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Business Woman Interview No.63
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華亭賓館HOTEL&TOWERS 総経理
董 剣珍 さん Dong Jian Zhen |
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華亭賓館をファースト・チョイスにし、
グループのために10名の総経理を送り出すこと。
それが、これからの夢ですね。
1986年に上海初の外資ホテルとして開業、シェラトングループの管理から97年に錦江グループの傘下となり、抜群のロケーションと温かいサービスで多くのファンを持つ華亭賓館。こちらで総経理を務めているのが、今回ご紹介する董剣珍さんである。最初はフロント業務、そしてセールス、ロビーマネージャー、PRと確実にステップを上がってきた彼女が華亭賓館の董事長(ゼネラルマネージャー)になったのは2000年のこと。大企業で順調に出世してきたように見えるその裏には、絶え間ない学びの時間があったという。彼女が積み重ねてきた努力と、ゲストに愛されるホテルでありたいという思い。それが今の華亭賓館の強い原動力となっているのだろう。
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| まずホテルウーマンとしての総経理のキャリアを振り返っていただきたいと思います。最初はどこのホテルからのスタートでしたか? |
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復旦大学を卒業後、錦江グループに入社したのが1978年です。配属は錦江飯店でした。当時の中国は、個人で自由に職場を選ぶことができず、まだ政府からの指示で職種が決まる時代でした。そんな環境だったので錦江に決まった時は本当にうれしくて。自分は憧れていたホテル業界に入れて本当にラッキーだと思いました。錦江飯店は中国で一番良いホテルで、当時から国賓やVIPが宿泊しており、私にとっては学生時代から憧れの場所でしたね。
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| 錦江飯店でひと通りの部署を経験し、その後はできたばかりの新錦江大酒店に移られていますね。 |
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最初についた仕事は、錦江飯店のフロントデスクでした。その後はセールス、ロビーマネージャー、広報とホテル内の各部署を8年間かけて経験しています。とにかくホテルの仕事ができるのがうれしかった。給料はあまり高くはありませんでしたが、それすら気にならないほどでした。その後、選抜されて86年からは香港でホテルマネージメントの勉強をし、上海に戻ってから同じグループの新錦江大酒店の開業責任者に就任しました。当時まだ30歳前でしたね。
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| その当時、印象に残っているゲストはいますか? |
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▲スタッフたちと。左よりセールスの王立新さん、日本人スタッフの三谷友見さん、董総経理、PR の張培君さん。
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新錦江大酒店で総経理を務めていたときアテンドをさせていただいた、ピアニストのイツァーク・パールマンさんですね。グラミー賞を受賞した彼の、障害を持ちながらも音楽家としての志を貫く姿勢に感動しました。彼は小児麻痺で普通の人のように立つことはできないのですが、舞台に出るときはがんとして自分のバイオリンを持って歩き、演奏中は神経を集中し、みんなは息をのんで彼の演奏を聴いていました。完璧というのはどういうことなのか、彼から教えてもらったような気がします。
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| その後、99年にアメリカに留学されていますが、これは国費留学だったそうですね。
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▲リノベーションが終わり、華やかに生まれ変わった26 階の中華レストラン「観月台」。2007 年度SHANGHAI TATLER のベストレストランにも
選ばれている。
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中国のホワイトカラー100人を選抜してアメリカに国費留学させる制度ができた時、運よくその100人に選ばれました。ホテル経営の総合的なことをアメリカで専門に学べたのは、とてもいい経験でしたね。学ぶことはとても楽しかったし、本当に充実していました。ただ、幼い娘と別れて暮らすのがとても辛くて。ずっとそうでしたが、私のエネルギーの70%は仕事、子供や家庭に向ける力は30%ぐらいしかなかったように思います。
その後、アメリカのTULAN大学でMBAを取得し、GMとして華亭賓館に入ったのが2000年です。華亭賓館へGMとして就任することがわかった時には、まさか昔の競争相手のホテルに行くとは夢にも思わなくて(笑)、おもしろい巡り合わせだなと思いました。
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| 最初にGMとして華亭賓館に入った時の印象を教えてください。 |
