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特集
  先発組に日系二社  
  現地ビジネス展開へ確かな弾み
日本では株式公開など遠い世界の話と見ていた中小企業が、どっこい中国で上場を果たす。寧波東睦新材料の上海A株上場は、そんな軽やかなショックをご同輩の企業に与えた。さらに、日本で社員数が八〇人にも満たないベンチャーのシコー技研が東証マザーズで株式公開にこぎつけたのも、上海・松江におけるビジネス展開の成功が大きな要素として背景にあった。八〇年代から進出したローテク産業の一部先発組は撤退も現実のものとなりつつあるいま、異郷の地で相次ぐ上場の成功は、高い技術などの優位点を掲げ、腰をすえて打って出たからこそ花開く先例として受け止められるべきであろう。
 
  なだれをうつかのような日本からの進出の流れは、当然ながら、けっしてネガティブな逃避のみが目的なのではない。明らかに、発展のための「転進」先のひとつとして中国を選び、開花した企業も少なからずある。とりわけ、あとがない中小企業は、優秀な後継者らの人材と持つべき技術の有無などによって、その経緯は大きく異なろう。
かといって、株式公開や新株発行(IPO)のみをもって事業の成功とはいえないだろうが、一般的に通過点としての魅力は余りある。市場から調達するローコストの資金、高まる知名度と人材募集の容易化、そして内外に公約せざるを得ないガラス張り経営は、本来ならば企業の発展に倍増の加速効果をもたらすはずである。
しかし、そういった効果とは無縁の企業群もあったようだ。部分的なものと言い切りたいが、中国国内企業がそれである。
外資系企業の直接上場が、〇一年七月以降低迷する国内市場とその投資家から、大きな期待をもって迎えられているのも、当局からの警告や投資家の無視を一顧だにせず、経営改善などどこ吹く風といった企業が少なくなく、突然経営者が失踪(そう)してしまうような地方企業も出る国内市場において、少なくとも外資は市場クリーン化に貢献すると見られるからだ。
自浄を期待するのでなく他力本願的な外資頼みは気になるものの、出番を待つ他の外資企業のトップを切った寧波東睦新材料に続き、合肥栄事達三洋電器と日系が相次いで上場した背景には、そういった当局の深謀遠慮がかいま見える。
ただ、関係者から聞いたことを、ここで伝えておきたい。中国国内での上場は思っている以上の簿外コストがかかるという事実だ。根拠についてはあえて触れまいが、なかなか先が見えない株式市場の構造と無縁ではないように思える。これも、本腰を入れて中国とかかわっていく気概さえあれば乗り切れよう、であろうか。
 
  寧波東睦新材料股分有限公司
技術に定評「町田の中小企業」
発展を確実なものに
 
  上海A株市場
五月一一日、日本の自動車・家電部品メーカー睦特殊金属工業の中国合弁会社「寧波東睦新材料股分有限公司」は外資企業として、また日系企業として初めて上海A株市場への上場を果たした。
新株売出価格一〇元に対し初値は一四・八元。初日終値は一四・五四元と、売出価格比四五・四%高で歴史に残る初日の取引を終えた。売出の際の応募倍率は一九一八・六倍に達していたから、かなりの人気であった。
睦特殊金属工業の小山星児代表取締役社長(現会長。寧波東睦新材料董事長)はこの日、上海証券交易所(証取)の中央に設けられた壇上で、取引開始に合わせてドラを鳴らす栄誉を与えられた。九八歳という高齢ながら、かくしゃくとした足取り、いや手さばきで、である。当日が初取引となる上場企業はみなこのセレモニーに参加できるが、最高齢、そして初めての外国人となった。
 
  ● 国内最大の専門メーカーに
 
 
鉄粉などを金型に入れプレスした直後の部品類。この後焼結工程に移る
寧波東睦新材料は元の寧波東睦粉末冶金有限公司(一九九三年設立・部分合弁、九五年合弁化)を二〇〇一年に株式会社化し、併せて改称したもので、現在年産一万一〇〇〇トン(〇三年実績)と中国最大の粉末冶金焼結機械部品メーカーとなっている。
かな気くさいにおいが漂ってきそうな正門前で。多田副総経理(左)と曹董事会秘書
多田昌弘董事副総経理によると、もともと睦特殊金属工業は創業四〇年の東京・町田の粉末冶金メーカーだが、中国視察の際、やはり同じ四〇年の経験を有する浙江省寧波市の国有粉末冶金廠とめぐり合い、九二年、委託加工と技術提携を始めたのが合作のきっかけだった。
粉末冶金業は装置産業で、日本で本格的にやっているのはいずれも大手企業ばかり。また、コストが安いとされる中国であっても、ひとつの専用新工場を立ち上げるとしたらそれなりの資金と相当の根気が必要となる。まず、パートナーのよしあしだが、その面は問題がなかった。
小山社長は「中国には未来がある。縁があったこの寧波で世界級の企業になってやろう」と決意を固め、合作から合弁へのステップアップし、さらに「それら実績が自信につながり」その後の発展へと一気に階段を掛け上っていった。
 
