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OLD上海 7月号
牌九は麻雀と同様、「骨牌」に含まれる遊びだが、牌九は賭博性が強く、麻雀は娯楽的・趣味的要素が大きいため、今日では牌九は「賭博ツール」、麻雀は「賭けもできるゲーム」としてとらえられている。賭博ツールとされてから長いからであろう。今日では牌九をする人、覚えようとする人はどんどん減ってきている。
  牌九
■牌九の起源  
牌九は骰子(サイコロ)が発展して誕生したゲームだ。サイコロはご存知のように正六面体の六つの面にそれぞれ一から六までの数字を点で表したもの。中国で最も古い占いの「周易」には六十四卦(け)あり、各卦には六つの爻(こう)があるのだが、泰卦の符号は「」卦を表す横線「−」を「陽爻」、「--」を「陰爻」と呼ぶ。この陰陽の対立の原理に基づき、サイコロの六つの目をそれぞれ天()・地( )・人()・我()・長()・短()と名づけた。これはサイコロの目の大きさの順番でもある。おそらくサイコロ一つだけを使うのは簡単かつ単調すぎたからだろう、そのうち二つのサイコロを使うようになり、当然出る目も増え、出た目の呼び名は大至()・小至()・天宝()・地宝()・人宝()・我宝()・長宝()・短宝()と付けられた。
牌九を遊ぶのも上海新年の習慣

「宝子」にならない目は点数の合計で計算する。例えば()は九点、()は六点だが、十点を越えた数は一の位だけを計算するので、()は十一点ではなく一点である。
牌九はこの二つのサイコロの目の数を一枚の牌の上にあらわしたものだ。は天牌、は地牌ということからも分かるように、牌九の起源がサイコロにあることは疑いの余地がない。
■牌九の枚数
サイコロ二つ分の目を、一枚の牌に表した牌九には、二一の牌がある。各牌二枚ずつならば、全部で四十二枚になるはずだが、実際には三十二枚の牌が使用される。
牌九が三十二枚になったのは、今からおよそ九百年前、北宋宣和二年(西暦一一二〇年)と言われている。だがどうして四十二枚あるはずの牌が三十二枚になったのかは様々な説があり、どれが正しいのかは今もって判明していない。例えば、清代の陳元龍が《格致鏡原》で次のように分析している。「宋宣和二年、某臣が月牌を三十二扇に、合計三百二十七点にし、星の配列に基づいて順番を決め
マカオのカジノで未だ人気な牌九

ようと進言した。例えば天牌は天の二十四令のように二扇二十四点、地牌は地の東西南北のように二扇四点、人牌は人の仁義礼智のように二扇六点、和牌(我)は太和の気、八節(※)ように二扇八点・・・・などだ。その他の牌名は、倫理的でありふれた器物の名前を使用している」以下、とうとうと述べているのだが、いまいちピンとこない。また別の清代の謝肇浙という人物が《五雑俎》の中で「骨牌は宣和二年に誕生したと言われており、その名前の付け方に興味を覚える。対者十二(二枚の牌が対になったもの)を正牌、不対者八対を雑牌とする。」「牌九は全三十二枚のうち、対になっているものが十二組、対にならないものが八枚あり、合計三十二枚」と、単に流行に基づいて牌九の存在を人々に知らしめたもので、どうして計三十二枚なのか言及しておらず、これまた資料としての役不足である。
ちなみに筆者は、牌九は二人か四人で遊ぶもので、二、四、八、十六の倍数の三十二が一番牌の分配に適してた、という単純な理由ではないかと推察している。
※八節・・・立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至の八つの節気
■牌九の目
一枚の牌に、二つのサイコロの目が刻まれているということは、一対の牌は四つのサイコロの目が出ている、ということだ。目の大小は点数の大きさではなく、一つの牌に刻まれている目の組み合わせ、もしくは一対の組み合わせによって決められる。一番強い目は「宝」といい、通常は同じ図柄の牌のペア、または特殊な牌のペアで役となる。一番強い役は至尊宝で、()と()の二枚、合わせて九点になるペアだ。自然数の中で、九は最も大きい数であり、中国の術数理論で九は「陽数の極み」すなわち陽数の最高数で、皇帝を「九五至尊」と呼ぶように、皇帝の権力を代表する数字として用いられていた。よって至尊宝も最強の役なのである。至尊宝に続く役が天宝()・地宝()・人宝()・我宝()・長宝()・短宝()。「宝」が作れなかった場合は点数で計算し、点が多いほど強い。一対の牌の最小合計数は四点()、最大合計数は二十四点()だが、計算する時は合計数が十を越えれば十を引き、二十を越えれば二十を引く、つまり合計数の一の位だけで争う。
「骨牌」作りのポスター

例えば()は合計数が十四点なのでそのペアは「短牌四点」になり、()は合計二十三点なのでそのペアは「天牌三点」、強いのは天牌三点より短牌四点である。
宝をのぞいて、()や()のようにペアの合計が十点、または二十点になるものを「十」という。これは最弱の手である。今日でも呉の方言で十といえば、程度の低いさま、悪いようすを表す言葉として使われている。「?家?是十」と言えば、「こいつはレベルが低い」という意味である。合計数が十点や二十点でも、牌の中に天牌か地牌が含まれていれば、「天」()、「地」()という役で、宝よりも弱いがどの点よりも大きい役になる。

■牌九と将棋の対決
一九〇〇年、八カ国連合軍が北京へと侵攻し、光緒帝を西安へと追いやった。この時の総督に直属していた聶士成が、この戦争中に危ない局面を打破する働きをみせている。当時、上海《新聞報》の編集長をしていた孫家振は友人の将棋対局を見て、当時の政局に通じるものがあると感じ、次のような聯を作った。
大帥用兵、士卒効命、車リンリン、馬蕭蕭、気象巍巍、祝此去一炮成功、今而后出将入相。
この聯は中国将棋に用いられる駒全て、すなわち将(帥)・士・相(象)・車・馬・炮・兵(卒)を使用している。この下聯を作る時に、さてどうすればふさわしい下聯が出来るかと思案し、《新聞報》にこの聯を載せ、下聯を広く読者から募った。
間もなく、たくさんの下聯が新聞社に届き、その中から一番素晴らしい出来のものが選ばれた。
至尊在野、長短休論、文泄泄、武沓沓、議和寂寂、致迩来兆人失望、竟徒労搶天呼地。
この下聯は「皇帝が世間へと引きずりおろされ、世論は騒ぎ立て、文官は気を落とし、武官はだらだらと動かない。義和の争いの情報はまだ届かず、千万の百姓はみな望みを失い、ただ天を恨み、地を憂えている」という意味だ。お気づきのように、この下聯には牌九の役、至尊・天牌・地牌・文牌・武牌・人牌・我牌・長牌・短牌の全てが使用され、なおかつ天然の二十三対を形成している。
作者紹介
薛理勇 Xue Li yong
一九八二年に上海市歴史博物館に入り、上海史を研究。主な著書に「上海路名地名拾趣」「閑話上海」
「上海老城廂史話」「上海掌故辞典」等。
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