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「背水の陣」で挑んだ起業人生 文化・芸術の融合空間に夢託す
愉家Yuga渝郷人家総裁 朱蓉 氏
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刻苦奮闘し財を成した人のことを「白手起家」という。昨年、「北京・外食産業10大人物」の一人に選ばれた朱蓉さんもまた、この言葉で形容するのに相応しい人物だ。芸術と文学をこよなく愛す小柄な女性。そんな彼女が徒手空拳で始めた四川料理レストラン渝郷人家は現在、北京と上海に9カ所、従業員は1000名を超える。この春、新たなブランドである多国籍レストラン愉家を上海にオープンさせる。彼女の挑戦は、単なる外食産業の域にとどまらない「生活芸術」というべき領域にも及ぶ。 |
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プロフィール:
朱蓉 Zhu Rong 「愉家」 総裁
1970年重慶生まれ。四川外国語大学卒業後、91年に単身、北京に渡る。香港漢雅軒北京代表処に勤務、中国芸術研究学院・現代芸術評論家である粟憲庭のアシスタントを担う。その後、中央テレビにも在籍、編集職に携わる。98年1月、四川料理レストラン“渝郷人家”を創業、北京の人気スポットに。06年3月、別ブランド“愉家”を営業開始する予定。 |
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● 徒手空拳からの起業 |
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| 小津安次郎映画のファン。全作品を鑑賞したという。バイオレンス作品など、「人間の醜悪な部分を強調した現在の作品はなじめない」(朱さん)という |
朱さんは重慶出身。四川の大学を卒業後、単身、北京の地に乗り込んだ。このときのことを彼女は次のように回想する。
「自由とは、自分の考えを十分に実現できるものだと考えました。誰からも邪魔をされず、周りの環境、人間関係、さまざまな事柄から影響を受けることなく、できるだけ自分の内にある声にしたがって生きていきたいと考えました」
二〇代は、芸術会社、テレビ局など幾多の職場を渡り歩いた。両親、先輩、周りの友人の多くは、こんな彼女の生き方に決して賛同はしていなかったという。朱さん自身も、「若い頃の夢というのは自由で大きなものであるけれど、具体的な方向性に乏しく、憧ればかりが先んじていたように思います」と当時を振り返る。
そんな彼女が突然、病に伏せる。二○代後半にさしかかった頃のことだ。すでに一児の母になっていた。職にも就けず休養に専念することおよそ一年、ようやく回復のめどが立ったとき、彼女は宮仕えの道を選ばず、自ら事業を興すことを決心する。
「後がなかった。背水の陣という心境でした」(朱さん)。両親らから借りた資金を元手に、最初は小さなバーを開こうかと思ったという。「いや、自身の興味はどちらかといえば美酒より美食を嗜みたい……」、そんな逡巡もあったのかも知れない。彼女がたどり着いた結論は四川料理のレストランを開くことだった。
故郷への想いを込めて店名を渝郷人家(渝は中国語で重慶の意味)と名づけた。一号店をオープンしたとき彼女は 二九歳。自由奔放な生活に憧れながらも、時として迷い葛藤し、紆余曲折に富んだ彼女の思春期は、自らの事業の船出とともに一つの決着を見たのだった。
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| 昨年9月にオープンした渝郷人家上海1号店(正大広場6F) |
「スタートしてみると自分の生き方にマッチしていると感じたのです」(朱さん)。文学と芸術を愛してやまない彼女。家具の配置や店内の装飾等々に自らの気持ち、感情を注ぎ、心の要素をかたちに変えていくこと、そんな試みの一つ一つに生きがいを感じたという。
どちらかといえば、低廉で素朴な家庭料理の寄せ集めというのが四川料理の骨頂である。第一号店の看 板料理となったのもマーボー豆腐。そんなお店がいつの間にか巷で評判となり、二店舗、三店舗と拡大していき、一つの「ブランド」にまでなった。
「私が学んだのは勤勉であることの大切さです」と朱さんは語る。彼女は、ひたむきに管理の知識の習得にも努め、順調に店舗は経営拡大の路線を歩んだ。
「以前、私が病気になったのは職場での激務が原因だったのではありません。芸術会社での仕事も楽しかった。でも、一生懸命に働いていたとはとてもいえないかも知れません(笑)」と朱さんはおどけた表情で語る。
現在、店舗経営の理念として、朱さんは「勤勉・科学・信念・態度・親和」を掲げる。ユニークな個性を演出した店舗の経営と短期間での事業発展、その優れた手腕が注目され、彼女は昨年、「北京・外食産業一〇大人物」の一人に選ばれている。 |
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● 新たな「ブランド」づくりへの挑戦
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| 文化・芸術との融合空間に夢とロマンを託す。写真は朱さんがこれまで手がけてきた出版物 |
新たな奮闘の舞台に選んだ上海で、彼女がいま手がけるのが渝郷人家とは全く異なるコンセプトの店づくりである。
