Walker
中国最新情報満載!!
私も起業家
■ 2006年7月
日本語通じて知った中国の姿、理想求めてつくり上げた通訳・翻訳会社
「日系企業の人材現地化の障壁になっているのが、中日の文化・人間性の違いや言葉の壁だ。この中でいち早く改善できるのが言葉の部分。コミュニケーションとしての言葉を重視することは、事業拡大の成功に繋がる」  
more >>  
■ 2006年6月
スタッフのために飛び込んだ新天地、サービスにも磨きかけた「汽車美容」
「絶対に潰れるぞ」。〇三年八月、上海市内に洗車・カーケアの新店舗をオープンさせた頼逢吉さんに、訪れた客は半ば呆れ顔で言い放った。価格表を見れば、通常では一台一〇元の洗車代が二五元。同店は洗車液からワックス、スポンジまですべて輸入品を揃え、謳い文句は「日式サービスと技術」、である。  
more >>  
 
■ 7月
日本ブランドが結集するショッピングモール独創性は未開拓のビジネスに宿る
流行発信都市、上海。目抜き通りである淮海路の九八号に「日本の若者のライフスタイル」を具現化したショッピングモールがある。一階から三階までの計一万平方メートルの面積に、日本発のアパレル、雑貨、創作料理、カラオケボックスが一堂に集結している様は、さながら「リトル渋谷」。この独創的なビジネスを手がけるのは布施翔氏。日本に帰化した上海人である。
more >>  
 
