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第50回  上海にいた日本人
新公園 陳祖恩 
青々とした山も、清水流れる川もなく、果てなく広いだけだ」内山完造は上海をこう表現し、上海には自然がない、と嘆いた。「幸い、上海には外国人が造った、設備の整った公園がある」「公園のみが私達の無上の楽園だ」。上海居留邦人が集中していた虹口地区には、「新公園」と呼ばれる虹口公園があり、内山完造は虹口で暮らした数十年の間、ほぼ毎日新公園に出向いては、「朝に散歩、夕べに納涼」しており、多くの日本人たちもここで散歩をし、スポーツを楽しんでいた。かつての居留邦人の中で、幾度となく散歩をした新公園を上海の思い出の中に含んだ人の数は少なくない。
1896年、工部局が租界境界外の北四川路の土地を買収し、子場(射撃場)を建てた。1905五年、工部局は更に土地を買い広げ、英国のグラスゴー体育公園をモデルに虹口娯楽場(Hongkew Recreation Ground)建設に着工。1909年に竣工した。同グラウンドは、ゴルフ場とテニスコート十面、グラスボーリング場五ヶ所、サッカーグラウンド三ヶ所に、バスケットボールコート、野球用グラウンド、グラスホッケー場、陸上競技用グラウンドなどがあった。各球技は利用可能期間が定められており、毎年3月1日から10月15日まではテニス、バスケットボール、野球のグラウンドとして使用可能に、10月15日から3月15日はサッカー、ホッケーが楽しめた。1921年、工部局はこのこの虹口娯楽場を虹口公園と改名した。
虹口公園はスコットランドの植物・園芸専門家のマグレガーが設計し、当時、極東で最も美しい公園と讃えられた。正門を抜けると木蘭の並木道になり、並木道の隣には広々とした草地が広がる。草地の中央を一筋の小川が横切り、英国カントリー風の木橋がかかっている。各種スポーツ施設の周辺にはヨーロッパ産の樹木や草花が植えられ、スポーツをしながらも四季折々の自然を楽しむことができるようになっている。当時、上海には公立の大型スポーツ施設がなかったこともあり、第2回遠東運動会(1915年5月15日〜22日)、第5回遠東運動会(1921年5月30日〜6月4日)が虹口公園を借りて催されている。
虹口公園は完成間もなくは、上海居留の西洋人のために開放されており、まだ数少なかった居留邦人たちは大規模なイベントを催すこと典などは全て日本領事館内で開いていたが、1908年に落成した日本式庭園の「六三花園」がその後の居留邦人たちの娯楽場として活躍。1911年、虹口公園が「整った洋服を着た華人の入園を許可する」と規定したため、居留邦人もまた西洋式の庭園を活用できるようになった。1928年7月、虹口公園が正式に中国人にも開放されると、居留邦人の大型式典も同公園で開催されるようになった。1928年11月10日、京都の紫宸殿で即位礼と大嘗祭(天皇の即位後最初の新嘗祭で、一世一度の祭事)が行われた。同日、上海居留邦人たちも虹口公園に集まり、祝賀式典を実施。この式典が日本人が虹口公園で行った初の大規模なものだった。式典は午前と午後の2部構成。午前9時、日本総領事館の遥拝式が行われた後、80歳以上の老人による天杯授与式、居留民団に所属する各学校の拝賀式、マラソンや相撲の競技が行われ、午後になると礼砲の後に、隊列儀式や演劇、奇術などのステージがあり、即位を喜ぶ人々は公園内の草地でダンスをし、夜遅くまでその日を楽しんだ。上海居留民団行政委員長の河端貞次は日本の宮内大臣に向け、即位を祝う電報も打っている。
1932年4月29日には、虹口公園で天長節の閲兵祝賀式典が行われ、数万にのぼる居留邦人が公園に集まった。公園内には紅白の布を四方にはりめぐらし、階段と台に緋色の絨毯を敷いた、高さ2メートル、縦4メートル、幅12メートルの大きな検閲台が設けられた。台の周りには学生と陸海軍の兵隊、そして一部の居留邦人がおり、台上には上海派遣軍司令官の白川義則陸軍大将、日本駐中国公使の重光葵大将、第9師団長の植田兼吉陸軍中将、第3艦隊司令野村吉三郎海軍中将、日本駐上海総領事村井倉松、日本居留民団団長河端貞次、居留民団書記長友野盛の7人が揃った。閲兵式は午前9時半に開始され、11時半に終了。引続き、邦人官民による共同祝賀式典が始まり、海軍軍楽隊の伴奏で参加者たちが《君が代》を合唱している時、突然1人の男性が群衆の中から飛び出し、検閲台に向かって爆弾を投げつけた。大きな爆音と共に爆弾は炸裂し、鮮血が飛び散った。この事件は「虹口公園爆弾事件」と呼ばれ、台上にいた白川義則、河端貞次2名が死亡、その他5人も重傷を負った。犯人は抗日組織、韓人愛国党の党員尹奉吉(ユル・ポンギル)で、その場で逮捕され、同年12月19日、金沢で銃殺刑に処せられた。 魯迅公園
  魯迅公園
(元新公園、虹口公園とも呼ばれていた。)
  陳祖恩  
  上海社会科学院歴史研究所副研究員。
1994年から上海の日本人居留者たちの研究を始める。著書に《明治時代の上海日本人居留民》《上海日本居留民の子弟教育》《日本僑民在上海(写真集と共著)》などがある。
 
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