愉家と呼ばれる多国籍料理のレストランが、間もなく浦東の正大広場九階にオープンする(三月一日より営業開始)。面積二〇〇〇平米、収容人数は四八〇名。ベランダからはバンドの建築群や東方明珠タワーを一望することができる。店舗のコンセプトを「Fusion」(融合)と朱さんが表現するように、中華、東南アジア、日本など様々な美味を取り揃える。シェフは五つ星ホテルのレストランからスカウト、彼らの個性あふれる腕自慢の料理が存分に楽しめるという。
設計にもこだわった。しかし、豪華絢爛さの演出が彼女の目的ではない。愉家は「人の心の奥底にある素朴な気持ちを表現したところ」という朱さん。「たとえ、ビジネスであっても、やはり心の要素を体現したい」「素朴であるけれど優雅な空間のなかで、生活に彩りを与えるような体験を(お客さんに)していただきたい」と彼女は願う。文字どおり、愉家が目指すのは生活の潤いとくつろぎ、そして喜びであるといえよう。
俗に「捨てなければ得られない」という。事業発展の過程で犠牲にしたものがあるとすれば、それは家庭だといえるかも知れない。北京で創業したときは夫との二人三脚で仕事に取り組んできたものの、いまでは関係が疎遠になってしまった。「隠し立てする必要はないこと」(朱さん)としつつも、このことについて彼女は多くを語らない。
息子の顔を見ることがなかなかできないというのも気がかりだ。電話の向こうからは「お母さん、帰らなくていいよ、仕事終わったら話しようよ」と息子は話しかけてくる。しかし、寂しい想いをしているのではないか、ふてくされてほしくない、と心配は尽きない。母親の仕事ぶりを見聞きしながら、生活するということは簡単ではないことが子どもにも認識できるとすれば、成長過程において彼はより多くの能力を身につけていくことになるだろうと、朱さんは期待を抱く。
現在、子どもの面倒を買って出ているのは朱さんの両親である。彼女を励まし、心から支え、彼女の事業人生の精神的支柱となっている。 | |
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● 友人たちとの心の絆
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家庭についていえば合格点域にはないと朱さんは自己評価するが、恵まれた友 人関係については感謝の気持ちが尽きな い。
「捨てる神あれば、拾う神あり」とでも言うべきだろうか。愉家のコンセプトが思い浮かんでから、周囲の友人は朱さんを理解し支え、各自が知恵とアイディアを、何ら見返りも求めずに出し合ってくれたという。時間的にも体力的にも困難な事態に直面し、へこたれそうになっても、そんな友人の存在が励みになって、朱さん自身も愉家を徹底して完璧なものに仕上げていきたいと決心したのだという。
「友人一人ひとりが私にとって一番大切な財産」と語る朱さんは、ある書物にこんな言葉で想いを綴っている。
「私はかつてこんな思いに浸ったことがあります。もし私の生命が二四時間しか残っていないのなら、私は半分の時間 を好きな人たちを呼んで、一緒にお酒を 飲んだり、雑談をしたり、あと半分の時間は一人になり、この世との別れを待つのです――」。
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● 生活の芸術化を求めて
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| 実直・謹厚な人柄がにじみ出る |
渝郷人家の第一号店を開いたとき、朱さんは自らの事業がここまで発展するという自信と確信はなかったという。北京で八店舗を展開し、上海への進出を検討したのは、四川料理レストランの市場が飽和状態に近づいている北京に比べ、上海にはより大きな潜在空間があるという判断がある。
日常の仕事を通じてストレスが募り、都会人は「辛い」味覚を刺激として求めようとする。もしかしたら、現在の上海は、「激辛」という言葉が流行語となり、極端な辛さを売り物としたエスニカンなどの料理がブームとなった八〇年代後半の日本の様相と重なるものがあるのかも知れない。
しかし、未開拓のマーケットに挑戦するという気負いは彼女からそれほど感じられない。マネジメント、人材管理という言葉にもやや抵抗があるのか、一〇〇〇名を超える従業員に対しても「同僚という感覚で接したい」(朱さん)と語る。
そして、渝郷人家然り、愉家然り、事業が発展すればするほど、彼女の想いの比重は、物質的な要素よりも、心の要素により傾倒していくような気配が感じられる。「上海の夜景が煌くほど輝けば輝くほど寂しさを覚えることがある」という朱さん。豊かさを追求する過程で、人と人との間にますます深い溝が作られていくのを上海にいて感じるのだという。「みんなが本音を出さない。上辺の形式的・個人主義的な態度になりがちだ。私は上海が好き。でも、彼女(上海)との距離はいつになっても縮まらない」と朱さんは語る。
店舗開設のために忙しい日々を過ごす彼女が、もうひとつ精力的に取り組んでいることがある。著名な作家らの寄稿文 を編纂した機関誌の発行である。この三月にも創刊号が出版される予定で、今後季刊のペースで制作していくのだとい う。「愉家はひとつの夢であり、ひとつの種子」という朱さんは、愉家を単なるレストランにとどまらない空間に育て上げようとしている。 朱さんはこうも語っている。「生活はもっと芸術化されなければならないのです」――。
胸のときめきとなって湧きあがる
夢が始まる処、
暖かく、明るく繊細な処、
活気にあふれている処、
時間の魔法があなたを迎える
(愉家創業に寄せた朱さんの文章より抜粋)
取材 編集部
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