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私も起業家
  ミュージシャンから、江蘇省飲食業界の台風の目へ人生の歯車は止まることなく回り続ける  
  「天竺」  佐久間 亨氏  オーナー  
  佐久間 亨氏年中買い物客でごった返す蘇州市随一の繁華街「観前街」。その観前街の南、市内を東西に貫く主幹道路である干将路に面した所に広東&蘇幇料理(注1)の「天竺」がある。九六年に蘇州市で初の大型レストランとして華々しく登場し、当時から今に至るもお客はもとより食にうるさいいわゆる評論家連中にまで人気を誇る有名店である。この店が日本人による経営だとは誰もにわかに信じがたいかもしれない。
 
  ● 知る人ぞ知る伝説のバンドを経て  
 
「天竺」蘇州店
威風堂々、「天竺」蘇州店
(取材、蘇州支局  宮戸吾記史)
天竺のオーナーである佐久間亨氏の経歴はかなり異色である 。話を二五年前まで遡ろう。八〇年代初期、同氏は時の日本では「前衛過ぎる」と言われた伝説のニューウェーブバンド「EP-4」を音楽仲間と結成。社会的に物議をかもしたアルバムタイトルや、今聞いても斬新な音楽は一部のマニア達の間で熱狂的に歓迎された。国内で四枚、海外のメジャーレーベルからも二枚のアルバムを発売し、国内ツアー、ヨーロッパツアーと八〇年代を駆け抜けた。
音楽活動の傍ら、氏は大学で学んだ建築学を基礎に、デザイン事務所を設立、当時東京にしかなかったカフェバーを京都でいくつも手がけ、二〇代半ばにして年商五億円という成功を収める。
 
  ● 飲食業への足がかり  
  その頃、知人の大学生が、とあるビルのオーナーを説得し、居抜きの形態でレストランをオープン。しかし、あえなく失敗。ビルのオーナーとも面識のあった氏は同店を引き継いで経営しないかと相談を持ちかけられた。三〇坪で月一二〇万という賃料を半額の六〇万にするという条件で氏はこれを受ける。名前を「広東倶楽部」、形態をポストモダンな中華レストランバーという、今までに無かった試みで、同店は大ヒット。洒落た店内は町中の流行に敏感な若者達で連日賑わいをみせた。  
  ● 戸惑いと失敗と  
 

普通ならここらへんで気を良くし二号店、三号店を出したりするのだろう。しかし、そうはいかないのが異色の経歴を持つ異能の人である。
レストランを続けているうちに「いち中華屋の親父」では一生を終わりたくないと感じ始めた氏は、うに言われぬ戸惑いの日々を過ごすようになる。中華料理屋という、いうなれば「3K」に近い仕事。夜遅くまで働き、帰宅する日々。無為に日々を過ごすうちにレストラン業にも嫌気がさしてきた。自分の仕事を過小評価してしまう、そんな自分や環境に憤りを感じていた。他にもっと何かがしたい。いまさらミュージシャンにも戻れない。
そんな状態のまま、他の事業にも何度か挑戦するうちに、資産も使い果たし生活に窮することになる

 
   「今立っているその場所を深く掘れ!」  
  その頃お店の常連客となっていた中国人とふとしたことから懇意になる。酒を酌み言葉を交わす。高校生のころから「大陸」という響きに日本にはない何かがあるとインスピレーションを感じていた氏は、中国に行ってみたいと思うようになる。中国に行きたい、そこで何かしてみたい。同じ頃、精神的な拠り所を求めて雑多な本を貪るように読んでいた氏はある言葉に出会う。「今立っているその場所を深く掘れ!」。
氏はこの言葉に感銘を受け大きな決断を下す。中国で勝負してみよう。日本を出て勝負してみたい。
 
