| 古代中国の暦は、農暦(陰暦)であり、新たな一年の最初の日は、正月初一、この日を「新年」と呼んだ(現在の春節)。新年は中国の祭事のなかで最も重んじられている祭日で、宋朝の時代、朝廷が、新年は休日にし、さらに官吏は三日間だけ賭け事を許可。また、町の商店も一律3日間を休業するように規定した。よって商家は初四に新年の開店準備を、初五に店開きをするため、初五は「破五」と呼ばれるようになった。これに関し、『歳時瑣事』に「正月五日は俗に破五日と言い、どんなことでもこの日が来てから始めなければならない」と記載されている。
明朝までは、破五日は単なる「商店の店開きの日」であり、とりたてて行事もなかったが、清朝になると、比較的商業の発展した都市が、破五を商売繁盛を祈る日にし始め、特定の行事も行なわれるようになった。
蘇州の清朝時代の風俗を記録した『清嘉録』に次のようにある。
「正月五日はお供え物をし、爆竹を鳴らし、紙幣に例えた紙銭を燃やしてひざまずいてぬかずく。神様に一年の財運を守ってくれるよう祈り、必ず早朝に路頭神を供養する。この習慣を接路頭という。」
また、次のような詩がある。
五日財源五日求、一年心願一時酬。
提防別処迎神早、隔夜匆匆搶路頭。
この習慣は現在行なわれる「接財神」とよく似ていることから、「路頭」が今日の「財神」に当てはまると考えられる。財神をどうして「路頭」と呼ぶか、そもそも「路頭」とはどういう意味かについて、古人が「路頭は即ち『五路神』を意味する。五路とは東・西・南・北・中耳を指す」と分析をしている。
他の古人の詩にも次のようにある。
人為利所昏、所見無非利。
路頭古行神、今作財神利。
「路頭」は古代の方位を代表する神様であり、各路の神様が一つに集ったもの。商売人が最も好きな「生意興隆通四海、財源茂盛達三江」に相応しい神様と言えよう。
形だけの財神
路頭や五路神は人の心の中だけの仙人であり、具体的な姿かたちはないが、いつしか人々は財神の具体的なイメージを求めるようになった。中国では、神様を作り上げるのに様々なパターンがあり、特に清代以降に色々な財神が作られた。
殷の時代、比干という忠臣がいた。彼は幾度も王に諫言したため、紂王に胸を割かれて亡くなった。古代中国人は、心とは思惟を司る器官と考えているため、漢字で部首として使われる「したごころ」や「りっしんべん」などがついた字は、殆どが思想や精神に関するものが多い。胸を割かれ、心がなくなった比干はもうあれこれと下らないことも考えられず、正義感を持って物事にあたるだろうと、人々は比干を財神と崇めた。
道教の伝説にある秦朝の趙公明は、道を得た後に玉皇大帝から「正一玄壇元帥」を封じられ、道教も彼を、財産を司る神と認めている。民間でも財神と崇めており、趙公元帥の像は、顔は髭に覆われ、鉄の冠を被り、手には鋼のムチを持ち、黒い虎にまたがっていることから、「黒虎元帥」、江南一帯では彼の神号である「正一元壇」または「玄壇」と呼び、祀っている。
民間で財神とされている人物はまだまだいる。三国時代の関公(関羽雲長)は、立派な忠臣として清代以降に財神に祀り上げられた。北宋の岳飛(字は鵬挙)も忠臣で、その「精忠報国」ぶりが民間にも広く伝わり、財神になっている。
上海人と財神
他の祭祀と異なり、財神は財産を司るだけでなく、人々に財運を与えることもできる。ゆえに財神を祭ることは、「接財神」「迎財神」などと言い、商業の発達している都市の商人は特にこの祭祀を重視している。
正月初四が来ると、人々は家の客間に財神を供え、テーブルの上に「三供」または「五供」と各種のお供え物を置き、裕福な人は更に「十番(※)」を用意し、楽器を演奏してにぎやかに財神を迎える。初四から初五に変る子正(深夜12時)になるやいなや、爆竹を鳴らし、にぎやかさは最高潮に。今年の陰暦正月初五は西暦2月22日。もし読者の方がこの時期に上海にいるのなら、上海人の派手な「接財神」を是非体感してもらいたい。
江南の水郷では鯉の一種が獲れるが、非常に泥臭いため、上海人は鯉を殆ど食べず、水産品市場で鯉の姿を見ることも殆どない。だが、鯉はとても均衡のとれた形をしており、古代中国の貨幣「元宝」と似ている。さらに「鯉魚」と「獲利有余」という方言の「利余」の発音が殆ど一緒なことから、上海では、鯉を「元宝魚」と珍重した。正月初四当日、付近の漁民が大量の鯉を上海へと運び込み、赤い糸で二匹の鯉をつなげて一対にし、魚の目の上に赤い紙を貼って「元宝成堆」(対と堆は方言では同じ発音)という縁起物にして売った。上海人は親戚や友達への財運を祈り、贈るのである。もっとも、二日目にはこの鯉はゴミ箱に直行するが。
現在、正月初五の「接財神」の日、上海の人々は爆竹を鳴らす以外の慣習はすっかり廃れてしまった。
※ 十番・・・十班とも言う。かつての芝居の演出のこと。糸や竹、皮、木、金などで作った十の楽器を使うことから命名された。
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