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  Business Woman Interview No.54
 
  上海瑞新国際医療中心
RN, Patient Liaison

小笠原理恵 さん Rie Ogasawara
 
いろいろな経験を持ち、
その上で看護士なのが私の強み。
目指すは「グローバルナース」かな。

 外資系クリニックの老舗、「ワールドリンク」で勤務している小笠原理恵さんは、米国看護士ライセンスを持つ日本人女性である。日本と中国での華やかなマスコミ勤務の後、医療方面への転職を決意した小笠原さんは迷わずアメリカへ。3年間の留学で見事に米国看護士ライセンスを取得した。「こうと決めたらぱっと動く。行動は早いんです(笑)」と語る小笠原さんのフットワークの良さは気持ちいいほど鮮やかだ。日本人の細やかさを持ち、アメリカの合理性、そして中国の文化を正しく理解している彼女のようなナースが、これから世界各国で活躍の場所を広げていくのだろう。


小笠原さんは、看護士になるまでずっとマスコミ関係のお仕事に就いておられたそうですね。 

 大学卒業後、レコード会社の宣伝部に3年間在籍し、その後は北京に語学留学しました。留学後は北京の外資系広告代理店のAEとして勤務していたこともあります。最初に入社したレコード会社の宣伝部の仕事は本当におもしろく、念願の仕事でやりがいもありましたが、仕事に慣れるにつれて、自分の将来を考えるといろいろな疑問が出てきて。その頃は海外に憧れもあったので、思い切って留学することにしたんです。今後ニーズが増えそうな中国語に絞り込んで、北京に留学したのが95年。当時の北京は今のような便利な環境ではなかったのですが、カルチャーギャップも思ったより少なくて(笑)、中国は自分の肌に合うなと思いました。留学後に外資系広告会社で働いている時は、国際モーターショーの仕事や北京マラソン協賛の仕事などを担当させていただき、プレッシャーはありましたが、とてもいい経験をさせていただいたと思います。ただ当時はまだ英語にも中国語にも慣れていなかったので、今よりもずっと精神的には弱かったと思いますね。 

マスコミ系で働いていた小笠原さんが、医療関係の仕事に興味を持ったのはいつ頃からですか?

 マスコミの仕事はやりがいはありますが、私にとっては、社会的な意義という面でいろいろと考えさせられることが多かったように思います。一身上の都合で北京から上海に住居を移したときには、マスコミ以外の職種で探しました。ちょうど上海で医療アシスタンスサービスの会社が立ち上げの時期だったのでそのお手伝いをすることになったんですが、当時はまだ充分に社内のシステムが整っていなかった状態でしたね。2000年頃の話です。
その頃、胃ガンで胃の全摘出手術をした父の具合が悪くなり、急遽日本に戻らざるを得なくなってしまって。5月に実家に戻ると、思った以上に父の容態が悪く、すでにガンの末期でした。本人が家に帰りたいというので退院させて、母とふたりで自宅で介護したんです。8月に他界するまでわずか3ヵ月間でしたが、父を自分たちで看取ることができて本当によかったと思います。この時に父を介護した経験が、自分が看護士になる大きなきっかけになりました。 
生前、父は大学教授だったので、私が何かを学びたいと言えば教育者としていつでもフォローしてくれましたが、仕事についてはいつも『専門性を身につけろ』と言っていましたね。これからの女性は手に職を持たなくてはいけない、ひとりでも生きていける仕事を身につけてほしい、と最後まで私のことを気にかけてくれたようです。ナースになる決心をしたのはその頃ですね。 

看護士免許を日本でなくアメリカで取得しようと思ったのは?

▼ スタッフたちと。時間の許す限り、できるだけ受付で患者さんを迎えるようにしているという。
 いちばんの理由は、残念ながら日本でナースの地位があまり高くないこと、英語で資格を取れば他のどの国でも働けると思ったことです。30歳という年齢で学び直すのだから、看護の技術だけではなく、職業としてもっと深いところまで学びたいと思いました。私の性格はこうと決めたら一直線で、行動は早かったですね(笑)。ナースになろうと決めた瞬間、アメリカ行きを決心したんです。30歳から看護士をめざす人間は日本にはそれほど多くはないと思いますが、迷いはまったくなかったです。行き先はアリゾナのコミュニティカレッジで、ここで3年間学んでアメリカの看護士資格をとりました。 