   天竺の誕生  
 

氏は「広東倶楽部」の経営を管理する妻を残し、単身で蘇州に渡った。蘇州では一足先に帰国していた件の元常連客の中国人が氏を待っていた。この蘇州人が、パートナー兼水先案内人となり、ここから氏と彼との二人三脚の日々が始まる。とにかく目にするもの全てが新鮮だった。日本で親戚知人からかき集めるようにして持って来た全財産五〇〇万円。その資金で現在のテナントの一階部分四〇〇m2を借り、レストランをスタート。店名は日本と同じく「広東倶楽部」
日本では人気店を経営していた経験があるとはいえ、中国ではまるで勝手が違う。オープンしてからの最初の五ヶ月は赤字続き。赤字は初期の投資額を上回った。目の前を歩いて行く人の流れを見ながら、氏は冷静に中国人に受ける店を研究した。メニューを替え、店名を替え、音楽を止めた。「天竺」の誕生である。そのうちに、人が人を呼ぶ形で人気が出始め、連日満員の日々が始まった。
四〇〇m2の店も二二四〇m2へ、更には同商業ビルの一F〜三Fまでを借り切り五一〇〇m2に拡大。しかし、繁栄の日々は長くは続かない。九九年ごろから蘇州市にも他の大型店の進出ラッシュが始まる。一軒ライバル店が現れるごとに、「天竺」の売上は五〇〇〇元下がった。それまで平均で一日に一二万元あった売上も徐々に下降線をたどる。このままでは先が無い。変化をしなければいけない・・・。

 
   昆山を開拓  
  自らは意識せずとも先駆者である佐久間氏は蘇州の次に昆山に目をつけた。九九年当時の昆山といえば、商業施設などほとんどない小さな鎮に過ぎなかった。しかし、同氏はこの小さな町にも台湾地区の商人を始めとして、かなりの数の富裕層がいることを見聞きしており、市場があると確信。市の真ん中にたった一日でテナントを決め、レストランをオープン。この店が軌道に乗ると二〇〇一年にはこれもまた市のど真ん中に中型レストラン兼宿泊施設有りのホテルをオープン。続いて二〇〇四年には目下のところ同市最大規模のレストラン兼KTVをオープン。時を同じくして日本にも祇園にレストランを一店オープン、店名を「天竺」とした。これら全ての店は自己資金で開店しており、借入金はゼロである。今のところ、これら蘇州、昆山、日本のグループ全てを合わせると年商で二〇億円を超えるまでに成長した。  
   止むことなき新規事業への情熱  
  このままレストラン業界で拡大を続けるのだろうか? 氏の目線は既に蘇州と昆山を通り過ぎて南に向かっている。「今年を期に江蘇省からは出て行きます」、中国の最南端である湛江に行き食品工場と不動産開発に主力を移すという。既にそのための五〇〇畝(注2)もの広大な用地を確保済みである。「南に行って事業を始めるのは、ひとつには初心に戻りたいから。初めて蘇州に来た時と同じ気持ちになりたいんです。あのわくわくした気持ち、目に映るもの全てが僕を駆り立てる新鮮な気持ち、それを求めているんです」。
ただ、江蘇省は離れるとは言うものの、今年二〇〇五年中にも陽澄湖のほとりの森林の中に、カナダから輸入したログハウスを組み立てた高級リゾートレストランをオープン準備中、上海のあるホテル内に中規模レストランをオープン予定と、今や完全なる事業家へと成長した氏はそう簡単には江蘇省からは離れられそうにもない。
 
   「日本人の心伝えたい」  
  読者へのメッセージをお願いしたところ、氏はこう語った。
「私も含めて、日本人であることの役割はまだまだあると思います。私自身で言えば、企業や政府ではできないこと、一民間人ならではの行動をしていきたいと思っています。
中国の人たちは高度成長期の真只中で、経済に追い立てられる慌しい日々の中にいますが、僕は偏見無しに、そんな今の中国やもっと言えば世界の色んな人たちと気持ちを通わせたい。日本人の心の素晴らしい部分を、なんらかの形で、これから出会える人達に伝えて行きたい。それが今後の目標です」 氏はそう言って照れ笑いを浮かべた。
 
 
   「天竺」連絡先  
  「天竺」蘇州店
蘇州市干将路800号
敬業商務大厦1〜2階
電:0512-6511-7677
 
注1 蘇州及び江蘇省の料理を指す注2 一畝は六六六m2  
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