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私がGMになった2000年当時は、残念ながら古いホテルというイメージでしたね。これはすぐに解決できないので、まずはシステムから変えなくてはと痛感しました。すでに開業して14年以上たっていたのに、一度も改装をしていない状況で、どの設備も古かった。部屋が古すぎて高いルームレートがとれなかったようです。こちらに来てすぐに、1週間かけてスタッフ全員と話をし、あらゆる部門を自分の目で調べました。どうすれば魅力のあるホテルになるのか、皆で徹底的にディスカッションしましたね。
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| 当時の華亭賓館において、何が最も大きな問題でしたか? |
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幸いなことに社員の体制は悪くなかったんです。とにかく設備が古すぎることが問題でした。ですから、現状のスタッフだけで始め、最初は組合の改革に着手しました。次はホテルの改装とシステムの導入です。ただ開業して14年たっていると、一度に急に変えることはむずかしくて。客室、ボールルーム、ジム、そしてロビーやレストランなどをタイムラグをつけながら改装し、お客さまの新鮮な印象を取り戻すために、スタッフ一丸となって取り組みました。おかげで昨年は1階のレストラン「ガーデン・コート」はSHANGHAI NEW ELITE TOPRESTAURANT IN SHANGHAI の2006年度最優秀レストランに、26階の中華レストラン「観月台」はSHANGHAI TATLER の2007年度優秀中華レストランに選ばれています。お客さまにも喜んでいただき、スタッフの励みにもなりました。
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フロントデスクからホテルのGMへと順調にステップアップされてきたイメージがありますが、ご自身としてはどうだったのでしょう?
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確かに、回りから見ればとても幸運な人間に見えるかもしれませんね。でも決して順風満帆ではありませんでした。ひとつ言えるのは、中国ホテル業の開祖である任百尊氏と優れたマネージャーである倪煥章氏の厳しい指導を受けることができ、それが一生の糧になったということです。そのおかげで、迷わず素直な心で仕事に集中することができました。自分の力をうまく発揮できたのは、二人の先輩のサポートのおかげですね。 もうひとつ、仕事以外に私なりに知識をつける努力はしてきました。実は社会人になってからも3度母校の復旦大学に戻り、経済学と管理学を学び直し、行政書士や財務(CAAC)の資格も取得しています。入社したばかりの頃は、40歳過ぎて自分が学んでいるイメージは持てませんでしたが、40歳を超えてから、逆にもっと勉強しなくてはいけないと思うようになりました。いつも本や回りの人から学ぶことで充電してきましたね。
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| これまでキャリアを積んでいく上
で、回りの男性に嫉妬されたり妨害されたりしたことは?
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あったと思いますが、あまり気になりませんでした。楽観的なタイプなのかもしれませんね。たぶん、人に先んじて物事を進めることができれば、広い心を持てるはずです。ゆったり鷹揚に構えて、同僚との関係に気を使い、相手を尊重すればほとんどのことはうまくいくのではと思います。それは部下に対しても同じですね。私が初めて管理職になったのは、錦江飯店のフロントマネージャーでした。部下は全員男性で、しかもみんな年上。最初はむずかしいと思いましたが、彼らを尊重しながらいい雰囲気を作ると、彼らも私の仕事に協力してくれるようになってきました。このチームはホテル内で最も優秀で、当時のメンバーはみんなその後、部門を束ねるマネージャーや総経理に昇進しています。 確かに女性のマネージャーとしてのプレッシャーはありましたが、男性マネージャーのプレッシャーの方が実は女性より強いのではと思います。社会というものは、男性に対してより高い要求を出すものですからね。
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ホテルウーマンとしての今後の夢を教えてください。
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まず2007年の目標は、華亭賓館を浦西のホテルのファースト・チョイスにすることです。これまでホテル業界に29年間在籍し、総経理として10年以上を過ごし、ずっと錦江グループで仕事をしてきました。錦江グループが私を育て、チャンスをくれました。これからはグループに対して、長年私を育て教育してくれた恩返しをしたいと思っています。これからの夢は、私のキャリアを皆でシェアし、このグループから10名の総経理を育てることですね。そのために、以前からホテルのマネージャーを養成する詳細なプランを温めています。錦江グループが国際的なブランド力を持てるように、そして今後もグループの発展のために貢献できる自分でありたいと思います。
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■ 華亭賓館HOTEL&TOWERS
HUA TING HOTEL & TOWERS SHANGHAI |
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