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ビジネス特集
われら"留日組" 〜それぞれの起業人生〜
「新日本建材館」を設立 日本のエコ建材を中国へ!
張驊 氏(上海裕之傑企業管理有限公司・総経理)

金融マンからコンサルタントへ転身した張驊氏
上海きっての建材街、宜山路――ここに日本の建材が並ぶ常設展示場「新日本建材館」を設立したのが張 氏。大手デベロッパーは同館を通じ、日本の建材を採用している。今年西安の国家プロジェクトに日本の資材導入が予定される。張氏は、建材を通じた中日の架け橋役を自任する。

『華麗なる一族』をきっかけに
張驊 氏が金融を志すきっかけとなったのが、高校時代に見た一本の日本映画、山崎豊子原作の『華麗なる一族』である。「知恵と知恵のぶつかり合いに魅了された。小説も友人から借りて読んだが、次第に金融の世界に興味が沸いてきた」と張氏は話す。
地元上海の大学に入学すると、経済を専攻、1988年卒業し、地元の銀行に就職した。改革開放から 10年を迎えた当時、中国の金融業界は国際化に大きく舵を切り始めていた。張氏が勤めた銀行でも外資系企業向けのリース会社を設立することになり、国際金融システムの構築が急がれていた。
そのプロジェクトに参加した張氏は、提携先の日系金融機関とやり取りするなかで彼我の差を見せつけられ、日本で国際金融システムを勉強したいと考えるようになる。90年、銀行を休職し、留学のため自費で日本に渡った。
コンサル会社を設立
一年半の語学学習を経て、92年国立大学大学院に入学。3年間、金融を中心に、国際法などを勉強した。卒業を控えた94年末、就職活動を始めた張氏だったが、「失われた10年」に突入した日本では希望の職に就くことが難しくなっていた。一方、中国では天安門事件で一旦停滞した経済発展が再び明るい兆しを見せていた。張氏は迷うことなく上海に戻り、知人の紹介で日系銀行の上海支店に職を得た。
その後4年間、日系企業向けの人民元調達や情報提供業務を任された。99年転職すると地元のコンサルティング会社で日系企業担当投資コンサルタントを務め、2001年に独立、上海裕之傑企業管理有限公司を設立する。当初は日系企業に向けて、投資案件のコンサルティング・サービスを提供した。

06年上海宜山路へ日系建材メーカーが出展する「新日本建材館」を設立
日本建材への関心が高まる
「日本の断熱材メーカーを紹介してくれないか」――03年、張氏は地元の大手デベロッパーから問い合わせを受ける。「中央政府が省エネ重視の政策を発表。マンションへの断熱材使用を一部義務付けたことが背景にあった」(張氏)。これを機に張氏は日本のエコロジー建材のポテンシャルの大きさに気がつき、日本の建材を中国に紹介するプラットフォーム建設の着想を得る。
パートナー選びから出展者誘致など約一年半かけ、06年5月に上海の建材街、宜山路へ日系建材メーカー 23社が出展する「新日本建材館」を設立した。
設立から2年半、日本の建材への関心は高まり続けている。06年11月に同社は、大手デベロッパー、中遠物業管理発展有限公司と業務提携することを決定、調印式を行った。これにより、中遠物業管理発展有限公司が建設するマンションやショッピングモールへの日本の建材採用の道を開いた。張氏は、「リサイクル建材への引き合いが多い。現在、西安で進む黄河ダムの国家プロジェクトに日本の資材が導入されることが予定されている」と説明する。
もちろんすべてが順風満帆ではない。「日系メーカーはどうしても日本の意識を捨てられず、中国の商流を無視する傾向がある。また、中国人顧客を『お客様』と見ないで、『売ってあげる』と傲慢な態度をとるところが多い。これでは上手くいかない」と頭を抱える。
「持続可能な発展を目指す中国社会に日本のグリーン建材の技術は必要」と見る張氏。今後も建材を通じた架け橋役を担い、中日両国に役立っていきたいと考えている。
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2008/3/10 更新
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