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繊維・アパレルレポート  
  匠の刺繍≠絶やすな! 特殊ミシン技術を中国に伝授
呉江北川服装有限公司
   
   
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北川光男さん(右)と北川十寸子さん
江蘇省南部の太湖畔、蘇州市の南に隣接する呉江市の郊外。日本人はおろか外国人も見かけない小さな町で、北川光男さん(77歳)と十寸子さん(70歳)のご夫婦は、呉江北川服装有限公司を経営する。特殊ミシン200台を使用し、衣類のパーツへ刺繍を施している。
 
 
    周囲の反対押し切り中国へ  
   
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特殊ミシンを調整する北川さん
呉江北川服装有限公司の前身は、北川服装。同社が改造したミシン(特殊ミシン)で生み出す刺繍は、日本のアパレル業界では知られた存在だ。有名デザイナーから「北川さんの刺繍」と指名を受け、ロイヤルファミリーの帽子に採用されたこともある。オートクチュールのデザイナー・蜂矢健二氏は「これがマシンでできるのかと驚かされる。コンピュータでは表現できない、ハンドメイドの風合いがある匠の刺繍」と話す。
その北川服装がなぜ中国に出てきたのか? 「日本ではこの技術とミシンを継承できない」(北川光男さん)からだ。職人を尊ぶ伝統があると言われた日本だが、最近の風潮は違う。「ミシン工の仕事は若者が嫌い、高齢化が進む。特殊ミシンの改造やメンテナンスの技術を受け継ぐ人間はいない」(北川さん)。また中国に進出したアパレル会社からの熱烈なラブコールもあった。「中国から送られて来たパーツに刺繍し、また中国へ送り返していたが、次第に『中国へ進出してくれ』という声が 高まった」(北川十寸子さん)。  
北川夫婦は、呉江北川服装有限公司を設立後、しばらく中日二国間を往復した。しかし〇四年七月、日本の会社や自宅一切合財を処分、特殊ミシンとともに中国へ移住することを決めた。親類や友人は強く反対したが、「技術をなんとかして残したい」というふたりの思いは揺るがなかった。
 
    「北川の刺繍」一時代を築く  
    ミシンを改造する北川さんの原点は、学徒動員時代。故郷の奈良から名古屋の軍事工場に動員され、熟練工に挟まれて戦闘機を組み立てた。そこでメカいじりの面白さに目覚めたのである。  
小学校教員などを勤めた北川さんは五二年、大阪の制服を製造販売する商社に就職。取引先の娘さんだった十寸子さんと出会い、結婚。五八年に退社し、ふたりで大阪天王寺区に北川服装を設立した。  
会社ははじめ、米屋の倉庫に設けられた小さなスペースだった。八畳間に夫婦で腹ばいになって裁断し、制服を製造した。十寸子さんが考案したジャージーのズボンがヒット、大分国体の来賓者の制服を受注するなど、仕事は地味ながら順調だった。ところが不摂生と過労が祟り、ある日、北川さんは結核を患って入院。残された十寸子さんは、妹さんと協力し刺繍の仕事をはじめ、制服と刺繍の二束のわらじで会社を続けた。  
復帰した北川さんは十寸子さんの刺繍を前に、個性的な刺繍を施せるようにミシンを改造することを思いつく。一台をバラバラに壊し、記念すべき特殊ミシン第一号機を完成させる。
このミシンを使った刺繍は大きな反響を呼び、会社の業績はうなぎ上り。「北川の刺繍」は一時代を築く。中国をはじめとする海外から、紡績会社や政府機関の視察団が訪れるようになり、北川の名前は国境を越えて広まった。
 
    喜寿古希の二人三脚は続く  
    「技術力が高い。呉江市の基幹産業は絹織物だが、手先の器用なひとが本当に多い。日本では洋裁学校卒でも三年かかるが、三カ月で技術を習得する」と、北川さんは呉江に工場を置く魅力を語る。人件費や輸送費の削減で日本の半額になった刺繍は、中国の日系アパレル会社に引っ張り凧である。  
十寸子さんが「私の夫は天才(笑)。誰にも真似ができない」と判を押す特殊ミシンの技術。継承は上手く行っているのか? 
「ミシンの操作は一〇人の職人が育ち問題ないが、改造の技術や調整はどうも……」、北川さんは言葉を濁した。三〇数年で積み上げた職人の技は、一朝一夕には後継者に伝えられないようだ。  
ご夫婦は今年、それぞれ喜寿と古希を迎える。「『そんな年でまだ仕事』と日本の友人からやっかみもあるが、アパレル業界の期待に応えて行きたい」と十寸子さん。まだまだふたりの二人三脚は続きそうだ。
 
    呉江北川服装有限公司  
    DATA
江蘇省呉江市盛澤鎮庄基湾19号
TEL:0512-6357-3522 FAX:0512-6355-5170
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