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上海のドン 杜月笙の軌跡
  杜月笙―1920年〜30年代の上海、裏社会のボスであり、政府の要人でもあった彼の名を聞くと、当時の上海の人々は身を硬くした。既に、彼が亡くなって半世紀以上が経つものの、今でも彼の逸話や武勇伝に興味を持つ人は後を絶たず、彼や彼が治めていた地下組織を主人公にした映画や舞台がいくつも製作されている。
今月は、そんな杜月笙と、彼が生まれた頃のオールド上海を紹介したい。
 
 

 

裏社会のボス、杜月笙。

十六鋪と杜月笙
杜月笙は1888年、浦東高橋にある南杜家宅と呼ばれる小さな村に生まれた。家はとても貧しい農家の上、月笙がまだ幼い頃に両親がこの世を去ったので、月笙は高橋鎮に紛れ込み、隣人たちの施しを受けながら何とか日々を過ごしていた。彼が13歳の時、遠房という男性から、上海に出稼ぎに行こうと声をかけられる。こうして、杜月笙物語がスタートするのである。
杜月笙の本名は杜月生と書き、農村ではよくある名前だ。これを野暮ったいと感じた月生は、学識のある人に学び、名を杜縺A字を月笙と改名した。この改名が、彼に幸運を運んだのかもしれない。 杜月笙は上海に到着してすぐ、遠房小父の紹介で、十六鋪の果物屋の奉公人として働き始めることになった。
十六鋪とは、上海南市の小東門から黄浦江沿い一帯の総称だ。当時は上海に入る主な埠頭と言えば黄浦江であり、各地の貨物は十六鋪を経て上海に、各地から上海に出稼ぎに来た人々もまた、十六鋪から上海に入った。ゆえに当時、 「乗柴爿船従十六鋪上来」(薪を積んだ船は十六鋪から来る)という、初めて上海に出稼ぎに来た人々を揶揄する言葉もあった。
十六鋪沿いには、埠頭と倉庫が林立しており、川沿いの道には茶楼や居酒屋がところ狭しと並んでいた。また、十六鋪全体に屋台や物売りが雲集し、チンピラやごろつきが群れをなしており、上海の商業と貿易の中心でありながら、「放白鴿」「仙人跳」(上海語。色仕掛けで人を呼び、金銭を騙し取ること、またはその人)や「売野人頭(詐欺)」の巣窟と化していた。
また、十六鋪には方浜という小川(現・方浜東路)が流れ、フランス租界と華界の境界線になっていた。華界の人々は河を越えれば租界に入れるため、犯罪者が河を越えると華界の捕快(中国の警察官)は越権できず、見逃すしかない。 同様に、租界の人が河を下ると租界の巡捕(租界の警察官)も対岸でため息をつくしかない。いつしか十六鋪は、上海で最も秩序が乱れたスラムに変貌していった。
昔の上海の童謡に「野野胡、皮老虎、小東門、十六鋪・・・」と歌われているものがある。野野胡とは品質の悪い商品、皮老虎は子供のおもちゃのひとつで、粘土で作った虎の頭と紙製のふいごでできており、ふいごを押すと泣き声がするもの。十六鋪で売られていた皮老虎はとても質が悪く、数回遊ぶとすぐに壊れる代物だった。童謡は、こうした十六鋪一帯の乱れた秩序と劣悪な環境を揶揄していたのである。この十六鋪を本拠地に暗躍した杜月笙は、ある意味「乱世が生んだ英雄」と言えるだろう。


アヘン貿易と青幇の成長


アヘン貿易の早期は、主に広東や福建の船員たちが働いていた。

杜月笙は青幇の「老頭子」(上海語の老頭子は、高齢の男性の意味ほかに、隠語でヤクザのボスを指す)である陳世昌と出会い、彼の徒弟になる。彼に仕えるうちに十六鋪一帯の青幇の「仕事」を任かされ、青幇の「八股党」のリーダーの一人に選ばれるなど、次第に組織の中での地位を確立していった。
青幇は元々は、「漕幇」という名で民間の河川運輸の互助組織として誕生した。漕運(国家が食料を南北大運河で北方に輸送すること)が海運になると、大勢の青幇構成員は運河沿いや長江、沿海の各町に分散し、水上運輸あるいは埠頭での運搬業に就いた。彼らの社会的地位は非常に低く、生活も貧しいものだった。
世間一般に知られているように、アヘン戦争は、中国が英国のアヘン貿易を阻止しようとしたがために起こった侵略戦争だ。終戦後も列強各国は中国へのアヘン輸出をやめようとせず、上海は中国最大のアヘン市場になる。アヘン館が上海の町中にでき、輸入されたアヘンはまず上海港に入ってから全国各地へと運ばれた。19世紀末から20世紀初頭にかけ、次第に「アヘンは人類の生理と精神上に重大な危害を及ぼし、社会全体をいびつに捻じ曲げている」という現状が、西洋諸国の医者や社会学者の知るところになり、諸国市民の、自国、第三国へのアヘン輸出反対運動が勃発。この動きは中国へと波及した。1907年、中国政府は英国、米国、仏国、独国、日本などアヘン輸出主要8カ国と『アヘン貿易禁止協定』を上海で締結。この協定は、「当該協定が有効になった日から、各国は毎年25%の速度でアヘン輸出を減少させ、5年後にはアヘン輸出をすべて終結させなければならない」とし、更に「毎年25%ずつ、くじ引きで選出された上海の租界及び華界のアヘン館は廃業し、5年後には全館廃業しなければならない」と定めている。
アヘン吸引は心を満たしてくれるが、それを止めるのは容易なことではない。このような状況のもとで、協定締結はアヘン輸入を阻止しきれず、逆にアヘン高騰を招いた。『海関(税関)十年報告』の記載によると、1907年の普通アヘンの市価は、50グラム白銀7両だったが、協定有効後の1909年初頭、上海の市価は50グラム黄金1両(= 白銀85両)に跳ね上がっている。つまり、協定締結から2年足らずで、市価は12倍になったのである。
清朝末期、アヘンの貿易、運送、販売は、多くの政府各部門、官吏や軍隊の重要な収入源になっていた。彼らもこの財源を失いたくはなかったが、堂々と協定に背く勇気も実力もないため、密輸に手を染める。そして公然と密輸へ参与し、密輸組織組成に踏み出した。
最大のアヘン集散地である上海の十六鋪は、その最大の埠頭であり、青幇は元々は周到に組織された運輸集団で、各地に勢力を分散させている。清朝官吏たちは自分たちの代わりにアヘン密輸を行う地下組織として青幇を選定。いつしか上海の青幇は大勢力とみなされ、アヘン密輸・輸送・販売を一手に担うマフィアに成長した。そして十六鋪の八股党を束ねていた杜月笙もまた、アヘン密輸権を手中に収め、上海灘一帯で恐れられる大人物へとなったのである。

オールド上海の3大ボスと呼ばれた
杜月笙、張嘯林、黄金栄。
 
   
 



作者紹介
薛理勇  Xue Li yong
1982年より上海市歴史博物館に所属し、
上海史を研究。
主な著書に「上海路名地名拾趣」 「閑話上海」 「上海老城廂史話」「上海掌故辞典」等。



「街道背後海上地名 尋踪」
同済大学出版社
2008年1月出版 38元