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オールド上海の「三百六十行」
  中国語で、色々な職業のことを「三百六十行」と言う。どんな職業でも、それぞれ特徴があるものだ。オールド上海時代、市民の生活に密着した色々な商売があり、彼らの店や行商する姿が上海風情に色を添えていた。上海の発展と共に廃れ、もしくは技術や営業方法を変えてしまったかつての商売を、今月から数回に渡り、紹介していく。  
 
補碗匠
 
中国は陶磁器の国。江西省の景徳鎮は磁器の都として名高く、ここで生産される磁器は全国各地で愛用されている。
磁器は壊れやすく、うっかりするとお碗や盆、湯のみや壷などが欠けてしまう。だが粉々に割れていなければ、補修して再利用が可能だ。上海にはこうした磁器の修理人「釘碗担」が沢山いた。
釘碗担は先端にダイヤモンドがついた錐で破片に小さな穴を開け、銅線の両端を敲いて尖らせた「騎縫釘」をこの穴に差込み、破片同士をつなぎ合わせて補修する。中国のことわざに「没有金剛鑽、別攬磁器活」(ダイヤの錐が無いのなら、磁器修理を請け負うな)というのがある。試練に耐えうる技量が無いなら嘘をつくな、という意味で、磁器補修から生まれた成語である。
1906年に出版された『滬江商業市景詞・釘碗』に、次のようにある。

  鋼鑽釘碗喚門前、小巧銅攀密搭連。
  修補完成無漏泄、藉資糊口巷中穿。
  
補碗は茶碗の上に打たれた釘の数で修理代を決めているが、一つの茶碗の修繕費用は新たに買うよりもかなり安いため、茶碗が割れてもすぐに捨てず、補碗匠が家の前を通るのを待つ。余分な出費を控えられるし、補碗匠もこれで糊口を凌いでいるのである。
@の写真は1930年代の、上海のちいさな路地でのワンシーンを撮ったもの。補碗匠が左手に持っているのはダイアモンド。右手に持った荒縄をダイアモンドに巻きつけて縄を一気に引っ張ると、ダイアモンドが高速回転し、碗に穴を開けられる。
既述のように、江西省が中国磁器の主な産地であるため、補碗匠も江西人が殆どだった。ダイヤで磁器に穴を開けるとき、「ギコ、ギコ」と言う摩擦音がする。上海人は自分のことばかりで他人のことを考えないことを、「自顧自」という。この単語の上海語音が「ギコギコ」にとてもよく似ていることから、「江西人補碗・・・自顧自」という歇後語(二つの部分からなる成句で、前の例えの部分だけ言って後の部分を自然と推察させる、しゃれ言葉の一つ)が生まれた。これは現在でも使われるのだが、なぜ「江西人補碗」に「自顧自」が続くのかを理解している人はあまりいない。
1950年代になると、磁器自体の値上がりは殆どないものの、人件費が急騰したため、補碗の手数料は新しい碗を買うよりも高くつくようになった。また、接いだ茶碗は所詮壊れた茶碗であり、新しい物より価値が低い。1960年代初頭にはまだ補碗や補碗担の姿が見られたが、その後は全く見かけなくなり、おそらく1965年頃には補碗という職業はなくなったと思われる。

 
蔑竹担
かつて、中国では様々な竹製の日用品があった。椅子や床机などの家具の他、最も使用頻度が高かったのが竹かごや竹ざるで、各家庭に様々な竹製の道具があふれていた。
竹細工は、竹を割って作った細い竹ひごを編んで作る。ずっと使っていると、この竹ひごがちぎれてしまい、使い勝手が悪くなる上、あちこち破れてしまった場合などは、捨てるしかなくなる。そこで登場するのが、かつては千人はいたといわれる「蔑竹匠」。竹細工の修理を生業とする人たちだ。商品の5分の1の値段で修理が出来る上、修理後の見た目は新しく買ったものと殆ど区別がつかないため、竹製品が壊れても主婦はそれを捨てずに取っておき、蔑竹匠がやって来るのを待った。
Cの写真は1930年代の、上海の石庫門弄堂を撮ったもの。竹ひごや土台だけ編んだ竹かごなどを横に置いた蔑竹匠が、当時の上海家庭での必須道具「淘蘿」の修理をしている一枚だ。
「淘蘿」は網ザルのこと。米を炊く前に米を洗うが、その行為を上海人は「淘米」と言う。淘蘿の中に米を入れ、淘蘿を水の中でしばらくゆすり、米を研ぐ。また、当時は買ってきた米に砂が雑じっていたので、こうすることで米の中の砂を取り除くこともできた。
冷蔵庫がない時代の日常生活は不便なこともあった。例えば料理を作るとき、少なければお腹一杯にならないし、たくさん作って余ってしまうのはもったいない。淘蘿はこんな時にも活躍した。暑い夏、炊き上がったご飯や余ったご飯を淘蘿に入れ、ガーゼで覆っておく。淘蘿は通気性に優れているので風通しのいいところに置いておけば、1、2日はご飯を傷めずに保存できた。この使い方から、淘蘿は飯蘿とも呼ばれた。
1910年の上海出版『図画日報』にある『営業写真・做飯蘿』という写真に配された詩がちょっと面白い。

  劈細蔑練做飯蘿、大蘿足盛飯一鍋。
  小蘿亦容数十碗、装飯似比飯桶多。
  乃知飯桶真無用、若用飯蘿何用桶。
  莫怪無用之人飯桶呼、不但只能装飯真惶恐。

この詩の中の飯桶とは、木製のおひつを指し、中国語で、「ごくつぶし」や「無芸の大食漢」も意味する言葉だ。
1970年代に入ると、竹細工の生活用品がどんどんプラスチックに代わり、蔑竹匠も次第に姿を消し、現在では上海近郊の小さな鎮に何人かいるのみである。

 
写真説明    
@ 1930年代の補碗匠の写真
A 1910年に出版された「図画日報・俗語画」・「江西人補碗」
B 「図画日報・営業写真」・做飯蘿
C 「淘蘿」を修理している1930年代の蔑竹匠
作者紹介
   
  薛理勇  Xue Liyong
1982年に上海市歴史博物館に入り、上海史を研究。主な著書に「上海路名地名拾趣」「閑話上海」「上海老城廂史話」「上海掌故辞典」等。