Walker
中国最新情報満載!!
Contents / Old Shanghai

OLD上海 8月号
古書に「蛩」と記されている蟋蟀(コオロギ)。このイナゴに似た体の小さな昆虫は、地方によって呼び名が違う。一番多い呼び名は「ququ」だが、上海周辺では「SE JIE」と言うことが多い。

上海人と闘蟋蟀
■秋の娯楽
コオロギは、尻から出ている尾が、オスは二本、メスは三本ある。このことから、上海ではオスを「二(上海語音でni)尾子」、メスを「三尾子」と言う。コオロギはオス同士で争うことがあり、時には相手の足を噛み切ってしまったり、相手を殺してしまうほど激しく残酷。だがコオロギで遊ぶ人にとっては戦わせるのが一番面白いようだ。コオロギ遊びに興じるのは秋がほとんどなので、かつてはこの闘コオロギは「秋興」とも言われていた。
筆者がまだ子供だった頃の上海は、まだ規模がさほど大きくなく、今の内環線がほぼ城内と郊外との境界線で、その外には一面ののどかな田園風景が広がっていた。秋になると子供たちは手に手に土を掘るための道具と、コオロギを捕まえるための「賺織網」、コオロギを入れるための竹ざおで作った「竹竿筒」を持ち、みんなで郊外へコオロギ捕りに出かけた。枝豆が生えているところには大きくて質のいいコオロギがたくさんいる。だがコオロギ捕りたちに踏み込まれた枝豆畑は目も当てられない状態になってしまう。当然畑を守るため、コオロギ捕りを見つけた農民たちは、鋤や鍬を手に子供たちを追いかけまわしていたので、コオロギ捕りに行ったのに、怪我をして帰ってくることもあった。だが大多数の大人は少年時代のコオロギ捕りは、とても楽しく懐かしい思い出として大事にしている。
かつて、上海では道端の露店でよくコオロギを売っていた。商売用のコオロギは主に上海に隣した江蘇や浙江で捕られたもの。江蘇産は体型が小柄だが頭が大きく、首周りもがっしりしていて戦闘向きだった。上海は昔江蘇省に属しており、方言で現地のことを「土」という字を用いていたため、江蘇産のコオロギも「土虫」と呼ばれた。一方浙江産のコオロギは体型が大きいが戦闘能力は「土虫」よりは劣っていた。浙江産のコオロギの大半は杭州に集められ、滬杭鉄路で上海に運ばれていたので、「杭虫」と呼ばれた。露店商はこうして上海にやって来たコオロギを細かく分類して販売。小さいコオロギは「鬼賺」(?鬼の上海語音は“wa
ju”に近く、?は顔が小さいという意味)と呼ばれ、一匹二分程度でしか売れないが、少し大きいのは数角、さらに大きいものは質もよいので一匹数元で売れた。とはいえ、当時の子供は小遣いもほとんどもらってないため、数分で二匹の「?鬼賺」を買えるのはお得で人気だった。
昔は子供に限らず大人でもコオロギを飼う人が多かった。こうした大人が飼う目的は闘蟋蟀での賭博。清朝の《淞南楽府》(※淞とは呉淞江、つまり蘇州河の略称。上海は呉淞江の南岸にあるためかつて“淞南”と呼ばれた)には、上海風情を表した詩歌を掲載している。
淞南好,秋興接冬春。上篩沙盆窩蟋蟀,闘圏錦袋出?鶉,賭面黄金。
■それぞれの道具
昔、コオロギを飼うためには専用の泥盆(泥の鉢)を作らせ、「天盆」「将軍盆」「和尚盆」「銅鼓盆」などめいめいの呼び名をつけていた。窯で焼き上げたばかりの鉢は火気旺盛でコオロギを飼うには向かず、新しい鉢は地中か河の中にある程度埋めたり沈めたりしてから使うほうがいいとされていた。だが古ぼけた鉢も新しいコオロギを飼うにはあまり適さず、鉢の底に砂を敷き詰め、コオロギが新しい環境に慣れてから鉢の中に移した。この行為は業界用語で「服盆」「領盆」と言っていた。「領」は領会(理解する)、認可、適宜などの意味があり、現在の上海語にも「領盆」という言葉が残っており、意味も、納得する、従順、相手の好意を認める、などで、「今朝叔在里,人勿 盆格 出来」というと、「今日おじさんは私のところにおり、誰もが彼の言うことを聞いた」という意味だ。
