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上海のホテル・・・リチャード・ホテル
  2006年6月30日、黄浦江沿いの浦江飯店で「Whenever SHANGHAI 」 のパーティが開かれた。浦江飯店は上海を代表するオールドホテルの一つであり、その重厚味あふれる外観と雰囲気に、パーティ参加者も興味を抱いたようだ。今月はこのホテルの歴史や特徴、それにまつわる物語を紹介する。  
 
ホテルの誕生


 
浦江飯店の前身は「リチャード・ホテル(礼査飯店)」と言い、近代上海でいち早く登場した西洋式ホテルである。
1843年11月17日の上海開港後、世界各地から陸続とやってくる外国人の、当座の停留場所として、西洋の旅館業が上海に進出した。記載によると、1846年12月22日、英国租界の居留外国人が、租界の都市計画・建設・管理のための「上海道路埠頭委員会」を組成。その結成・設立会議はリチャード・ホテルで行なわれた。1860年頃、ヘンリー・スミスという英国人がこのホテルの経営を引きつぎ、名をアスター・ハウス・ホテルと改名。だが中国語名は礼査飯店のままにした。1900年代に入り、スミス氏がリタイアし、帰国すると、ホテルは匯中洋行が買収。このように経営者が幾度か変わったものの、ホテル自体は常に知名度の高い「老飯店」として多くの人々に利用されていた。
中国の伝統的な宿駅や木賃宿とは違い、リチャード・ホテルは客に部屋を提供し、宿泊させるサービスのほかに、レストラン・バー・喫茶室やビリヤードルーム、ダンスホールなどを設け、宿泊客以外にも開放していた。
1872年5月18日付の『申報』に「海上逐臭夫」のペンネームで寄せられた次のような滬北竹枝詩が掲載されている。

  牛酥羊酪作常餐、巻餅包麩日爆干。
  留行中華佳客到、快呼捧上水晶盆。
  銀刀鋒利割鮮来、脯膾紛羅盛宴排。
  伝語新厨添大菜、当筵一割己推開。

これはリチャード・ホテルで食べた西洋料理について歌った歌である。

  小飲旗亭酔不支、玉瓶傾倒酒波遅。
  無端跳舞双携手、履靴居然一処飛。
  璃杯互勧酒休辞、撃鼓渊渊節奏遅。
  入抱回身歓己極、八音筒里写相思。

ホテルで酒を飲み交わし、ダンスを楽しむ情景が歌われている。        
早期のリチャード・ホテルは、広々とした庭のある、英国の農村風のホテルだったが、オープンから数十年も経つと老朽化が進み、設備やインテリアも時代遅れで、改築が余儀なくなった。更に租界の電車敷設計画が進んでおり、そのうち8番路線が、楊樹浦路の端から楊樹浦路・百老匯路(現・大名路)を通り、蘇州河を越えて外灘に抜け、十六鋪までを往来する予定で、ホテルがこの路線の敷設予定地に引っかかり、且つ外白渡鉄橋の土手のアプローチの設計が少々長く設けられていたため、リチャード・ホテルは敷地の一部を提供するように要求される。時間をかけた交渉の結果、リチャード・ホテルは工部局から多額の土地提供費と賠償金を受取り、ホテルの改築に着手した。


改築後のリチャード・ホテル
新しいホテルは1906年に着工し、翌年に竣工。上海でも富みに有名な建築設計事務所、新瑞和澤行がその設計と監督を請け負った。レンガと石を用いた五階建てで、デザインは新・古典主義に属する。敷地面積3900平方メートル、建築面積は1500平方メートルあった。
ホテルは南向きで、黄浦路沿いを正面にし、西側は外白渡橋の北のたもととつながる熙華徳路(現・長治路)に面している。開通予定の電車はこの道を通過するので、側面は西側に設けた。正面の中心にある玄関の左右の外壁は対象にデザイン。これは新古典主義をベースに、ルネサンス時代のデザインを用いた慣用的な手法で、更に正面の1・2階、3・4階、5階の外壁はそれぞれ異なる三つのデザインを採用。これはデザインを上下三段階に変化させることで、立体的な視覚効果が生まれる上、建物全体を均整が取れ、落ち着いた雰囲気に見せることができる。1・2階の外壁には大きなアーチ窓が、3・4階は四角い窓がデザインされている。3・4階には更にイオニア式の非機能的装飾用柱があり、その上の五階部分の外壁には横に広いアーチ型の窓。こうした変化に富んだデザインは人々の目を引くのに十分だった。
リニューアルした建物の西南の角は、蘇州河と外白渡橋に面していて、最も景色がいいポイントのため、設計士はここに塔を増築。この塔のおかげでまた新たな様式が加わり、建物の高度が上がり、全体に勇壮感が増した。だが残念ながら、塔の最長部が破壊されたため、こうしたメリットも半減してしまっている。
内装もとても豪華だ。殆どのスウィート・ルームや客室は、家具とマッチするよう壁にチークの羽目板を用い、高貴な雰囲気を作り上げている。ホテル内にはレストラン・会議室・バー、喫茶室、娯楽室なども設けられ、二階には凝ったデザインの小さなカジノまであった。
1922年、相対性理論を唱えた、かのアインシュタインがパレスチナ・エルサレムを訪れるためにアメリカ西海岸を出発。途中上海に立ち寄り、12月31日にリチャード・ホテルでアメリカから発信された、相対性理論でノーベル物理学賞受賞決定の電報を受取っている。
1949年以降、居留外国人が次々に中国を後にし、中国は質素な生活を市民に提唱。利用者が激減し、経営困難に陥ったリチャード・ホテルは、上海市房地産部門に接収管理され、1950年後には華東紡織管理局、中国茶葉進出口公司などの機関がテナントとして利用していた。1959年、ビルの財産権は上海市機関事務管理局に帰属することになり、大規模な改築の後、浦江飯店と改名し、上海市人民政府の中級招待所として利用された。
現在、浦江飯店はリチャーズホテル時代の面影とイメージを再現させるべく、大規模な改築計画が進んでいるという。
 
写真説明    
写真説明
@ 早期のリチャード・ホテル
A 改築後のリチャード・ホテル 正面
B 改築後のリチャード・ホテル 西南の角
C 改築後のリチャード・ホテルのホール
作者紹介
   
  薛理勇  Xue Liyong
1982年に上海市歴史博物館に入り、上海史を研究。主な著書に「上海路名地名拾趣」「閑話上海」「上海老城廂史話」「上海掌故辞典」等。