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OLD SHANGHAI  5月号
中国文化の精粋とも言うべき麻将(麻雀)。中国の半分以上の人が麻雀好きだと言う統計もある。その起源は明朝の“馬吊”と言われており、清乾隆年代に刻印された揚州画舫録に、その当時揚州の妓院(妓楼)で麻将が流行っていたと記載されている。牌の数は125枚だったのが、発展と改良を重ねて嘉慶年間には現在の144枚になった。中国には色々な文件(書簡)がある。麻将で遊ぶことを冗談で「学習144号文件(144号書簡を学ぼう)」と言っていた時期もあった。
麻将閑話
■筒子・索子・万子の由来
メインとなる麻将牌には、筒子(ピンズ)・索子(ソーズ)・万子(マンズ)の三種類があり、それぞれ一から九まで四枚ずつ、全部で百八枚だ。これらは制銭という、かつての中国の穴あき銭に由来する。古代中国の金融は、銀本位制で、白銀が主要な通貨。重さによって貨幣価値を決めていた。だが白銀はとても高価なため、民間における小額での取引では銅銭が用いられていた。通常白銀一両が銅銭千枚。銅銭一枚は通称「一文」。故事成語の「一文不名」は、文無し、つまり全くお金が無いという意味だ。銅銭のほとんどは平らな円形で、中央に四角い穴が開いていた。この四角の穴から銅銭は「孔方兄」とも呼ばれた。この四角いにひもを通すことは「穿」と言われ、携帯や使用に便利なように、銅銭を所持していた。銅銭五枚一組で「一花」。現在でも方言で「幾ら」を「幾花」と言うのはこれに由来する。銅銭千枚一組は「一貫」「一吊」「一索」。昆劇の名演目「十五貫」は、ある人が所持していた十五貫が盗まれたことから始まるストーリーだ。
ここまで読めば、聡明な読者の方々は筒子が銅銭の形から、索子が一貫、一吊、一索のその形状からきているのだとお気づきになるだろう。銅銭一万枚はさすがに単独での形状がイメージしにくいため、万子は漢字の「万」で代用したのである。
■「麻将」の名の由来
麻将はかつて、主に妓院で流行し、その当時の呼び名は「牌局」だった。麻将好きたちは一筒を「屁股(お尻)」、ニ筒「眼鏡」、九筒は丸がたくさんあるので「大麻皮」といったように、特別な牌に別名をつけて遊んでいた。銅銭千枚は一吊と呼ばれ、麻将の雛形も「馬吊」と言われたが、多くの地方で「吊」というのは男性の生殖器を指す言葉だったため、麻将は「索」という言葉で呼ばれるようになった。だが一索の図案も何となく男性の「吊」をイメージさせえるため、牌の図案を一匹の小鳥に変更。小鳥は麻雀(スズメ)が殆んどだった。百二十五枚の麻将牌のうち、このスズメの形が最も特殊だったことから、牌のことを「麻雀牌」または「雀牌」と、麻将をすることも「雀戦」と言うようになった。だが江南一帯では、麻雀という単語はあまり雅やかなイメージがないために、音が同じ麻将という字を使うようになり、いつしか「麻将牌」が主流になったのである。
 
■白板対と勒子
麻将牌は筒子・索子・万子の百八枚と、「風向」と呼ばれる東西南北白発中がそれぞれ四枚ずつ、そして花が八枚で、合計百四十四枚ある。この百四十四枚の中の、文字も図案も無い「白板(白)」は、真っ白なほっぺたのようなので、昔の人々は白板を「小白臉」と言った。上海語で「小白臉」は、肌が白く、女性から憧れられる青年を指す言葉だった。麻将用語では、双方が一対の牌を集めていて、相手がその求めている牌を捨てて欲しいがなかなか捨てないために互いに上がれない、という状況を「対」と言う。早期、麻将が流行した妓院で、ちょうど一人の妓女に惚れ、互いに譲らない、という気まずい状況を、麻将用語を使って「白板対」と表現するようになった。この言葉は現在でも、互いに譲らず気まずい、という状況を指す言葉として残っている。
麻将では、数棒を現金の代わりに使い、最後に精算する。この数棒は俗に「子」と呼ばれていた。麻将の勝敗は上がったときの役から計算した金額によって決定する。計算の仕方はこうだ。まず、上がっただけでもらえる金額、花牌一枚ごとの金額と役で加えられる倍数(例えば、清一色3倍、混一色2倍など)を決める。例えば上がりの金額が1元、花牌が1枚1元、清一色が3倍として、花牌が2枚含まれた清一色で上がった場合、(1(上がりの金額)+2(花牌2枚))× 3 (清一色の倍数)で9元となる。金額は高すぎたり安すぎたりしないように、始めに最高限度額と最低限度額を決めておいた。この「子」の最高限度を「欄子」と言うのだが、上海語で「欄」は「 le 」と読むことから、いつの間にか同じ音の「勒子」へと変化。恐らく麻将好きの人々が使い始めたのだろう、「勒子」は上海語で最高レベル、最大レベルや極限などを意味する言葉として常用されるようになった。
■麻将の「相公」
麻将は四人で遊ぶもので、よく四本足のテーブルに例えられる。もし一人欠けると上海人はよくため息混じりに「三ネア一」と言う。どうしても打ちたくて無理に三人で打つことは一本だけ脚の短いテーブルは不完全だ、と言う意味で「・脚麻将」と言った。
四人打ちの麻将では、時にいかさまも行われた。四人のうち二人が通じていることを「抬轎子」、つまりカゴに乗っている人をどこへでも連れて行けると言った。三人がぐるになって一人を陥れることは「解板」。この言葉の由来はよく分かっていないのだが、「解板( jieban )」は「假扮( jiaban )」つまり互いに赤の他人だと装うことからきているのでは、と言う説もある。
 
麻将の手持ちの牌は十三枚、一枚引いて一枚捨てる。上がる時は十四枚だ。三枚を一組にしたものを四組作り、同じ種類の牌をペアでそろえて「頭」にすれば、上がることができる。もし手持ちがうっかり一枚多い(大抵は牌を引いた後、捨て忘れる)あるいは一枚少ない場合、「相公」と言う。多い場合を「大相公」、少ない場合は「小相公」だ。「相公」だと上がることは不可能である。
「相公」は明朝以前まで、宰相に対する尊称だったが、明朝後期になると官吏の家庭で面倒をみている客のことを指すようになった。相公の任務は官吏のおしゃべりの相手をすることだが、中には官吏の顧問を任される者もおり、どの相公も相当裕福な家庭の世話になっていた。清朝後期に入ると「相公」は貴族の家庭に招待される役者を指すようになり、上海では男性の芸妓を指した。そのどちらも裕福な家庭の相伴または遊び相手だ。麻将卓の上でも牌の多少があれば負けるしかなく、勝つチャンスを失って「相公」の立場で付き合うだけになってしまう。この麻将用語は後に常用語としても使われるようになり、義務だけあって権利のない人を指すことになった。
写真説明
1  妓院から流行ってきた麻将牌
2  上海牌室での賑やかな雀戦風景
3  麻将は既に上海人の生活に欠かせない一部になった
作者紹介
薛理勇  Xue Liyong
一九八二年に上海市歴史博物館に入り、上海史を研究。主な著書に「上海路名地名拾理」「閑話上海」
「上海老城廂史話」「上海掌故辞典」等。
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