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2月19日の観音誕と挑青節
上海の言語と文化を研究するには不可欠な《滬諺》という本がある(1922年出版、呉祖徳著)。上海の諺や民謡が収録されたこの本の中に「2月19、晩食タニシ,称“挑青節”」「過仔挑青節,天陰也不冷」という諺が掲載されている。この挑青節とはどんな日なのか、仏教とどういうつながりがあるのかを、今回はたどる。
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二月十九の観音誕
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観音は仏教で唯一の女性菩薩だ。観音菩薩は本来「観世音」だったが、唐代の避唐太宗李世民の命で「観音」に改称した。一般に、音は耳で聞いて判別するものだが、観音は目で音を観察し、物事の判断ができるという。それだけでも彼女が非凡であることを証明している。彼女は仏の国ではあたかも「婦人部部長」のような役割を有しており、女性のための奉仕をその肩に担うという重責を負い、女性信者からの深い敬愛を受けている。観音の化身も千変万化しており、女性達が大きな困難にであったときは千手観音に助けを求め、前途多難なことがあれば千眼観音に、子宝と幸せを祈る対象は送子観音だ。要するに、観音は女性の守り神であり、福音である。
多くの仏教典籍に、観音の俗身は梁朝の妙岩公子とある。妙岩公子は2月19日に誕生し、菩薩になったのは6月19日。ゆえにこの2日は観音を記念する日とされ、特に2月19日の観音誕は盛大に祝われている。 |
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仏教とタニシ |
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仏教典籍には「仏は生まれつき、非凡な素質が外観に現れている」とある。その非凡な箇所は全部で32ヵ所あり、「32種類の相のうち、第31種を”頂髻相“といい、非凡な頭髪をしている」。頂髻相はまっすぐ、もしくはわずかにウェーブがかったものだが、仏の頭髪は1つ1つがタニシのような曲げでできており、その中に知恵と機敏さが詰まっているそうだ。
中国の仏教故事の中には、タニシが関係する話が少なくなく、中でも「女遺螺殻」というのが有名だ。元朝の時代、謝瑞という少年が海辺で法螺貝を拾い、家に持ち帰った。すると彼が毎日仕事から帰宅すると、すでにテーブルの上にできたばかりの料理があり、家の中がきちんと片付いているように。この状況に驚いた謝がいつもより早く帰宅すると、かわいい女の子が彼のために料理をしている場面に出くわした。彼女曰く、自分は仏の国の使者であり、謝を助けるように命を受け、やってきたという。だが謝にばれてしまったのでこのまま暇を告げる、と言って出て行ってしまった。この物語は後に「タニシ姑娘」という演目で芝居になり、中国各地に広まった。
また、ある女性が天台山に参拝に行き、寺院の山門をくぐったところ、和尚が彼女に「すぐに家に帰って数千の命を救いなさい」と告げた。彼女はお線香も上げぬまま家に飛んで帰ると、息子の嫁が田んぼから1カゴのタニシを掘り出し、料理の準備をしていた。タニシを田んぼに返してやった彼女の願いはその後叶えられたという。 |
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2月19日の挑青節
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陰暦2月19日(今年は西暦3月18日)は観音様の誕生日。各地で盛大にその誕生が祝われる。中国仏教の4大名山である普陀山・九華山・峨眉山・五台山には、それぞれ観音菩薩・地蔵菩薩・文殊菩薩・普賢菩薩が祀られてあり、観音誕当日は、観音菩薩を祀る普陀山が一番盛大に祝い事をする。
かつては上海にも規模は大きくはないにせよ、いくつかの観音を祭る寺院や庵があった。仏教では、放生―魚や鳥などの小動物を解放することを、慈善の一種としている。土地の習慣や風土に合った行動を取る上海人たちは、2月19日の夜になると、花鳥市場や生鮮市場で鳥や魚を買い、逃がしてやるために、この日1日は、小動物の需要も非常に高くなる。近郊の農民たちは魚やタニシ、鶏や亀などを大量に市内に持ち込むが、中でもタニシは仏教と縁の深い生き物であり、捕まえやすく値段も安いとあって、仏教徒の大半がタニシを購入。タニシの売り上げはこの日一気に上がるが、2月19日が過ぎると価格は暴落。タニシを食べるなら挑青節があけた頃が一番だとよく言われる。
仏教徒や僧侶からすれば、こうして一般市民がタニシを買いあさる姿はあまり好ましくは思えない。彼らは《螺 経》(タニシ経)という民謡を作り、タニシを食べるなと勧告した。
「衆人よ、タニシ経を聴くがよい。昼は浜辺を歩き、夜は村に眠る。村人に会えば両手両足を縛られ、99の子供達とあわせて百余り(が捕まる)。家族全員鍋に入れられ、私を煮、私の肉をほじくり、私の筋を抜き、残された殻だけが部屋の隅に捨てられる。トコトコとやってきた鶏が聞くのは殻が落ちる音。観音様が見るのははらはらと流れる涙なり。」
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写真説明 |
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1. 上海豫園沈香閣にある観音像
2. 送子観音像
3. 観音像 |
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作者紹介 |
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薛理勇 Xue Liyong
1982年に上海市歴史博物館に入り、上海史を研究。主な著書に「上海路名地名拾趣」「閑話上海」「上海老城廂史話」「上海掌故辞典」等。 |
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