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中国の七夕
  陰暦7月7日(今年は西暦8月19日)には、中国でも伝統的な七夕の行事が行なわれる。「夕」 という字は、太陽が西に沈むひと時を指すことから、七夕の行事も、「夕」に関連したものが多い。 また、中国では一般にこれらの行事は、女性たちだけで行なわれ、女性の生活にも関係しているので、七夕の行事を「女性節」と言う人もいる。織姫と彦星が、天の川を渡って会える1年にたった1度の大事な日という伝説から、七夕を中国のバレンタインデーにするべきだという声もあるが、いずれにせよ、中国にとって大事な1日であることに変わりはない。  
 

織姫と彦星

 
 


織姫と彦星の物語は、日本でも悲話として広く知られているが、中国では、長い歴史の中で、各地でさまざまなストーリーが生まれた。その代表的なものを改めて紹介しよう。
銀河の西側に、3つの星が正三角形を作っている。古代中国の機織(はたおり)の梭(ひ)に似ていることから、この星を「織女星(織姫)」という。織姫は、天帝の孫娘とされているため「天孫」「天媛」などの別名もある。
一方、東側にも線上につながる3つの星がある。その中で、もっとも大きく見えるのが、「牛郎星」 (牽牛星)。両隣の星は彼の2人の子供達だ。昔話では、牽牛(彦星)は、元々は地上界で農夫をしており、天上界に住む織姫は、寂しさに耐えかねて、地上界にこっそり降りてきて、牽牛と結婚した。夫は畑を耕し、妻は機を織るおだやかな生活が続き、やがて子供も授かった。だが、このことが天上界の王母に報告されるやいなや、王母は直ちに天兵を2人の下へ派遣し、織姫を天宮に連れ戻した。その後、牽牛は七夕の日だけ家族を訪ね、数羽のカササギで銀河に架けた「カササギ橋」を渡って、織姫に会うことが許された。幸せな夫婦が引き裂かれ、別々に暮らすことを強いられ、1年に1度だけ、「鵲橋相会(カササギの橋の上で再会する)」が許されるという、 とても美しく、残酷な話だ。
唐代の王損之が『観秋河賦』の中で次のように吟じている。
「遠思牽牛、漸失迢迢之状、遥思弄杼、無聞軋軋之声」…牽牛は織姫を想うあまりに畑仕事に集中できず、 織姫は牽牛を想い、手が止まり、機の音が聞こえてこない。
王母が牽牛・織姫夫婦を引き離した行為は、責められるに値し、七夕にしか会えない夫婦も同情を買ってしかるべきだろう。なのに、現代の多くの中国人が、七夕を中国のバレンタインデー、恋人達の日にするべきだと提案しているのには、小生は少々首をかしげてしまう。

乞巧の習慣

中国語で、「巧」と「技」とい う字は意味が非常に似ており、どちらも何かをする時の技巧を指す。古代の女性は、布を織り、その布を裁ち、衣服を縫う技術に秀でていなければならなかった。古代中国の女性の道徳規範として、「三従四徳」というものがある。 三従、すなわち未婚の女性は両親の言うことを、嫁いだ女性は夫の言うことを、寡婦は子供の言うことに従うこと。四徳は、婦徳、婦言、婦容、婦功を指し、中でも「婦功」とは女性が必ず熟練しておかなければならない機織り、裁縫のことを言った。
空に瞬く織姫星。この星は、人々から機織の神様とされ、七夕の夜には、織姫の加護を求め、機織りの技術を伝授してくれますようにと、女性たちが織姫星を拝む儀式や行事を行なう。中国語で「七」 と「乞」は同音異語。七夕のこの 行事は、織姫に機織り技術を教えてください、すなわち「乞巧」(技術を乞う)と呼ばれるようになった。
この乞巧の内容は、どの地方でも、大体同じである。上海一帯では、主に「巧」や「穿巧針」、「七巧板」など数種類が行なわれた。「巧」とは、七夕の前日、小さい桶に井戸水と河の水を入れ、翌日の昼に日光にさらす。水面に薄い膜が出来たら、夕方に刺繍針をそっと浮かべる。針はすぐに沈まず、夕日に照らされながら、桶の底で変幻多様にキラキラ輝く。女 性たちは針の影に向かい、何かめでたい話をして、織姫に加護を願うのである。この風習を「巧」 という。
七夕、女性たちは片手に針を、片手に糸を持ち、見え始めたばかりの月に向かい、針に糸を通す。 この風習は「穿巧針」という。
一方、「七巧板」とは、正方形の厚紙(木板でもよい)を大小7つの三角形に切り分け、鳥や花など、色々な形に組み立てる風習だ。現在では、七巧板は子供の遊びになってしまい、巧や穿巧針は、上海ではもう数十年も、実施している人を見かけなくなってしまっている。

 

七夕の巧果

中国には「巧果」という食べ物がある。作り方はしごく簡単。小麦粉に好みの甘さの分だけ砂糖を加え、水を足して団子に練り上げ、幅1・5センチ、縦3センチほどの薄い長方形に形作り、油で揚げる直前にくるくると巻いたものだ。巧果は本来、織姫に供えるためだけのものだったが、後にごく一般的な食品になった。
清朝の『巧果』という詩の一部を紹介する。

幾多女伴拝前庭、艶説銀 河架鵲
巧果堆盤卿負腹、 年年乞巧双星。

毎年七夕の夜、女性たちは、庭にお供え物を並べ、 織姫と彦星の物語を語り合う。本来、織姫へのお供え物だった巧果も人々のお腹を満たすものになり、若い娘はいい人のところに嫁げますようにと、既婚の女性は丸々と健康的な子供が授かりますようにと祈る。
現在でも、上海の市場で巧果は売られている。だが、これが七夕のお供え物だったと覚えている人 はもうほとんどいない。
陰暦7月は「巧月」、7月7日 は「巧日」と言う。中国の有名な古典小説『紅楼夢』の中に、かしこくて豪胆な王熙鳳という女性が出てくる。王熙鳳には一人娘がい た。小さい頃から体が弱く、生れて数年が経っても名前をつけても らえなかったため、周りの人たちからは、「大姐児」と呼ばれていたが、後に劉お婆さんに「巧姐」と名づけられた。『紅楼夢』 42話に王熙鳳と劉お婆さんの次のような会話がある。
王熙鳳が言った。「…そう言えば、娘にはまだ名前がないのよ。 あなた、娘に名前をつけてくれない?あなたの長寿にあやかりたいし、貧しい農民のあなたが名づけてくれたら、きっと元気に育ってくれると思うの」。劉お婆さんは、笑いながら「彼女はいつ生れたんですか?」と聞くと、「生れた日は良くない日なの、7月7日なのよ」と鳳姐。劉お婆さんは破顔し、「ちょうどいいじゃないですか、じゃあ巧姐児と名づけましょう。『毒を以って毒を制す、火を以って火を制す』って言うじゃありませんか」…。

実際、7月7日は、奇数が重な り、あまり縁起の良い日ではないという説がある。果たして七夕が、縁起の良い日なのか悪い日なのか。これについて、中国の専門家たちは、さらに研究すべきと言えるかも知れない。

 
写真説明    
(1)「穿巧針」をしている様子。
(2)清代に上海で出版された「呉友如画報」に描かれた「巧」。
作者紹介
   
  薛理勇  Xue Li yong
1982年より上海市歴史博物館に所属し、上海史を研究。主な著書に「上海路名地名拾趣」
「閑話上海」「上海老城廂史話」「上海掌故辞典」等。