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二十四節候の中の一つ、立夏は、一般には西暦5月5日、農暦
の四月は春から夏への移り変わりの季節にやってくる。一般に、
立夏が夏の第一日とされていて、この時期は気候が変わりやすく、
風邪を引きやすい。夏になると気温が上がり、免疫力の低い幼児や老人の体は酷暑に耐え切れず、暑気あたりをおこす。江南一帯ではこれを「夏」といい、中国医学では体の弱い人が暑気あたりにより消化機能が混乱をきたす症状から、「夏痿」とも言われた。夏痿は子供に多く、食欲不振や体のだるさ、夏痩せなどが殆ど。こうしたことから、立夏の習慣は夏痿予防に関連する行為になった。清代の上海人、泰栄亮が『上海県竹枝詩』の中に、立夏の習慣について次のような詩を掲載している。
麦蚕吃 吃攤 、
一味金花菜割畦。
立夏称人軽重数、
秤梁上笑喧閙。
立夏の時期、上海は小麦が乳熟する(胚乳が乳状になる)頃で、農家は青緑色の麦を石で擂りだした麦汁を細長い棒状に搾り出した「麦蚕」を作る。形状が蚕に似ていることからこの名がついた。「金花菜」とは、「草頭」という俗称を持つ、ムラサキウマゴヤシのこと。
「 」は米を挽いたしん粉。立夏当日、上海の各家庭では夏痿予防に効く民間療法として、ウマゴヤシ、米粉で使った餅と麦蚕を食していた。
立夏は暑い夏の初まりだ。夏痿を患った人は体がだるくなり、やつれてしまう。体調不良を訴える人が夏痿かどうかは、体重測定で決めていた。立夏、竿秤を梁に引っ掛け、順番に体重を量る。猛暑が過ぎ、秋の気配がそろそろ忍び寄る立秋(西暦8月8日)、再び体重を量る。その体重の増減で、その夏に夏痿になったかどうかを判断するのである。
時代の流れと共に、この立夏称人(体重測定)の由来を知る人は少なくなったが、長い間この風習は続いた。
上海では、この習慣は1970年〜80年代まで行なわれていたが、昔ながらの竿ばかりは体重計に世代交代し、一分銭を払えば道端に置かれた体重計で体重を量ることができた。現在では殆どの家庭に体重計が用意さ
れ、いつでも体重が量れるようになったので、立夏称人の習慣があったことも、次第にみなの記憶から薄れてきている。
立夏吃蛋
立夏の習慣の中で、最も広範囲に浸透していたのが「立夏蛋」だ。この日、各家庭ではゆで卵を作る。更に手先の器用な主婦は麻縄で卵一つが入る大きさのカラフルな袋を作り、子供の胸にぶら下げる。江南の方言では、「蛋」
(卵)と「袋」は同音で、卵が入っ
た袋を胸にかけるのは「代々相伝」
の意味が込められている。長寿と健康に気をつけていれば、「代々相伝」は可能だ。故に立夏に栄養価の高い卵を食べ、袋を胸にかけることもまた、夏痿予防につながっ
ているのである。
上海と江南の風習では、立夏の日には必ず子供に「七家茶」を飲ませる。この日、人々は隣近所や友達が長い間貯蔵していた茶葉を合計七家庭分貰い受ける。それを混ぜた「七家茶」を子供に飲ませることで、夏痿にかからない、とされていた。子供が成長する過程に於いては、必ず何かしら起こるものだ。立夏に七家茶を飲ませるのは、何か起こっても、知人や神の加護を得られますように、子供が健やかに成長してくれますように、という願いも込められている。
ゆで卵は殆ど味がなく、すぐに飽きて一度に沢山は食べられない。そこでいつしか人々はゆで卵を七家茶の中で煮るようになり、味わい豊かな「茶葉蛋」が誕生した。さらに個人の商売人が、桂皮や茴香などの香辛料を加えて売り出したため、茶葉蛋は各農家で作られる立夏名物から、誰もが好む軽食へと変貌した。
筆者が子供の頃、家庭はあまり豊かではなく、社会全体も物資が欠乏していた。卵を食べるのはとても贅沢なことだったが、立夏がくると、祖母が私たちに網袋を編
み、卵を入れて胸にかけてくれた。
この袋を掛け続けるため、数日は中の卵を食べることは許されなかった。が、今、子供の頃を思い出すと、やさしい祖母の顔が浮かぶ。
街を歩き、どこからか茶葉蛋の香りがしてくると、立夏が来たな、と思いを馳せるのである。
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