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『オールド上海のポリス』
  ポリス(警察)は社会の治安を維持し、犯罪行為の調査のために組織された人々、と定義できよう。その職責と業務内容により、警察の名称は若干異なる。中国では、地域の戸籍・人口、治安を担当するポリスを「戸籍警察」、町の道路交通を担当するのを「交通警察」、刑事偵察、犯罪者を逮捕する業務を担うのを「刑事警察」、更に業務上、制服を着ずに普段着で任務を執行するのを「便衣(普段着)警察」とそれぞれ呼ぶ。古代中国には「警察」という単語は存在せず、警察制度が実施されるようになったのは、上海からである。  
 

 

紅頭阿三
租界のポリス

1845年、英国租界が上海に設けられ、1848年には米国租界、翌49年にはフランス租界も設置された。英米各租界は1863年に合併し、公共租界(日本では共同租界として知られる)へと変貌している。
こうした租界の誕生と急速な人口増加によって、1854年7月11日、町の管理と治安維持のために、租界に工部局(Shanghai Municipal Council)と、Shanghai Police Station が設立された。この機関は現代中国語では、上海警察局と訳されるが、この当時はまだ「警察」という単語がなく、それに相当する機関や職業もなかった。ただ、京畿北京には京城の治安を維持し、安全を守る「巡捕営」という機関があった。 「巡」は巡視や巡ら、「捕」は追捕や逮捕の意味を持つ。巡捕の職権とポリスのそれが比較的近かったので、ポリスは「巡捕」に、ポリス・ステーションは「巡捕房」と訳された。
巡捕と巡捕房は中国に登場した最初のポリスとポリス・ステーションだが、これらは列強諸国が不平等条約を利用して設立したもののため、中国の歴史上ではこれらを中国最初の警察ではなく、中国警察の嚆矢(中国古代の、号令を発布する時に用いる、射ると音のなる矢のこと。転じて物事の発端を表す。)である、としている。
公共租界巡捕房の、その幹部の殆どは英国人で、上海人は彼らを「英捕」と呼んだ。また、警官は英国の植民地、インドのシク地区で募集したため、「印捕」と呼ばれた。インド人は赤い布を頭に巻く習慣がある。白人種とは言え、その顔は日に焼けており、上海では黒い顔の人を「黒炭」と言うことから、頭に赤い布を巻き、黒い顔をした「印捕」を「紅頭黒炭」と言い換え、更に上海語では「黒炭」と「阿三」の音が似ていることから、いつしか「紅頭阿三」と呼ばれるようになった。
この「紅頭阿三」という単語の由来は、別の説もある。上海に来たばかりの「印捕」たちは、中国語も上海語も話せない。中国人に道を尋ねるとき、「私の言いたいのは…」という意味で「I say…」と切り出す。英語を話せない上海人は、何を言っているのか理解できず、ただ印捕はいつも「ア イセイ」「アイセイ」と話し始める、という印象が残り、「アイセイ」と「阿三」の発音が近いことから、印捕は「紅頭阿三」になった、というものだ。
なお、上海租界のポリスのみを「巡捕」と訳したのであり、巡捕とは、オールド上海の租界にいたポリスだけを指す単語である。


上海の警察


オールド上海の小東門。真ん中の別服を着用しているのが警察官
中国と同様、日本も19世紀中ごろに西洋文化の影響を強く受け、日本に新しく伝わった外国語を日本語に翻訳する際、古代中国語を借用して意訳したものが少なくない。だが中には言葉の意味が次第に変化したものや、古代中国語と現代語では全く違う意味を持つようになった単語もある。例えば「革命」とは古代中国語では「天命を以って変革を実施する」という意味だが、日本語の革命は「Revolution」を意訳しているため、古代中国語と日本語で、言葉の意味が変わってしまっている。
また、中国に新しく出現した物(人力車、苦力など)や、外国語の新語に対する造語(法律、哲学など)も行なわれた。そうした状況で、ポリスの日本語訳は「警察」と新たに造語されたのである。
1895年の戦争後、多くの中国人が日本という国の存在を知らしめられ、中国各地で日本という国に関して学ぶ風潮が起こった。1904年、両江総督(江南省と江西省の地方長官、当時の上海は江南省の一部分だった)の批准を経て、上海に日本の制度を模した警察が設立されることが決定。日本の警察学校に一年間留学していた劉景沂という者が帰国し、直ちに上海道台に雇用され、旧校舎を利用した「上海警察学堂」を創設した。第一期生は上海巡防保甲局と、親兵営の中から選抜し、3ヶ月の強化訓練の後に30名が卒業し、中国初の警察官となった。 その後、劉景沂は上海道台の命を受け、上海巡保甲局を「上海警察総巡局」に改組し、中局を総局に、上海城内に東西南北の四支局を設置した。二年後の1907年、警察制度が上海全域に普及され、上海警察総巡局は「上海巡警総局」に再び改組し、4本の道路と19の区域を、巡官・巡長・巡士など千人余りが警備し、更に騎巡・水巡・消防各隊も設置された。中国の歴史上では、劉景沂が創設した上海警察総巡局が、最初の警察なのである。
20世紀に入り、中国社会は不穏になり、政権交代が頻繁に行なわれるようになると、上海の警察機関の名称もひっきりなしに改名、略称が行なわれたが、その構造や支局の配置などに大きな変化はなかった。1927年、南京国民政府が設立し、7月、上海は特別市(現在の直轄市に相当)に指定され、政府行政院の直属となった。 警察機関は上海特別市政府が接収管理し、「上海特別市公安局」と改名。現在、中国の警察機関が「公安局」と称されるようになったのは、これが始まりである。

上海巡警総局 1966 年度上海総工程局警務学堂の卒業証書
 
作者紹介
   
  薛理勇  Xue Li yong
1982年より上海市歴史博物館に所属し、上海史を研究。主な著書に「上海路名地名拾趣」
「閑話上海」「上海老城廂史話」「上海掌故辞典」等。