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新年と年画
正月初一は新しい一年が始まる最初の日。ゆえにその日を「新年」とも言う。中国で最も大切な伝統的祝日のこの日には、旧年に別れを告げ、新年を迎え、祝うための様々な風習がある。年画を貼るのもそのうちの1つである。
1,2中国の農歴は、陽暦と陰暦を合わせたものである。立春や春分、立夏、夏至などの24節気は陽暦から来ており、地球の周りを太陽が1周する(古代はそう考えられていた)期間の365日と1/4日(1太陽年)を24等分したもので、1節気はおよそ15日間ある。陽暦は比較的四季の気候に合っている。一方、農業生産のために用いられるようになった陰暦は、月の満ち欠けの1周期を1月とした。1月は29日と1/2の一日、12ヵ月で1年、1年は354日になる。この陰暦の1年と陽暦の1年では毎年10日前後のずれが生じるため、古人は19年に7つの閏月を設け、その誤差を修正した。今日、世界中で通用されている西暦は、この陽暦で、中国の農歴の立春は、西暦2月4日(まれに3日や5日)にあたる。立春とは「春の始まり」。農歴の正月初一、一年の始まりであるこの日は、毎年ほぼこの立春の節気内にある。ちなみに今年は西暦2月9日が正月初一である。

  年画の起こり  
  3年画の起源は遡ること約千年、唐朝にある。《唐逸史》によると、唐明皇が病に伏している時、蘭袍を着た自称“終南山進士”の鬼が、小鬼を追いかけてつかまえ、噛み砕いて食べてしまうという白昼夢を見た。更に鬼は「人に害をなすもの全てを消滅させる」と誓った。夢から目覚めた唐明皇はすぐに絵師呉道子を呼んでこの物語の絵を描かせ、その絵を自分の寝室に飾った。宋代になり、中国の彫刻技術、印刷技術が進歩。宋煕寧五年(1072年)、皇帝が絵画職人に呉道子が描いた鍾馗像を木版に彫り、印刷して大臣たちに下賜するよう命じた。木版印刷は新年の前に大量に販売されたため、こうした年越しのための絵を「年画」というようになった。  
  変わりゆく年画
  年画は邪気払いや災害避けを祈って、飾られるものだったが、新年を迎えるにあたり、人々が願うのは吉祥だ。ゆえに年画の図案も、明代の頃には徐々に変化した。年画イコール鍾馗像だったのが、農民が何よりも強く願う五穀豊饒を始め、招財進宝(財宝を招く)、家庭の安泰などをテーマにしたものが描かれるように。また、中国の封建社会の宗法(同族支配体系制度)では子孫の数が多ければ多い程よいとされていたため、子宝に恵まれ、子孫繁栄の願いをこめた母子の絵や子授け観音、百子図(百人の子供が描かれた図)なども伝統的な年画の図案になるようになった。
広大な中国、民族によって伝わる故事はもちろんのこと、その地域の経済や文化の差があり、必然画風にも地域色が表れ、各民族に伝わる故事も、年画のテーマになるようになった。中でも北方風を代表する天津の「楊柳青」年画と江南風を代表する蘇州の「桃花塢」年画は特に有名で、天津・蘇州は中国最大の年画製作・発行市場でもあった。
伝統的な年画はどれも木版に水性顔料を塗って印刷したものだ。だが木版では木目が粗く、水性顔料で印刷すると溶けにくいため、シンプルな図案で線も太いのが特徴だった。だが後世の芸術家たちは、この特徴もまた原始的で荒々しい画風だ、として好み、現在でもなおこの方法で年画を製作する者も数多くいる。
 
  上海の「小校場」年画  
  4近代に入り、西洋の石版印刷技術が上海に伝わった。天然の多孔石を版材に、脂肪性の墨で印刷したい図案や文字を直接描くか、写真撮影と同様、版材に転写させ、必要な処理を施して印刷するものである。水と油が合い反する性質を利用して、印版を湿らせて石版の微孔を水で覆えば、既に脂肪性の墨で描かれた箇所は水を反発するので、上手く印刷でき、現在のオフセット印刷もこの方法から端を発している。石版印刷だと、印版を彫る手間が省ける上、細かな模様や文字も印刷可能なため、印刷品の品質は一気に向上した。1884年頃、上海の著名近代風俗画家呉友が上海城内の小校場に飛影閣石印書局を設立。これを機に、 香閣、趙一大、孫文雅、源興、彩雲閣、呉錦記、泰興、新記、義盛齋など数十軒の石印年画工房と商店がつぎつぎに小校場に建ち、近代に興った石印年画は「小校場年画」と呼ばれるようになった。
上海は華麗ににぎやかな洋場だ。外国人からすれば、単なる中国の一都市にすぎなくても、上海以外に住む中国人からみれば、西洋化された街であり、中国人には不可解な出来事がこの街では毎日発生していた。こうした出来事は「西洋鏡」と総称され、西洋鏡を題材にした年画も出回るようになった。西洋鏡年画は伝統的な年画よりも図案が精密で、奇妙で心惹かれる物だったために瞬く間に人気がでて、すぐに伝統的な年画を凌駕した。
小校場石印年画は、中国の伝統的な木版年画を単に技術面で駆逐したのではなく、年画の内容を大きく変えたことに注目すべきであろう。だが、石印年画はその登場からわずか十数年後に伝わった亜鉛版やゴム印の技術が、あっさりと石版印刷をその地位から蹴落とした。そのため、世に出回った石印年画の数は少なく、現在残っている状態のよい石印年画は数千元から数万元の値がついている。
 
  写真説明
  1  年画に胸が出ている絵も開放の上海にしか見られないだろう
2  1879年アメリカサーカスの上海公演も年画に残した
3  「一団和気」という家族円満のめでたい年画
4  上海風情たっぷりの蘇州木版年画
 
  作者紹介
  薛理勇  Xue Liyong
1982年に上海市歴史博物館に入り、上海史を研究。主な著書に「上海路名地名拾理」「閑話上海」
「上海老城廂史話」「上海掌故辞典」等。
 
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