  ● 国有合弁なればの煩雑手続き  
  「国内上場は、実際には証券会社主導でプロジェクトが進んだ印象があった」と、一貫して対応に当たった曹陽・董事会秘書兼総経理助理証券部長は言う。
連続三年間の増益実績と将来性の有無、国内市場での実力がどれほどのものかといった実証が必要であるほか、国有企業との合弁であったから、まず国有資産である土地や設備、建物などの所有権の確認がたいへん煩雑だった。綿密な調査を繰り返し行い、そのうえで株主や子会社などの資産の所有の明確化を図っていった。さらに、この作業には技術や商標(ブランド)の価値確認も含まれる。
業界での実力といえば、東睦新材料は国内随一の生産規模を誇るが、アジアでは上位五位以内には入るとか。この実績は高く評価されよう。ちなみに、粉末冶金製品の八割は自動車関連(四輪・二輪)、二割は家電関連のものだ。
上場に際して特筆されるものとして、当地での合作スタート以来の関係である地元寧波市の力の入れようといったら、並大抵のものではなかった。国有資産を実際に管理しているのは地方政府であり、株式公開は当然市政府の実績ともなるのであろうが、まさに陰に日向に上場を後押ししようとした。
 
  ● 「トヨタの街」天津に生産拠点  
 
歴史の街として美しい光景が広がる寧波市街
睦特殊金属工業と同公司などは八月初旬、天津市に東睦(天津)粉末冶金有限公司を設立し、その起工式を挙行した。天津はいわずとしれたトヨタ自動車の北方の生産基地となる地である。今後、流れからいって自然なことだが、南方の広州も無視できない存在となる。
寧波で合作・合弁、さらに上場を果たし、いまその種子が中国の全土に播(ま)かれようとしている。本籍は町工場として発祥した町田であろうが、住民登録は寧波、あるいはその他の中国各都市といえるかもしれない。
 
  合肥栄事達三洋電器
白物家電で安定した市場を確立
確かな発展への指針
 
  上海A株市場
三洋電機が中国で投資する白物家電メーカー、合肥栄事達三洋電器股分有限公司は八五〇〇万株を公開発行し、七月二七日、上海A株市場に株式を上場した。日系企業がA株市場に直接上場するのは寧波東睦新材料に続いて二社目となる。
合肥栄事達三洋電器は一九九四年一一月、合弁企業としての創業以来、安定して成長を続けており、投資回収率は一〇〇%を超える。
三洋電機の対中投資として一四番目のプロジェクトだった同公司は、合作、合弁、そして上場と、日本から見て「対中投資史」を象徴するみごとな発展過程を描いている。
 
  ● マジョリティーは中方が掌握  
 
洗濯機組立作業。男女入り混じっての現場が新鮮に映る
合肥栄事達三洋電器は合肥高新技術産業開発区に立地する。株式上場前の出資比率は、合肥栄事達集団側が五〇・二四%、三洋電機の一九・九七%など三洋電機グループが計四四・一七%を、また豊田通商も四・四七%を出資している。
三洋電機と栄事達集団の関係は、八五年の技術供与開始にさかのぼる。「あのころは現在のように発展した中国を想像することができなかった」と振り返るのは森幸一董事総裁である。森総裁は三洋で洗濯機部門における技術の経験が長いが、九三年一月から始まっていた合肥プェクト視察団に同二月から加わり、事業化調査書(FS)作りに携わった。
当時、三洋電機は広東省深市などでのテレビ、オーディオ機器生産などに着手、遼寧省大連市では産機ビジネスを中心に踏み込んでいた。主に華南はAV、華東は白物といったすみわけも確定しつつあった。すでに対中投資は第二段階に入っていた。
 
  ● 経営の透明性高めるメリット  
  上場検討は合弁プロジェクトが順調に熟成しつつある九八年頃から始まった。当時外資企業の株式上場規定が未整備で、企業再編、株式発行方法などの検討に時間を費やした。
中方は「企業規模を大きくしたい、知名度を高めたい」、そして「株式市場から安価な資金調達ができる」と主張した。一方、日方には、資金も潤沢で、上場後の運営上の各種制限から、あえて上場する必要はないのではとの消極的意見もあった。
しかし、栄事達は安徽省の省都を代表する家電メーカーである。省政府や市政府の積極的なバックアップを受けたこともあり、二〇〇一年一月の株式制転換以降、上場へ向けきわめて積極的に対応。日方はややこの勢いに押されながら、「経営の透明性が高まるとともに管理体制の確立にメリットがある」との判断がまさり、歩調を合わせるに至った。
 
