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オールド上海の「三百六十行」 その2
  中国語で、色々な職業のことを「三百六十行」と言う。この「三百六十」は単なる虚数であり、「数多くある」という意味で使われている。どんな職業であれ、何かしらの特徴がそれぞれある。どの職種からも優秀な人物は出るものだ、という意味の「三百六十行,行行出状元」という諺をご存知だろうか。転じて職種を問わず、特に秀でた人を「状元」と言うようになった。  
 
転糖担
 

写真@は清朝末期、上海城隍廟での光景。真ん中あたりにいるのは「転糖担」と呼ばれる露天商だ。記載によると、転糖担が登場したのは現在の蘇州から。麦芽糖と餅粉、食用色素を混ぜた飴を細く垂らして「糖画」と呼ばれる絵を客の前で描いて見せたり、様々な形の食品を背負って売り歩いていた。子供相手のこの商売、更に顧客を増やそうと、一種のくじ引きを始めた。いろんな太さの線が放射線状にひかれた円盤の中央に、一回り小さい回転盤を置く。小銭を払うとこの回転盤を回すことが出来、盤から下げられた指針が止まった線の位置によって、糖画などの賞品が当たる仕組みだった。
  1907年出版の『滬江商業市景詞、担売粉糖人物』の中に次のような一文がある。
  転糖人物制玲瓏,
  更綴絨花幾貼紅。
  提売為名騙賭彩,
  街頭巷口誘児童。
何とか自分が欲しいものを得ようと、何回も何回も回転盤を回す子供の姿が時々見られたが、そうそう上手くは行かないもの。やっぱり得をするのは店側だった。
上海の転糖担は、昔は通りを歩きながらお客を探していたが、今は殆どが小学校の正門近くにある。転糖担の賞品は、糖画やしん粉細工の人形のほか、子供達が喜びそうなおもちゃや絵などがあった。現代の親たちはこうした転糖担に好感を抱いている人は少ないが、彼らが子供の頃は、転糖担に夢中になった記憶が必ずと言っていいほどあるだろう。

呆人看鮮秤
かつて、中国で常用されていた秤は竿ばかりだった。竿ばかりの片側が持ち上がることを上海語で「鮮」という。秤の分銅が500g単位として、竿が水平になればもう片方に吊られた物はちょうど500gということであり、分銅が少し「鮮」すれば、もう片方は「500gより少し重い」ということになる。生鮮市場では家庭の主婦が売り子によく「称得鮮一点」(ちょっとオマケしてよね)と声をかけるが、売り子は「オマケしちゃうと商品が秤から滑り落ちちゃうよ」と切り替えしていた。だが、売り子が標準的な竿ばかりを使っていなかったり、量るときに小細工をしていたりして、分銅が高く「鮮」したように見せることもあった。このことから表面しか見ず、本質を見抜けないことを「呆人看鮮秤(まぬけが見る竿の傾き)」と言った。騙されないようにと、竿ばかりを持参して自衛する買い物客たち。Aの挿絵は1910年に上海環球社が出版した『図画日報』の中の「市場の混雑」と題されたもの。竿ばかりを持参している主婦の姿がいくつか見られるのがお分かりだろう。
もう一枚は1930年代に撮影された写真Bだ。黄包車に乗った主婦が片手に買い物籠を、反対側に自前の竿はかりを持っている姿がある。早朝に生鮮市場に買い物に行くのは主婦の必須業務。この当時の上海ではまだ排水設備が整っておらず、雨が降ると道路が浅い川になることは当たり前だった。主婦たちはわざわざ車を雇ってまで市場に行くくせに、売り子に小銭をごまかされるのを何より嫌う、という矛盾したプライドを持っていたのである。
今日、伝統的な竿ばかりは電子秤やバネ仕掛けの秤になった。だが相変わらず売り子が小細工をして重さをごまかそうとするので、今でも小さなバネ秤を持ち歩いている買い物客が存在する。


 
測字攤
最後の写真Cは旧上海の町並みを撮ったもの。何をしているところかがすぐに分かる日本人は少ないだろう。いや、若い中国人も分かるまい。これは昔は上海のあちこちでよく見られた「測字攤」をしている光景だ。
漢字は基本的に角ばった文字。複雑な文字は幾つかの簡単な字が組み合わさって出来ている。例えば「朝」という漢字は十・日・十・月の四つの漢字に分解できる。このように文字をヘンやツクリなどに分解し、その意味によって占う文字占い師がいた。あらかじめ中に一つの漢字が書かれた紙包みを円形に並べ、客はその中から一つを選ぶ。選んだ漢字を分解し、その人の運命を占うのが測字攤だった。
昔の中国の人々はとても迷信深かった。通常の生活面では特に問題が無ければ占いに行こうなどとはしない。順調なときに占いを行なうと逆に運気が悪くなるとも思われていた。ゆえに占いに行く人は何かトラブルが起こったり、悩みを抱えている人たちばかりになり、結果的に文字占い師は現代の心理カウンセラー的な役割も果たすようになった。占い師はまず言葉や顔つきから、客の職業や家庭状況、どんな悩みを持っているのかなどを推察した上で、客に漢字を選ばせて占っていた。

 
  占い師の殆どは曖昧な表現をするので、相手はその言葉が当たっているようなそうでないような気分になる。だが占いのセオリーとして「嫌なことは先、良いことは後に言う」「凶は吉に転ずる」というのがあるため、客が近いうちに思い通りにならないことや、危険なことに遭遇するという結果が出ても、神様や善良な人の助けにより、その凶が吉に代わる運命にある、と告げるのだ。露店を開いて人を騙し、小銭を稼ぐ占い師もいたが、本当に不幸な出来事や重い悩みを抱えた客が、占い師の巧みなカウンセリングで、無謀な行為や自暴自棄になりかけていたのが収まったり、自殺を思いとどまった人もいたという。
運命判断は、結局は非科学的な迷信的行為だ。1960年以降、上海の占い師達は一斉に取り締まられてしまい、表立っては二度とその姿を見ることはなくなった。だがその人気が衰えることはなく、今でも「占ってあげようか」と道行く人に声をかける占い師の姿はよく見られる。
 
写真説明    

@清朝末期、上海城隍廟で「転糖担」と呼ばれる露天商。
A市場に行く主婦は竿ばかりを忘れない。
B1930年代に黄包車に乗った主婦が竿ばかりを持っている姿。
C旧上海の「測字攤」。

作者紹介
   
  薛理勇  Xue Liyong
1982年に上海市歴史博物館に所属し、上海史を研究。主な著書に「上海路名地名拾趣」「閑話上海」「上海老城廂史話」「上海掌故辞典」等。