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  Business Woman Interview No.67
 
  舞踊家/ パフォーミングアーティスト
佳黛 さん KA YO

 
テレビ映画界で活躍するのが夢
バレリーナから華麗なる転身

ハリウッドではなく、アジアのテレビ映画界での活躍を目指す日本人女性、それが佳黛(KAYO)だ。しなやかな肉体、たおやかな佇まいの中に、熱い情熱と強い意志が垣間見える瞬間がある。
踊るのが好き。熊川哲也が所属したロイヤルバレエ団と並ぶ名門セントラルバレエ学校を卒業し、数々の賞も獲得している。
将来を約束されたバレリーナが、なぜ、その地位を捨て、アジア映画界を目指したのだろうか。




―佳黛さんは6歳でバレエを始め、10代で次々と賞を獲得しますが、どんな少女時代を送っていたのですか?

幼い頃から、多方面で舞台に立っていましたね。国民文化祭の開幕式で踊ったり、ミュージカルに出演したり、ヨーロッパのバレエ学校と舞台公演をしたり…。小・中学校は義務教育にも関わらず、学校を休んで、バレエ教室でレッスンしていた気がします。
日本バレエ協会コンクール(東北)で優勝した後、97年9月に、イギリスのセントラルバレエ学校に入学しました。00年からは 香港のダンスカンパニーに入団したので、今まで、1日も踊りから離れることはなかったんじゃないかな(笑)。

―セントラルバレエ学校といえば、熊川哲也さんが所属していたロイヤルバレエ学校と並ぶ英国三大バレエ学校のひとつですよね。試験は相当厳しかったのでは?

そうですね。基本的に、バレエ学校に入学するには、まずビデオオーディションが必要です。私の場合は、レオタード姿でのバーレッスン1時間、バリエーションと言われる1曲の踊りを収録したビデオを送りました。そのビデオ試験をパスして、初めてイギリスの学校に呼ばれ、面接や身体検査を受けられるんです。特に身体検査では、かなり厳しい審査をされました。容姿のほか、レントゲンで体の中まで診るんですよ!骨格が曲がったりしていたら、実技とは関係なく落とされます。それだけバレエは厳しいと思いましたね。日本では、バレエ教室にお金を払えば誰でも習えますからね…。

―将来を嘱望されたバレリーナだった佳黛さんが、なぜ、日本やヨーロッパでの活躍の場を捨てて、中国に来ようと思ったのですか?

‘01年香港時代に出演した「SIEMENS」携帯電話CMモデル。他LAGERFELD広告モデル等も
セントラルバレエ学校で、バレエ以外にコンテンポラリーダンス、キャラクターダンス、その他、ドラマや声楽、他の国のダンサーと一緒に学ぶうちに、自分がアジア人であることを最大限に生かしたいと思ったんです。
学校を卒業してから、誘われて香港に渡ったのですが、その時に中国舞踊と出会いました。もうその時は、血が騒いだ!っていう感じ(笑)。その時、クラシックバレエから、中国民族舞踊のテイストを取り入れたアジアンスタイル"を生み出したんです。アジアンスタイルは、どんなダンスかというと、私が幼い頃からやってきたクラシックバレエに東洋の中国舞踊の独特な動きを取り入れた踊りで、二胡、琵琶、 琴、笛子などの伝統楽器の音色に合わせて、扇子を持ちながら、手の演技、身体の柔らかさやシャープさを表現するものです。振り付けも自分で考えます。自分の想像力をふんだんに表現できるので、このダンスは、私自身を映し出す鏡みたいなものなんです。


“アジアンスタイル”は、クラシックバレエと中国舞踊の融合体。二胡や琵琶などの音色に合わせて踊る

―想像力をいつも保つのは簡単なことではないと思いますが、煮詰まったりしないのですか?
   
しますよ〜。その時は、蒸発するんです(笑)。どこか違う場所に行って、一人で景色を観たり、音楽を聴いたり…。そうやってしばらくすると、ポン!って新しい振り付けや、やりたい動き(動作)が浮かんで来るんです。友達からは「佳黛が、また消えた」って呆れられていますけど(笑)。

―中国には、何かつながりがあったのですか?
 
実は、私の祖父母が、出会い、恋愛し、結婚をしたのが上海なのです。
30年代、虹口区に「青い鳥」と言う日本料理屋と「ブルーバード」と言うダンスホールがあったのですが、二人はそこで出会ったのだそうです。祖父母は帰国してから去年まで50年間、想い出の場所にちなんで「青い鳥」と言う日本料理屋を経営していました。
 
―だから、佳黛さんの著書のタイトルは「青い鳥」なんですね。
 
 
▲佳黛さん著書。06年出版され、増刷計画中

はい。本は、私が上海に来て、書き溜めた日記からまとめたものです。その日、感じたことや、自分を励ます言葉なんかを書いて、鳥がバレエを踊っているイラストを添えています。ありがたいことに、これまでに5千部売れました。
 
―上海では、戯劇学院で演劇を学び、さらに活動のフィールドを広げましたね。苦労したことはありませんでしたか?

 
やはり、言葉の壁には苦労しましたね。03年9月から戯劇学院で演技、声楽などを学んだのですが、当時は中国語が全く話せなくて…。いつも片手に辞書を持っていました。ある時、ストレスが溜まったのか、授業の途中で先生に「演技は勉強するものじゃありません!感じて学ぶものだと思います!」とか言って、 芝居の授業を休んでいた時期もありました(笑)。当時は、自分の中国語能力には毎日悩んでいましたね。いつになったら上手くなるのかなあと…。
今では、中国語で会話するのが面白いくらいになってきました。でも、仕事で求められる中国語のレベルは、もっと高いんです。
今年になって、色々な方面から、お話を頂くようになり、これまでに、大型歴史映画の出演が2作品ほど決まっているほか、08年には北京の有名な音楽家と、舞踊と音楽でコラボレーションする主演舞台が決まっています。映画では、中国語でセリフを言うのですが、ネイティブの発音を求められるんです。だから、今、プロの先生に付いて発音を徹底的に直しています!

―今後の目標は? 

私はダンサーですが、その枠にとらわれることなく、映画やドラマといった映像の世界で自分を表現したいと思っています。そして、近々、中国の有名ダンサーと舞踊作品を創り交流することが目標ですね。

■ 佳黛 KAYO 舞踊家/パフォーミングアーティスト

6歳でバレエを始め、’96年日本バレエ協会コンクール(東北)優勝、’97年英国の名門バレエ学校セントラルバレエスクールに合格。’00年マレーシアで開催の芸術2000で特別賞。’01年「SIEMENS」携帯電話のCMモデルに抜擢
’03年上海TVで主演ドキュメント番組が放送されるなど活躍の場をアジアに移す。今後、大型歴史映画の出演が決定している
「Bbスタジオ」主宰(tel 6446-2134/1381-787-6025)