  ● 合弁から一〇年、息長い関係に  
 
副総裁時代を含め合肥で6年の赴任が続く森幸一総裁
「上場は生半可なものではない」と森総裁は指摘する。経営の洗い直しのため、証券会社や法律事務所はもちろん、会計事務所との長期にわたる共同作業がなければならないし、さらに発行費用もかかる。
今回調達した二億元強は生産ライン新設や営業網の拡充に充てるが、使途は基本的には公表どおりに使用しなければならず、また業績が急拡大できない場合、償却負担も低くないことから、上場後に急に業績を落とす企業も出てくる。
しかし、森総裁は息の長い関係にある中方と三洋電機との協調を指摘し、「長期的、永続的な発展こそ重要」として、上場の成功を強調した。
 
  ● 永続発展への推移に集まる注目  
  三洋電機は、二〇一〇年には中国事業で、現在の日本の売上高に匹敵する売上を上げることを期待されている。森総裁によると、これとて「生半可なものではない」。
実際、上場を極めた合肥栄事達三洋電器は独立企業に転じているため、出資者全体に対するリターンを高めで維持しつつ、大株主の三洋電機の戦略とも歩調を合わせ、大きな目標に取組んでいかなければならない。
また、洗濯機や電子レンジを生産する同公司は、合弁家電メーカーとしては初めてのA株上場であり、家電製品の価格破壊が続く中国市場では、いやがおうにもその推移に関心が集まる。
「上場をポジティブなものとしてとらえ、確実な発展につなげること」。森総裁はきっぱりと今後の進路を示した。
 
  シコー技研
小型モーター専業ベンチャー
独行の合理経営に光
 
  東証マザーズ
一九七六年、神奈川県大和市でうぶごえを上げた社員わずか数人のハイテクベンチャー企業が、ついに創業二十有余年目にして、日本で株式公開を果たした。しかも、中国ビジネスを柱にしてである。シコー技研は小型モーターの専門メーカーだが、市場においては昨今の成長株筆頭と擬せられる。六〇〇件を超す個人特許を有する白木学社長のもと、上海市松江区の生産拠点を軸に、自社の成長を確実なものとしたのだ。
 
  ● 発明家の「ドクター白木」!
 
  シコー技研を語るには、まず白木学代表取締役社長(五七歳)のことを抜きにしては語れない。離合集散の激しい小型モーターの業界にあっても独立経営を維持し、「上場」までこぎつけた。その強い個性と実力を裏打ちするように、一貫して独自技術でシコーの経営を支えてきた。社名自体、社是ともなっている「独創的に思考した製品を開発製造する」からきている。
工学博士号を持つ発明家でもある白木社長は、学生時代から発明に関心を持ち、東京理科大学在学中には特許研究部を設立したり、故松下幸之助氏の門をたたいたりしたなどのエピソードを持つ。同時に、数多くの特許を持つ伴五紀氏に弟子入りし、卒業後は同氏が経営するセコー技研に入社。その後独立し、資本金一〇〇万円の有限会社(当時)シコー技研を設立した。
 
  ● ケータイ・PC・デジカメ…
 
 
「増設のための用地はすでに取得済みです」。第四工場正門前で
シコー技研および子会社・関係会社三社のグループは、各種モーター応用電子部品の開発、製造と販売を主な事業とする。シコー技研はモーター応用電子部品の研究開発を行い、その技術を関係会社に移転する。同時に、部品と治具、工具、金型などの生産機器を関係会社に供給し、先方からモーター応用電子部品を仕入れ、日本や世界各国に販売している。
その製品にはファンモーター、振動モーター、オートフォーカスモーター、リニアモーターなどがあり、ファンモーターはパソコン(PC)、また振動モーターは携帯電話機に使われる。さらにデジタルカメラなどを含め、いずれもの製品がみなIT化された現代社会必須のアイテムに向け供給されているのが特徴だ。
一九九四年、インテルが同社製品に興味を示し、ペンティアム・プロセッサーの冷却用ファンモーターとして導入を決定。一介の町工場だったシコーがビッグチャンスをつかむきっかけとなった。

