海日本商工会議所の主な業務になり、数年以内には会議所内に商工相談所を設け、各種中小企業の業主へのコンサルティングを行っていた。
1938年12月31日、日本領事館が<<上海日本商工会議所規則>>を発布。同規則は、商工会議所会員の組成に関し、「会員は居留民団に一定量の戸別課金を納めている工商業者でなければならない」「会員の中から40名の議員を選出する。任期は2年」と定めている。議員数の比率は、各業種の状況に基づいていた。具体的には金融業3名、運輸業4名、紡織業4名、その他工業5名、綿花および綿製品経営業4名、輸出入貿易業11名、商品輸入販売業6名、国策会社など3名。議員大会は定期大会と臨時大会があった。改組後の会長には三井物産上海支店長塙雄太郎、華中水電副社長青木節が副会長、杉村広益経済学博士が理事に就任した。また、商工会議所事務局は天潼路に移転した。
このほか、<<上海経済提要>>の編集や、<<上海商工録>>の出版なども行っており、所報(毎月2回)、月報、年報など定期刊行物も発行していた |
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陳祖恩 |
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上海社会科学院歴史研究所副研究員。
1994年から上海の日本人居留者たちの研究を始める。著書に《明治時代の上海日本人居留民》《上海日本居留民の子弟教育》《日本僑民在上海(写真集と共著)》などがある。 |
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