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巻頭インタビュー
独特の流儀でグループの上場目指す
弁護士法人キャスト糸賀 代表弁護士 キャスト・グループCEO 村尾龍雄 氏

 
  法務、税務、会計のワンストップサービスを標榜し、中国に限らず、日本、韓国、ロシア、ベトナムを含む総合的グローバル・コンサルティング活動を展開するキャスト・グループ。昨今ではこの主力業務に加え、人材仲介、マーケティング、物販など幅広い領域で存在感を見せている。同グループが目標として掲げるのが08年上半期のマザーズ上場。実現に向けて陣頭指揮に立つのがグループCEOの村尾龍雄氏(弁護士、税理士)である。  
 
プロフィール:
村尾龍雄(むらお・たつお)氏
キャスト糸賀代表・キャスト・グループCEO。弁護士、税理士。1964年大阪生まれ。京都大学経済学部卒業後、神戸市に勤務、その間司法試験に合格する。その後、大江橋法律事務所上海事務所代表を経て独立、2002年弁護士法人キャストを設立。現在、法務、税務、会計を中心とした総合的コンサルティング活動を展開している。05年、上海市に貢献のあった外国人に贈られる「白玉蘭賞」を受賞、広州市投資顧問にも就任。2000年から05年まで華東政法学院に「村尾育英基金」を設置。現在は上海交通大学に法学部生のために日本の著名上場企業の法務部長が日本の法務実務を講演する講座を2カ月に1度の割合で開設している。主な著書として『島耕作の中国ビジネス最前線』(漫画家・弘兼憲史氏との共著、講談社)、『模倣対策マニュアル(中国編)』(JETRO刊)がある。
 
  ● 南米を放浪、革命ゲリラとも交流?!  
 
  医者の家系に生まれる(父親、両祖父、叔父、叔母等)。たとえ多忙を極めていても健康管理には人一倍気を配るという
中国ビジネスに携わる人士にとって、最もなじみ深い弁護士といえばこの人のことをいうのではないか。村尾龍雄氏、四一歳。法務、税務、会計のワンストップサービスを標榜し、総合的コンサルティング活動を展開するキャスト・グループのCEO。弁護士、税理士として、幅広い活動に携わる。NIKKEI NETの特設コーナーで印象のある人も多いだろう。
しかし、現在では中国ビジネスの第一人者とされる氏も、最初から筋金入りの法律専門家・中国通であったわけではない。彼の意外な横顔、過去の武勇伝を知った人はみな驚きの声を隠せない。  
一年の浪人の末、京都大学に入学した村尾氏がまず行ったこと、それは南米の放浪だった。中学、高校時代、テニス部と陸上部を掛け持ちする傍ら、ブラジルポルトガル語とスペイン語の学習、そして中南米の短波放送を聴取することを趣味としていた同氏は、自らが聴取した数多の放送局を訪問すると同時に、チャランゴ奏者の名手として知られるエルネスト・カブールのコンサートに参加すべく渡航、特に興味のあったボリビアとペルーを目指したという。当時エルサルバドルで活動をしていた反政府ゲリラ放送局から返事を受け取った唯一の日本人であるとされるなど、かなりオタクな側面を有する学生であったことは間違いがない。  
南米放浪からキャンパス生活に戻った村尾氏が次に夢中になったのはスポーツだった。大学二年から留年一年目の五年(!)まで八〇〇メートルの陸上選手として関西インカレ、旧帝大対抗戦などで活躍した。現在でも東京勤務時にはインターハイに出場したテニス仲間を相手にラケットを振るうなど元アスリートの面影を残している。
そんな放浪とスポーツに熱中してきた村尾氏が、本腰を入れて勉学に取り組もうとしたとき、彼が選んだのは司法試験への道だった。経済学部に入学し、公認会計士を志すという当初のもくろみから大きく方向転換した動機について村尾氏は、「待遇を調べると、公認会計士は安定しているが、弁護士は一定レベル以上になれるとその待遇は公認会計士よりもいいらしいことがわかったのです」とあっけらかんと答えている。
 
  ● モンゴル平原を自転車で駆け抜ける
 
  やがて神戸市に就職した村尾氏は、働きながら司法試験突破を目指す。都市計画局区画整理部という部門に配属され、日々、法律の勉強、研究に取り組めたことも幸いし、三年目に見事合格する。  
なお、神戸市での勤務は、弁護士への道を切り開いてくれたと同時に、中国との「縁」づくりをしてもらえたという点で村尾氏にとってはかけがえのない経験となった。  
同氏が司法修習生であった一九九三年のことである。内蒙古のフフホトから神戸市の友好都市である天津まで自転車走行するというイベントに村尾氏は参加する。その距離一一〇〇キロ。村尾氏は四日かけてこのコースを完走したという。  
このときに交流したフフホト副市長や天津副市長を始めとした中国の人たちから受けた「ものすごく強くて良い印象」は、その後、彼をして中国ビジネスへとどっぷりと浸からせる強い動機づけとなった。  
神戸市を去り、司法修習生を経て、九五年、大阪で最大規模の法律事務所であった大江橋法律事務所に入所した村尾氏のもとに、大きなチャンスが転がりこむ。  
「誰も若手で上海に行ってくれるやつがおらん、村尾君、君はどうか」――。上海に事務所開設の話が持ち上がるや、彼に赴任の誘いがかかってきたのだという。
二つ返事でその任を引き受ける。  
村尾氏は九六年から九九年夏まで大江橋の上海事務所代表として活躍することになる。  
「この街はとことん現実主義。理屈云々ではなく結果を出すことが第一」(村尾氏)。そんなドライな上海の空気にフィーリングがぴったりと合ったという村尾氏。先輩弁護士の熱心な指導も受けながら、たゆみなく努力を続け、在任期間中は申し分のない成果を収めた。  
しかし、彼はその実績だけでは満足しなかった。「中国法務という特殊な分野で、より自由に、しかも迅速に業務を立ち上げていけないだろうか」と考えるようになっていた。  
「伝統ある大江橋にいるよりも、リスクをとってでも独立した方がいい」――。そんな決断を彼にさせるのに多くの時間は要しなかった。九九年八月、村尾氏は大江橋のもとを巣立つ。自身の事務所を開設することとなった。
 
