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『多倫路文化街』
  虹口区にある多倫路は、現在多倫路文化街として芸術的な雰囲気が満ち溢れる街だ。1911年 に公共租界工部局が敷設した道路で、当時は竇楽安路( ダロック・ロード) と名づけられていた。 今月は多倫路の歴史的由来と今も現存する2つの建物について紹介する。  
 

 

George F.Fitch( 費啓鴻) 記念教会

多倫路の名前の由来となった人物、竇楽安( ジョン・ダロック1865年∼1941年) は、英国中国奥地伝道団(The China&Inland Mission)の伝道師で、1887年頃に来中。上海に半公的な、英国子女教会学校のカテドラル・スクールを開校した。英国の外交官の子供達が主な生徒で、同校開校により子供達の就学、生活上のトラブルが解消され、外交官たちも後顧の憂いなく仕事に専念できるようになった。こうして英国政府や在中公務員からその業績に高評価を得たダロックに対し、工部局が道路の一つに彼の名前をつけた。
ダロック・ロードと名づけられた道は、1911年に敷設された、北四川路の端から北に伸び、湾曲して再び北四川路の末端に通じる、わずか500メートルの短いもの。だが、越界築路でもあり、1920年代以降になると上海永安公司が社内上層部の住宅問題を解決するために竇楽安路と北四川路の間に永安里、志楽里などの住宅群を建立。さらに1920年に日本が上海の駐屯権を勝ち取ると、日本海軍陸戦部隊司令部が北四川路の末端に設けられた。更に竇楽安路と施高塔路、北四川路の間に海軍士官用の邸宅を階級別に建立するなど、1945年の終戦まで、竇楽安路は居留邦人を主とした住宅区としてにぎわいをみせた。
現在の多倫路145号にある建物は、2階半建の和風西洋住宅で、三井洋行が支店長宅として1916年に建立したものだ。1950年代に上海市文化局が1930年の上海の中国左翼作家連盟(略称左聯)成立大会跡を調査した際、この建物を当時の大会会場と勘違いした。当時の放行文化局副局長や、わざわざ左聯に出席するために上海に来ていた馮雪峰も、現場に赴いた挙句、そこが左聯大会跡だと認めた。このため、上海市文物管理委員会が同建物を左聯設立大会旧跡として上海市文物保護単位に認定したのである。
実際には左聯成立大会は、中華芸術大学の校舎跡を借りて行なわれていた。1988年、左聯の許幸之連盟員が提供した、中華芸術大学校門を写した1枚の写真から、その写真に写っている建造物と登録されている多倫路145号の建物とが違うことが判明。この写真に基づいて多倫路を調査した結果、多倫路201弄2号(竇楽安路223号)の住宅が、写真の建物と一致。そこで、改めてこの建物を左聯成立大会旧跡と認定し、上海市文物保護単位に指定。多倫路145号は左聯成立大会旧跡記念館として、一般開放されるようになった。

三井洋行住宅
多倫路59号にある建物は、中国風の反り返った軒先と瑠璃瓦が、あたかも道教の寺院のように見えるが、れっきとしたキリスト教の教会だ。中国語では鴻徳堂と名づけられたが、英語の正式名称George F. Fitch Memorial Churchを直訳するなら費啓鴻記念教堂とすべきであろう。フィッチ氏はアメリカ北長老会(American PresbyterianMission,North)の伝道師であるが、1882年に上海の北京路に北長老会の教会を建立。美華書館の管理も兼任していた。上海商務書局の創始者たちの中心的人物だった鮑兄弟も、元は美華書館の従業員で、フィッチ氏の資金援助と協力を得て商務局を創設している。フィッチ氏は「中国のキリスト教は中華化に向かうべきだ。格差のある海外からの管理や拘束から放たれるべきだ」という主張を唱えていた。この信念に基づき建てられた教会が伝統的なデザインではなく、完全に「中華化」したものになり、これ以降、上海を中心に中国の建造物を、現地風のままにデザインしようという動きが起こり始めた。
南市には昔ながらの城門通りがあり、黄浦は商業が、楊浦は工業が、そして虹口では上海近代文化が発展した。早期の新聞や出版、印刷、教育、映画などの文化は虹口が発祥となり、多くの文化・芸術界の名士が虹口に住み、北四川路両側の多倫路、山陰路などの大通りは文化人居住区になっていった。20世紀後期、虹口区は多倫路を「多倫路文化街」と改称し、その特徴をアピール。このプランは、文化レベルの向上と、上海全体の観光地としての開拓に大きく貢献した。現在、商業をどうやって文化と融合させるか、文化商業あるいは商業文化をいかに発展させるかというのが新たな課題となり、ビジネス界、芸術界から注目されている。



今日の多倫路
 
 
作者紹介
   
  薛理勇  Xue Li yong
1982年より上海市歴史博物館に所属し、上海史を研究。主な著書に「上海路名地名拾趣」
「閑話上海」「上海老城廂史話」「上海掌故辞典」等。