|
古代の中国人は、生きている人が生活する「陽」の世界の対岸に、亡くなった人が生活する「陰」の世界があると信じていた。人が死ぬと、魂が体からはなれ、陰間世界へと帰る。燃やし、煙と灰になった物は空へと舞い上がり、
その故人の下へと届くと考えら
れていた。この風習が始められ
たのは、遅くても北宋(西暦
960〜1126年)の時代で、
首都の開封には葬儀の際に焚く
紙扎(紙製品)を専門に製造・販
売する「紙馬舗」があった。
清朝末期の上海は、既に人口
300万人を抱える大都市だっ
た。当時の人々は現在に比べ短命で平均寿命は約50歳、そのうち2%が自然死で、毎年約6万の人が亡くなっていた。紙扎を焚くのは上海の風習で、紙扎の製造・販売は上海の「三百六十行」
の中でも、比較的規模の大きな商売の一つに数えられる。清朝末期に、上海環球社が出版した
『図画日報』に、紙扎作りの絵が掲載されているがその絵に添えられた詩が一興だ。
紙扎師傅好手法、扎神扎鬼活像 。
鬼神自古本無形、意想得之虧 扎。
三出花作橋魂灯、禅灯須扎地獄門。
不図世上紙扎匠、恍如親身到過豊都城。
上海の紙扎屋の大部分は、城隍廟と北海路一帯に集中していたが、
1956年以降、「封建・迷信用品を生産する業種」
と定義され、取り締まられた。従業者は一部を除き、大半が文化・娯楽業の大道具などや他業種に転職。
現在、上海市内で紙扎を焚く習慣は殆ど見られなくなったが、農村では今でも葬儀の際によく行われる。
売香斗
海の紙扎は使用目的により二つに分類される。
一つはいわゆる葬礼用品で、「紙扎」
と言うが、もう一つは「紙玲瓏」と呼ばれるもので、各種風習、主に祭礼時に使われる。例えば臘月
(旧暦12月は臘月と呼ぶ)二十四は 君(かまどの神様)を祀る日。
伝説では、この日に 君が天に帰り、玉皇大帝に人間の状況を
報告する。家庭では当日、少しで
もいい報告をしてもらおうと、
大量の紙扎を「 轎」という籠に見立て、その上に 君像を安置
して点火し、 君を「昇天」させる。
今でも正月十五の元宵節は、
「兎子灯」という風習がある。正月十五の夜に上海市内を歩いていると、子供達が集って「兎子灯」
で遊んでいるのを見かけるだろう。とはいえ、殆どが伝統的な紙製からプラスチックに代替わり
しているが。斗は古代中国では、食料を量る道具で、通常は正方錐形をしている。
空に瞬く北斗七星は、7つの星から出来ている星座で、人々はまず北斗七星を見つけておく
と、北極星が簡単に見つけられ、方角が分かる。北斗七星は、ひしゃくの形をしていることから、
「北斗」と名づけられていることは殆どの人がご存知だろう。中国古代の星相家は北斗七星を「魁星」や「文昌星」、つまり受験生の命運を
支配する「文曲星」と考えていた。
古代、科拳に合格して士官するのが、知識人が目指す出世コースだった。当時の試験は三段階に分
かれていた。県・府レベルで行な
われる、試験を「府試」、府試に合格した者は「秀才」といい、省レベルの「郷試」の受験資格を得る。これに合格すると、「挙人」となって
中央政府の「会試」が受験できるようになり、会試合格者は晴れて「進士」になる。
試験は秋の八月(旧暦)に行なわれるため、「秋試」や「秋 」など
とも呼ばれた。八月十五は一年で
最も月が丸い日、家族団らんの日、
そして多くの、家を離れた息子たちが功名のために省城あるいは京城に受験に行く日だった。故に母が息子の、妻が夫の、娘が父の
無事と「蟾宮折桂、秋 奪魁」
(科挙の試験に合格しますように、科挙で一番を取りますように)と祈り、香斗を焚いた。
以下は『図画日報』の「売香斗」
という絵に配された詩である。
八月中秋月団圓、焼只香斗保平安。
昔は香斗を焚くのは中秋の最も尊ばれる行為だったが、
1956年以降、紙扎が取り締ま
られてからは、市場に香斗が出回らなくなった。製造法も難しいため、一般人が自分で作ることもで
きず、次第に中秋の「焼香斗」の習慣は廃れた。現在の上海っ子は、
中秋にこういう習慣があったことを殆ど知らずに生活している。
|