  ●「ビジネスプラン」がズバリ的中
 
 
  「国籍・性別なし」の人事戦略が村尾CEOの流儀。写真左はキャストコンサルティング・ジャパンの代表取締役を務める徐向東氏
たった一人の弁護士(村尾氏)と秘書二人だけのスタート。「クライアントが獲得できるかについては大きな不安があった」と村尾氏は当時を振り返る。  
しかし大阪では、俗に「お裾分け」という人情味ある風習が今でも多くの(法律)事務所に残っている。その恩恵を村尾氏も預かることになった。世話になってきた大江橋事務所の許可なしに、これまでのクライアントを相手に仕事をすることは業界の通例として許されない。しかし、先輩弁護士は「彼らが村尾に頼みたいというなら、そのクライアントのお世話はして宜しい」と彼にエールを送ったのだという。結果として、独立した初月から村尾氏は予想を遥かに超える売上を計上することになった。  
二〇〇〇年、今度は、公認会計士の三戸俊英氏とともにコンサルティング会社を設立する。会計士や税理士などと融合することによってワンストップサービスを提供すれば成功するという確信が背景にあったのだという。  
事実、氏のビジネスプランは的中した。大手家電メーカーから受けた債権回収の案件を解決に導き、その成功報酬で初年度の経費を概ねまかなえるという幸運にも恵まれ、上昇気流に乗るラッキーなスタートとなった。  
〇二年八月には瓜生弁護士と弁護士法人を設立、〇五年一月に中国法律業務の草分け的存在である糸賀・曾我法律事務所と合併した。現在、拠点は東京、大阪、上海、北京、大連、蘇州、広州に広がり、グループの人員規模は総勢二七〇名を超える。
 
  ● 〇八年「上場」を目指して
 
  次に、村尾氏が夢を描くのは株式上場である。伸びゆく中国のエネルギーを自らのものにしていくうえではコンサルティング事業をメインとするだけでは難しい。自らがリスクをとり、自ら積極的にM&Aを仕掛けていくこと。上場時期についてはオリンピックが北京で開催される〇八年夏に照準を置いているという。
「弁護士なのに上場を目指すとは……」という批判的な見解を示す声も一部にはあるという。しかし、「平成二二年には毎年新人弁護士が三〇〇〇人も登場してくる未曾有の大競争時代が到来する」(村尾氏)。となれば、中国法律のプロフェッショナルを同じように喧伝する他の法律事務所との差別化対策も必須となる。
「グループの財務体質を徹底的に強化して、一生懸命発展に尽力してくれている仲間に最高の待遇を与えたい、福利厚生についても完全にしたい。クライアントは誰よりも大切にするけれど、みんなが弁護士である前に、一人の人間としてややゆとりのある生活を実現し、持続可能な発展が可能なクオリティー・オブ・ライフを実現してやりたい」(村尾氏)。こうした強い思いの本質が「小康社会の実現」「調和社会の建設」を目指す中国の政策方針とも合致するように見えることも、同氏の中国との深い縁を感じさせる。
昨年のグループ売上は三〇億円。「M&Aや事業再生などの案件が増え、ディールサイズが大きなものも目立ってきました」(村尾氏)。「しかし、株式時価総額の面で魅力的な計画を示すことができるかについてはなお不安があります」(同)。それゆえ、新規サービスの開始など様々な領域での事業展開にも意欲的に取り組んでいる。
その一つが会員サービスの開設である。より多くのクライアントを取り込もうと法令データベースを充実、「敷居の高い」イメージを取り払い、中小企業でも利用可能な低額サービスのメニューを用意したのだ。一方、日系企業専門の求人・求職情報サイト「job2me.com」を運営する鴎秀(上海)管理諮詢有限公司に出資、同社との業務・資本提携も進めている。
「中国は飽きないですね」(村尾氏)。モンゴルの草原を駆け抜けた一三年前、まさか自らが中国ビジネスに身を投じるとは思えなかったと回想する村尾氏。そんな彼が信条とするのは、「中国を友人として見る思いがなければビジネスは成功しない」ということだという。「ふだん使っている漢字も無償ライセンスのようなもの。一定の感謝の気持ちを抱いていないと――」。
今後の両国関係については楽観する。「政冷経熱から『政熱経熱』の時代となっていくことは確実です」(村尾氏)。
「夢は日中友好」――こんなごく平明な言葉の中にも、村尾氏は自らの独特な流儀を貫こうとしているのだった。
(取材 編集部)