■ 6月
日本人女性の視点で漢方エステを追求夢の扉はガッツで開く
恵まれた環境にありながら、あっさりとそれを手放してしまう人がいる。そういった人達は世間の尺度など気にもせず、わが道を歩く。
華のOL生活を捨てて
日本で大学を卒業後、都内の大手製薬会社でOL生活をしていた彼女は、当時の生活を「旅行に、ショッピングに、グルメ三昧と、気楽で楽しかった」と振り返る。……
more >>  
■ 5月
紆余曲折経て上海で城築く相談者も後絶たず
差し出された名刺には「Adviser(顧問)」と明記されている。椎野英紀氏はイタリアンレストラン「Domani」のオーナーその人である。ただ、上海でビジネス展開を考える人々にとって、とりわけ椎野氏は良き「アドバイザー」であることに間違いはない。椎野氏のもとには月に二人のペースでアドバイスを求めに人が訪れる。上海在住歴六年で今年四一歳、広告代理店のデザイナー兼営業から上海でコンサル会社勤務、さらに遡れば日本でナイトビジネスを立ち上げたこともある。その道のりは決して平坦なものではなく、紆余曲折を経て蓄積された経験と親しみやすい人柄が人を引き寄せる理由であろう。
more >>  
■ 4月
シックハウス症候群KO宣言 空気媒体「セルフィール」が中国に
シックハウス症候群が社会問題化される中で、安心できる住まいを実現する『健康な住宅への改善』として空気触媒「セルフィール」が注目されている。その総販売元であるウィルサポート(本社、大阪市)がこのたび中国で本格的な販売に乗り出した。同社の松村一夫・専務取締役に「セルフィール」の効果、今後の展開についてインタビューした。
more >>  
■ 3月
ミュージシャンから、江蘇省飲食業界の台風の目へ人生の歯車は止まることなく回り続ける
年中買い物客でごった返す蘇州市随一の繁華街「観前街」。その観前街の南、市内を東西に貫く主幹道路である干将路に面した所に広東&蘇幇料理(注1)の「天竺」がある。九六年に蘇州市で初の大型レストランとして華々しく登場し、当時から今に至るもお客はもとより食にうるさいいわゆる評論家連中にまで人気を誇る有名店である。この店が日本人による経営だとは誰もにわかに信じがたいかもしれない。
more >>  
■ 2月
イタリアンレストランを支える現実的かつ緻密なビジネスプラン
上海でイタリアン「COLABO」は、三〇台前半の旬な男・三人が出資して経営するイタリアンレストランだ。
「我々のような未熟者三人が揃ってはじめるビジネスに『上海でイタリアン』は自然な選択だった」 と経営者の一人でオーナーの黒木論一さん(三〇歳)は語る。
東京銀座でイタリア料理店「DIOPADRE」を経営する中村一昭さん(三〇歳)と上海出身で日本滞在歴一二年の陳春楊さん(三三歳)、そして香港ビジネスも経験した黒木さんの三人が結束。加えてターゲットとなる顧客も豊富で、地価や人件費などの運営費を自己資金でまかなえる上海ビジネスは、「三人寄れば文殊の知恵」とばかりに出 た答えだった。
SARS禍の中で開店準備を進め、終焉に近づいた〇三年六月に静安公園店をオープンさせた。このとき黒木さん二九歳。三〇歳までに独立したいという夢を目前で叶えた。
昨年四月には二号店となる古北店が開店、二店舗とも順調な客入りで盛況を見せている。
more >>  
■ 1月
デザインはミニマニズム+中国風現場管理は日本式「センス」光るインテリア
上海市のユースチーム代表で活躍したかつてのサッカー青年が、今では起業して高級住宅、レストラン、オフィスなどのインテリアを手がけるデザイン事務所の主となった。
司徒偉泓総経理は「この丈夫な体はサッカーをしていたおかげ」と話す。今は専ら趣味のゴルフにいそしむが、深夜放送の欧州サッカーはついつい見てしまうという、現役の「球迷」だ。
また、デザインもサッカーも「センス」という点で共通するという。中田英寿の大ファンで、その理由も「クレバーなところ」。会社の司令塔として、「センス」溢れるパス(デザイン)をクライアントに提供している。
more >>  
■ 2004年12月
設計技師転じ渡航するも辛酸 日本の味を守るため再起果たす
浜ちゃん−−、一フロアのみ、厨房を含めて総面積で四五平方メートルのこじんまりした店だが、これがい ま、七転び八起きのシャンハイライフを経た、浜崎雅彦さんの「城」である。
表の看板に中国語の表記は一切ない。大書した「とんかつ」の字が目に入る。清潔感あふれる店内はシックな色調でまとめ上げられている。日本人向けの食べ物屋として、とりわけトイレには凝った。内装にかけた一〇万元を含め、創業のコストは計三〇万元かかったが、それ以前の「うす汚れた中華料理屋」は一変した。
more >>  
■ 2004年11月
アパレル育ち、通じる経営観 食へのこだわり究め自ら開業
真っ黒に日焼けし、中背ながらも骨太の体躯。失礼ながら、いまヘルメットをかぶって作業服をまとえば工事現場の監督といった印象さえある。そんな、アウトドアの雰囲気がやたら漂う中山満生さん(五四歳)。異郷の地、「肉が大好き」で、自ら立ち上げた焼肉屋の親父とはかくあるものかということだろう。
「腕ずもう、やりましょう」。取材の過程で興に乗り、牛タン塩焼きを試食していた記者と突然の力比べが始まった。焼肉専用大理石テーブルの片隅を土俵に見立ててであるが、事実、怪力だ。中山さんは大分県別府市の出身で、大学(日本大学)二年まで、ゴルフ部に所属していた元シングル・プレーヤーであり、もちろん今も現役。フェアウェーで培った腕っぷしの強さもあろう。だが、高校以前も空手などの武道をたしなんだ年季は半端なものではない。
more >>  
■ 2004年10月
「日式甘味処を上海でも」 趣味生かした夢、ついに実現
上海のマンション六階にひっそりとオープンした甘味処「Sakura*Do」。企画・運営するのは上海日品餐飲管理有限公司の浜口美香副総経理。同社は浜口さんが上海留学時代に知り合った中国人の知人と今年五月に設立した。
法律事務所に勤務していた浜口さんは、視野を広げる目的で退職し、上海に渡った。一年の留学を終え帰国したが、何か物足りなさが残り、「何か自分に出来ることがあるのでは」と考えた結果、上海に和菓子を提供する甘味処がないことに着目した。
more >>  
■ 2004年9月
徒手空拳で化粧品ビジネス  夫人主導?ながら舵取り確か
上海の街角で、なにげなく「hitomi」の赤いロゴを目にした人は少なくなかろう。それがわずか間口一間に足りない零細洋装店であったり、化粧品や装身具も並ぶガラス張りのしゃれたブティックであったにしても、いずれも共通して、日本人なら「もしかして、日系?」と気付く洗練された雰囲気が漂う。
経営者は奈須野孝さん。夫人の瞳さんの名を冠する四店舗は、衣料品のうちレディスカジュアルを取り扱う。小規模な直営チェーンではある。が、本来hitomiはオリジナル化粧品に付けたブランド名。口紅やアイシャドー、そして衣料を武器に、この上海で一大ファッションブランドに育て上げようと、いま奈須野さんは、敢然と脱サラビジネスの道を歩みつつある。
more >>  
■ 2004年7月
タイムレスな空間を演出する異才会員制レストラン雍福会が正式オープン
かつて領事館としてつかわれた別荘が、上海出身の異才の手によってエレガントでユニークな会員制サロンの場としてうまれかわった。洋館、パティオ、庭園、回廊、別館が3年の年月をかけて東洋と西洋のクロスオーバーする様式をもつ会員制サロンの舞台となったのである。是非ためしてみたい上海の隠れ家である。
more >>  
■ 2004年6月
バブル崩壊の辛酸なめ病魔も…七転び八起きで工務店業確立
建設ラッシュが続く上海。建物の内装などを手がける建築業の需要も当然のことながら多い。そのビジネスチャンスに目を向けて成功している日本人起業家がいる。上海竹内建筑装有限公司の総経理・竹内博(五六歳)さんだ。
成功とはいってもその裏には失敗もあった。工務店経営者を父に持つ竹内さんは、一九六〇年代後半からこの世界にはいる。そののち自らゼネコン経営を始め、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いであったという。しかしバブル崩壊のあおりを受け倒産。連れあいとも離れ、ものの見事に丸裸になった。九四年のことだった。
ずっと建築畑にいた竹内さんは、その後派遣会社を介し、建築会社で雇われ社長を務めるようになる。そして九七年、上海へ出向する機会を得た。
いざ蓋を開けてみると、上海での待遇は日に日に下がり、ついには現地採用並みの給料となっていた。これでは食べていけないと感じた竹内さんは、日本へ帰ることを決めた。

more >>  
■ 2004年5月
安く、うまく、ゆったりと‥資産つぎ込み思い通りに運営
カレーライスにハンバーグ。エビフライにスパゲッティ。おいしく、そしてどこか懐かしい日本の洋食。上海・徐家匯にあるレストラン「Cuross(科楽司)」はそんな日本の洋食を安く、しかもゆったりとした雰囲気の中で楽しめるレストランとして人気を呼んでいる。
二〇〇二年一一月のオープンから約一年半。一三九平方メートル五〇席の店に毎日二五〇人の客が訪れる。その六割は中国人。洋食に郷愁をそそられる日本人だけでなく、広く受け入れられた理由は、一六年間中国で仕事をしてきた店主・黒杉政博さん独自の戦略による。
more >>