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OLD SHANGHAI 9月号
旧暦八月十五日は中国の中秋節。今年は陽暦九月二十八日にあたる。中秋節は中国でも最も重んじられる伝統的な祝日の一つで、家族団欒の意味も含む。今月は中秋節の由来や習慣を紹介する。 |
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■中秋節 |
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中秋と月 |
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中国の旧暦では、四季の一季(三ヶ月)を順に「孟・仲・季」と呼び分けている。八月は秋の二月目なので「仲秋」だったのが、簡略化され、「中秋」と記されるようになった。旧暦とは陰暦とも言い、月の満ち欠けの周期によってその暦は変化する。毎月初一は月が見えないので、「朔」と言い、十五の夜は満月なので「望」と呼ばれた。中国古代の陰陽術理論は、万物は陰と陽の二つに大別できる、というもの。太陽は陽に属し、月は陰に属す。男性は陽で女性は陰。ゆえに中国では月に関係のある祝日も、女性と関係があることが多い。民間では中秋は一年で最も月が丸い日だから、その日は女性たちと共に子宝に恵まれるようにと願いを込め、一家団欒する日としている。
中国の神話に、次のような話がある。后ゲイ帝の妻嫦娥はある日、帝が西王母からもらった不老長寿の薬をこっそり飲んで月まで飛んで行き、月の主、そして女性を司る女神になり、一匹のウサギだけが彼女のそばに従った。
この「嫦娥奔月」は民話の中でも一番普及している話であり、毛沢東も詩《蝶恋花》の中で「寂莫嫦娥舒広袖、万里長空且為忠魂舞」と、この物語を引用している。 |
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「齋月宮」と「走月亮」 |
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中秋に行われる祭月は、最も典型的で、最も古い祭事であり、主に女性と子供が参加する行事だ。中秋の夕方になると家の女たちは客間の条案(装飾品を飾るための長テーブル)を天井(中庭)に運び、条案の上に花瓶やドライフルーツ、月餅などをお供えし、ろうそくに火を点し、子供たちに月を拝ませる。この一連の風習を「齋月宮」という。中国北方では、紙に月と一匹のウサギを描いた「月宮符像」を作り、月を拝んだ後に燃やす。江南地域では月宮符像は使わず、月を拝むだけだ。筆者が幼い頃、母と共に齋月宮を行ったのを記憶しているが、その時に母から教えられたしきたりがある。「齋月宮のときは月を指差しては駄目よ、もし指差したら月の神様があなたの耳を割ってしまうのよ」これを聞いてからというもの、私は齋月宮のときには決して月を指差さないようにした。おかげで今でも私の耳はちゃんと普通の形で顔の両側について機能してくれている。
月を拝んだ後は、供えた月餅やドライフルーツを家族で分け合う。これは子供たちが齋月宮を心待ちにしている一番の理由だ。齋月宮が終われば女性たちは連れ立って外出ができ、近所の尼僧庵で願掛けなどを行う。水の多い江南地方では、自家用の船に家族で乗り込み、近くの川へ月を愛でに行くこともある。これは「走月亮」と呼ばれる風習で、筆者が幼い頃に母が「中秋に走月亮すると、その後はずっとお月様があなたの後についてきて、あなたをそばで守ってくれるのよ」と教えてくれた。有名な歌謡歌手の董文華が歌う《月亮走、我也走》という歌も、走月亮の風習を引用している。 |
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斗香の由来と意義 |
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清代の人物、秦栄光は、上海の鎮守の神である秦裕伯の末裔で、著名な上海史・風俗史学者でもある。その彼が《上海竹枝詞》の中で、次のような歌を詠んでいる。
中秋賞月競開筵、月餅堆盤月祥圓。
礼斗香還焼大闘、南園向最盛香煙。
秦栄光自身が、「中秋の日には月を愛で、斗を拝み、斗香を行うもので、南園に向かって盛んである」と注釈をつけている。
また、清の張春華も《滬城歳時衢歌》の中で次のように記している。
斗壇向晩篆煙篭、玉鏡澄澄桐碧空。
巷口夜闌喧士女、三更猶到蕊珠宮。
南園は古い園林で、上海県城南門にあることからその名がついた。乾隆年代、上海道が南園に文昌殿を建立。文昌とは魁星(北斗七星の第一星)のことで、民間では「文曲星」とも言う。文運を司る神として、科挙合格を目指す人々に拝まれる星でもある。道光年代、文昌殿の仲に蕊珠書院という上海でも有数の学校が開設された。
上記詩に出てくる「斗香」は「香斗」とも呼ばれる、線香を粘着剤で斗(枡)状に固めた香で、斗の中に香灰や檀木の木屑などを入れ、その中央にお札や三角旗、棒香などを刺したもの。斗香は中秋の夜のみ燃やされる。なぜ中秋の日に斗状の香を炊くようになったかの俗説はいくつかある。たとえば清代の呉曼雲の詩《焼斗香》を紹介する。
心字焼残寸寸灰、霊香上清月輪開。
斗量華境人間少、桂粟新収万魁来。
詩に出てくる「桂粟」とは桂花(モクセイ)、あるいは食糧のことを指している。中秋は収穫の秋に入る時期であることからも、詩人は焼斗香の目的は豊作で、食糧が沢山手に入るようにと祈ることだと考えているのが分かる。
古代、正月、七月、八月の十五は重要な祭日と定められており、この三日は合わせて「三元」と、中秋月圓は「第三元」と言われた。かつて、科挙の試験では郷試(省内一級試験)の一位になった者は「解元」と、会試(中央一級試験)の 一位は「会元」、殿試(皇帝との面接試験)の一位は「状元」と呼ばれ、この三つの試験に連続して一位になった者は「連中三元」と言われた。連中三元は勉学を重んじる者が求めうる最高の賛辞である。
前述の文曲星は、明代に人格化された。そして魁星(=文曲星)の「魁」という字が分解され、「鬼」と「斗」に分けられた。斗香の「斗」は、この魁という字を分解してつけられた字である。
中国古代、科挙などの試験の日程は秋、八月に実施されていたことから試験は「秋ウェイ」と言われていた。ここまで記せばお分かりだろう。夫や子供が試験に受かりますように、「蟾宮折桂」「秋ウェイ奇魁」「連中三元」が適いますようにと、中秋、つまり「第三元」の日に、女性たちが焼斗香を行うのが徐々に流行していったのである。
本来、女性が家庭内で行う行事だった焼斗香は、上海ではとても熱心に行われ、上海文昌殿の中にある蕊珠書院での焼斗香が特に熱心に行われていた。ある記載によると、いつしか暇をもてあましていた少年たちが、楽しく、興奮することがしたいと、中秋の夜に蕊珠書院に突入し、女性たちをからかうようになった。ことが段々と深刻になったため、一八三六年に、上海知県黄冕が取り締まりを命じ、蕊珠書院での焼斗香は次第に衰退。だが民間では家で、または他の場所で細々と行われ、一九五〇年代までは続けられていた。だが今では、上海で中秋節と言えば焼斗香だったことを知るのはお年寄りくらいだろう。 |
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写真説明 |
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1 上海中秋「斗香」の名所:蕊珠宮
2 文運を司る神、魁星(文曲星) |
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作者紹介 |
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薛理勇 Xue Liyong
一九八二年に上海市歴史博物館に入り、上海史を研究。主な著書に「上海路名地名拾理」「閑話上海」
「上海老城廂史話」「上海掌故辞典」等。 |
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