 |
 |
| |
徒手空拳で化粧品ビジネス 夫人主導?ながら舵取り確か |
|
 |
| |
上海瞳孝貿易有限公司 奈須野 孝さん |
|
| |

上海の街角で、なにげなく「hitomi」の赤いロゴを目にした人は少なくなかろう。それがわずか間口一間に足りない零細洋装店であったり、化粧品や装身具も並ぶガラス張りのしゃれたブティックであったにしても、いずれも共通して、日本人なら「もしかして、日系?」と気付く洗練された雰囲気が漂う。
経営者は奈須野孝さん。夫人の瞳さんの名を冠する四店舗は、衣料品のうちレディスカジュアルを取り扱う。小規模な直営チェーンではある。が、本来hitomiはオリジナル化粧品に付けたブランド名。口紅やアイシャドー、そして衣料を武器に、この上海で一大ファッションブランドに育て上げようと、いま奈須野さんは、敢然と脱サラビジネスの道を歩みつつある。 |
|
 |
 |
 |
| |
● 帰国命令に残留決意 |
|
 |
| |
「はじめはね、留学生として中国語を学び、その後上海での現地採用のサラリーマンかなと考えていましたよ。交通大学にも通い始めたんです。年金をもらえるまでの八年間のんびりがんばろうかと」
奈須野さんは二〇〇一年二月、三洋電機を退職したころのことを振り返る。当時五五歳だった。
途中入社であったが、それまで計二五年の勤続。一貫して営業畑を歩き、中国では大連、そして上海では三年半の勤務経験。
営業担当董事として上海で張り切っていたのに、閑職が待つこと必至の日本への帰任命令が出て、気が進まなかったのである。瞳夫人も同じで、最後の赴任地となった上海での印象がとりわけ強い。自然と、二人して、上海にとどまることを前提とした第二の人生のコンテを描き出していた。
寄らば大樹の大企業であっても、定年を前に辞める例はいまの時勢下、珍しくない。しかし、奈須野さんの場合、再スタートは長年連れ添った夫人との共通意識に基づく。上海が大好きで、生活のしやすさ楽しさなどを共感した。
現地採用サラリーマンが化粧品や衣料品店に化けたのも、「外国人にも響きのいい音であるhitomiをオリジナルブランドにした、化粧品作りでもやってみたら?当たるかもしれないよ」との、家族付き合いをしていた台湾の化粧品工場オーナーの勧めによる。 |
|
 |
 |
 |
| |
● 狙うは一〇〇店舗体制 |
|
 |
| |
思い立ったら即実行。さっそく、知り合いらの支援を得ながら化粧品のOEM生産・販売の具体化を検討開始した。確かに、中国では今後、女性のファッションが隆盛を迎えることは確実である。しかし、それを商機と見たにしても、国外の大メーカーが虎視眈々(たんたん)と狙うなか、脱サラ組がいかにビジネスとして取り込んでいけるのか−−。
すぐ会社を設立した。並行し、hitomiブランドのカラーコスメティックスが完成。会社設立の五ヵ月後、茂名南路に第一号店の直営路面店を出店した。
口紅のほかファンデーション、マニキュア、アイシャドーなどの九アイテム全一六五色。いま、これら「高級品を中級品価格で売る」手法で直営店舗と香港系ドラッグストアの屈臣氏(Watsons)一八店舗に置くほか、つい最近、コンビニエンスストアのローソン一〇店舗でテスト販売として置いてもらえるところまでこぎつけた。
「アッパークラスのOLが衝動買いできる価格帯商品」を目標とし、「価格は市場が決定する」を基本戦略とした。収支バランスは、販売拠点が五〇店舗でとんとん、一〇〇店舗で「馬馬虎虎(編注:中国語でまあまあの意)」と計算し、着実な展開をもくろんでいる。 |
|
 |
 |
 |
| |
● 「第二の人生」貫徹こそ |
|
 |
| |
直営店舗で扱う衣料品は「奥さんの趣味」とかだそうで、アウトレット商品の仕入れはファッションセンスがいい夫人任せだ。しかし、店舗管理、販売・在庫の管理、人事・財務管理など、トータルとしてのマネージングは奈須野さん、および三洋時代の秘書がビジネスパートナーとして担う。
近い将来、化粧品がビジネスとして大きく飛躍し、採算に乗るべく、日々まい進している。実に気楽に始めたように見えるビジネスではあるが、なかなかの計算づくである。ましてや現在、直営店四店、テナント店一八店、社員総数六〇人では中途半端な形での撤退などありえない。 |
|
 |