株式会社シコー技研SHICOH ENGINEERING CO.,LTD.
(本社/神奈川県大和市下鶴間3854-1 テクノプラザ大和)
上海思考電子有限公司=1994年設立。上海市松江区茸北鎮茸梅路69号
思考電機(上海)有限公司=2001年設立。上海市松江区松江出口加工区茸騰路――現地法人2社で従業員総数約6000人。
 
  ● 「東証一部」も間近の射程に
 
  東証マザーズにおいての初取引は今年八月一八日。公募価格の一株三〇〇万円に対し初値は同五〇〇万円。最高で五八〇万円にまで達する異例の高株価となった。取引代金総額は全市場で四位という最近でもかなりの好成績に。調達した資金はおよそ三〇億円だが、うち一五億円を上海における設備投資に充当する。
白木社長は「株価はいまでも一株四五〇万.四六〇万円という高値で推移し、大幅に落ちる可能性もない。投資家や関係者のどなたにも迷惑をかけるようなことはない。ここまで来られたのも、独自の自社技術と、さらに中国側パートナーのおかげ」と淡々と語る。
携帯電話機やPC向け小型モーターの販路が格段に広がり、毎期ごと業績好調であったことから、少なくとも一.二年前といったもっと早い時期の上場をも望めたものの、連結対象や持ち分法適用となる子会社など三社の財務面での調整が手間取った。
もっとも、シコー技研自身は米ナスダックと東証一部への上場を前提としての準備を進めてきたこともあり、業績がこのまま順調に推移していくと、今後三年以内の両市場への上場は容易であると見られている。
 
  ● 会津で決断下した対中進出
 
 
白木学社長は「ナスダックと東証一部上場は3年以内に結実」と強調する
気候が東京などと変わらないことと、的確な仲介があったこと――。白木社長は中国進出でも、上海の松江をあえて選んだことをこう説明する。かつて、福島県の会津に生産子会社を設立していた時期(一九九〇.二〇〇一年)もあったが、ハイテクといっても、実際の生産現場では単純労働の繰り返しともいえる面がある。その労働集約型産業のなせるわざか、従業員が居つきにくいなどの理由から、泣く泣く撤退した苦い経験があった。
しかし、視察に訪れた一二.一三年前、当時の中国は労働環境がきわめて悪かったものの、それでも働きたいと集まる求職者の大群をまのあたりにし、思い切って会津からの移設を決断した。
いま、松江区を代表する日系企業の列に躍り出た感があるシコー技研だが、今夏の電力不足や遅々としたインフラ整備の問題など、上海や松江の地方行政に対しては手厳しく言いたいことが山ほどあるという。それに対し、孫建平松江区長は「白木サン、ぜひあなたとわたしとの間にホットラインを作りましょう」と、素直に聞く耳を見せているのが評価できると白木社長は指摘する。
一方で「シコーにとって、松江でなければならない、というわけではけっしてない」とも語る。中国でも煙台(山東省)などの地への関心を示し、タイやベトナムなどのその他の国への進出も射程に入れていることを断言してはばからない。
技術屋出身らしく、ずばずばと直言する白木社長。合理的思考から、一切の行動もちゅうちょせず、とにかく早い。かといって、ときには情緒がまさる面もあるようである。松江ではいま、「大学城」の整備が進む。白木社長は豊かな教育環境に恵まれ、発明家への夢を育んだ故郷岐阜県での子供のころを思い返し、ゆくゆくはこの松江の地に大学を作りたいと言った。「中国の若い世代みんなに、技術のすばらしさを教えたい」と。
 
  ● 雑魚が一足飛びにクジラへ
 
  シコー技研はこのほど、直径二・八ミリメートルの世界最小サイズのモーターの量産を始め、電話機メーカーなどにサンプル出荷することを決めた。発明家の白木社長だが、いま経営はモーターの開発と生産・販売にもっぱら傾注し、新しい事業分野への展開は満を持する形でその後を考慮する。
「当社はまねしてもうけようとする会社ではないから、その分、他社からの買収持ち掛けなどの小競り合いもつきない」と振り返る白木社長。独立独歩路線を継続するためには「小魚がほかの魚に食べられることがないよう、一気にクジラのように大きくなるのがいちばん」と軽妙に形容し、上場も含めた規模と業容の拡大は避けられなかったと強調する。「若者よ、からだを鍛えておけ」と、戦中戦後世代には懐かしいキャンパスソングの大意も、自らを鼓舞するたとえとして示した。
上場で調達した資金のうち、設備投資充当分は松江の第二・第四工場の増設に充てられる。現在第六工場まであるが、今後は好調な業績を背景に、さらに新工場の新設も必要となりそうな動きだ。
 
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