アメリカ留学時代はどのような生活でしたか?
▲ 臨床経験豊富なクー先生(主任内科医)と。「視野の広い優秀なドクターが多いことがこのクリニックの強みです」


 勉強自体は当然すべて英語でたいへんでしたが、とても集中できましたね。内容についていくのはさすがに必死で、毎日の予習復習は欠かせないし、もともと文系だったので最初は理科や生物がちんぷんかんぷんでした(笑)。でも意外なことに、大人になって改めて生物を勉強し直したりするとけっこうおもしろいんです。これまでの人生の中で最も真面目に勉強をした時期でしたね。
アメリカで強く感じたことは、ナースの責任がとても重いことでした。学校の実技でも責任の重さをこんこんと説かれます。たとえドクターの処方箋が間違っていても、それを発見できなかったらナースの責任にもなり得るし、しかも任せてもらえる仕事の範囲が日本とは桁違いで、アメリカの医師もナースに頼っている部分が多いことを感じました。アメリカではナースの待遇も悪くないし、残業もきちんとカウントされます。ナースの給与はすべて資格で違いがあり、CNAと呼ばれるアシスタントとRNと呼ばれる正看護士とでは仕事の内容もまったく違います。アメリカは訴訟社会なので、責任の取り方と自分を守るために何をしなくてはならないかについても、徹底的に教わりました。 その後、現場の研修を終えて卒業して、資格をとってから上海に戻り、ワールドリンクに入ったんです。

再び上海に戻り、医療の現場で働いてみていかがですか?

 昔、医療アシスタンス会社にいた時は、医療知識がなかったので自信もなく消化できない部分もありましたが、さすがにしっかり知識を入れてから現場に出ると、まったく景色が違うなと思いました。現在はPatient Liaisonとして患者さんの医療通訳もしますが、治療の内容が知識として理解できるのでとてもやりやすいです。最近は患者さん周りの仕事の他、クリニック全体のPRの仕事も任されています。結局、古巣の仕事から離れられないのかなとちょっと思ったりもしますが(笑)。
ワールドリンクにはいろんな国で経験を積んだドクターがいるせいか、スタッフみんなが広い視野を持っているのでとても勉強になりますね。世界各国から来たドクターたちと一緒に仕事ができるチャンスは、日本では少ないだろうと思います。さまざまな医療情報が得られる上、専門家である先生たちの知識に触れられるのも、私にとっては大きな魅力ですね。

今後、看護士としての目標はありますか?

 本当は看護士として上海で働きたい気持ちはありますが、中国で働くためには中国の看護士ライセンスが必要なので、外国ライセンスでは仕事ができないのが本当に残念です。今は上海で医療の現場をサポートする仕事ですが、いずれはアメリカに戻って臨床経験を積み、将来はアジアのどこかの国でNGOやNPO等の医療活動に就きたい思っています。やりたいことをやってそれが国際貢献に結びつくのならば、これ以上のことはないですね。
看護士の仕事について私が思うのは、看護の技術だけではなく、人間を知ることが必要な仕事だということです。看護士というと日本では高校を卒業して専門学校に行ってから就く職業のようなイメージですが、どちらかというと人間としての経験を積んで、世間や社会を知っていた方が仕事に幅が出るのではと感じています。いろいろな経験を持ち、その上で看護士であるのが私の強み。目指すはグローバルナースですね(笑)。 
 
ワールドリンクとしての今後の展開は?

 虹橋クリニックでの日本語サービスを徹底させると同時に、今年中にはポートマンクリニックと浦東金橋クリニックでも、日本語サービスを開始したいと思っています。特に金橋はここ最近日本人の方が増えている割に、医療面で日本語サービスを受けられるところが少ないので、ぜひ私たちのクリニックでお役に立ちたいですね。その他では、日本人専門医師による胃腸内視鏡検査が近々始まる予定なので、ストレスの多い上海在住日本人の皆様にとって、少しでも不安解消になればと思っています。 
ワールドリンクにはもちろん日本語チームがありますが、日本に染まりきっていないところがひとつの特徴でもあります。外資のクリニックならではの、日本とは違った良さをもっといろんな方に知っていただきたいですね。世界各国で臨床経験を積んだ優秀なドクターが揃っているので、もしセカンドオピニオンやアドバイスが欲しいときには、気軽に足を運んでいただければと思います。偏見のないオープンマインドのドクターの人柄と技術に、ぜひ触れていただきたいですね。

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