オールド上海の高級芸者は「先生」と呼ばれていた。老いて容姿が衰えたり、他の原因などで格落ちしてしまうと、「先生」の資格と地位も剥奪される。上海人たちはこうした芸者を「二先生(二の上海語音はni)」とからかって呼ぶ。コオロギはかつてどんなに連勝した者でも一度負けてしまうと勇気を失い、どんなに飼い主が大切にし、傷を癒し体力を回復させても元気にはならないため、負けて戦意喪失したコオロギも格落ちした芸者と同様「二先生」と呼ぶようになった。現在も上海語に「二先生」という単語は残っており、意味も男らしさに欠けた、なよなよと女性っぽい青年のことを指す。
闘蟋蟀はお盆の上でも行うが、かつてのマニアたちは「闘棚」「闘格」という道具を好んで使用していた。上海市歴史博物館が、携帯式のマホガニー製闘棚を収蔵している。上蓋がスライド式になっている、**センチメートルのマホガニーの箱の中に、秤とsi草筒(si草はコオロギの注意を引くための草)、箱型の竹竿筒二つと、闘棚一つなど、闘蟋蟀に必要な道具一式が入っている。
秤を固定した穴の中に挿入して正確に図れる天秤を作る。いわばボクシングの試合前の計量のように、闘蟋蟀に出すコオロギは事前に体重を量り、体重の近いコオロギ同士を闘わせるのである。闘うリング(闘棚)は長方形の箱で、木の板の周りにコオロギが逃げないように細い竹で柵を作っただけの簡素なもの。竹と竹の間からコオロギの戦うさまが眺めて楽しむのである。闘棚の真ん中にはスライド可能な仕切り(閘)がしつらえてある。コオロギを対戦させる時は先に閘を閉めておき、いざ対戦の時にあけるのである。闘棚の両端には門付きの小さな穴をあけてある。コオロギはこの穴から入れ、監草(審判)がsi草でコオロギの注意を引き、戦闘可能状態へと持っていく。そして真ん中の閘が開き、激しい戦いが始まるのである。
闘棚の中には非常に狭く作っているものもある。これはコオロギが反対向きになれないようにするためなのだが、逃げ場がないために負けたコオロギは相手に殺されてしまう場合が多い。
《淞南楽府》の作者は、「闘器は竹製で、上部に幅の細いかごを作り、闘蟋蟀の時はそのかごにコオロギを置く」と記している。当時の人々はコオロギをかごの中に置くことを「上棚」と呼んでいたのだが、後に自分の意思に反して、強制的に戦場に送り込まれる時もこの「上棚」という言葉を使うようになった。現在でも、上海人は他人をそそのかし、本来すべきでないことをさせることを「挑人上山」と言う。相手のたくらみを見破った時は「調子のいいことばっかり言うな、私は君が“挑人上山”していることに気づいているんだ」告げる。上海の方言では、「棚」と「山」が同音。「上棚」が「上山」になり、今でも活用されているのである。
  作者紹介
薛理勇  Xue Liyong
一九八二年に上海市歴史博物館に入り、上海史を研究。主な著書に「上海路名地名拾理」「閑話上海」「上海老城廂史話」「上海掌故辞典」等。
上海ウォーカー今月号
Special Interview
Check it out!
Dining
食神のひとりごと
Restaurant  Review
今月の王さまランチ
ステージ情報
Music Info
Art情報
週末大飯店計画
Hotel  Information
Dekigoto in Hotel
Travel
上海日本人学校
BizウーマンInterview
Old Shanghai
上海にいた日本人
不動産
特集
散歩デ漫歩、浦東通
太太倶楽部
上海、北京、中国全土の広告掲載について
ウォーカーオンラインではバナー及びテキスト広告スペースを用意しております。
広告掲載ガイド 掲載の受付