ビジネス特集
アカデミズム界から転進、中日韓を舞台にコネクタービジネス
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が高らかにうたわれた時代に来日、以来半導体ビジネスを営むこと30年弱、リチャード・ダイク氏は常に冷静な目で日本を取り巻く経済動向を見つめてきた。もともとはアカデミズム界にいた変り種。知的関心のフィールドは中日韓、東アジア全般にわたっている。

リチャード・ダイク氏(上海天賜連接器有限公司・董事長)
アカデミズム出身の経営者
「日本人の島国根性と違ってアメリカ人には"大陸根性"があります。外国に成功事例があってもあまり関心を向けません。でも、80年代は"珍しく"日本に学ぼうとしました」――。
9月8日、上海国際会議中心にて行われた「日中国交正常化35周年・日中経済トップ講演会」でリチャード・ダイク氏は、時にはユーモアを交え、聴講者の笑いを誘いながら日本語で熱弁をふるった。日本貿易振興機構が上海市人民対外友好協会、上海市経済委員会とともに主催したこのイベントで、伊藤忠商事取締役会長の丹羽宇一郎氏とともに講演者として招いたのが、アメリカ人であるダイク氏だった。
ダイク氏はもともとアカデミズム界にいた。ハーバード大学大学院で博士課程を修了後、同大学およびオハイオ大学で教鞭をとっていた。その後、オハイオ州政府東京駐在事務所長、日本ゼネラルエレクトリック勤務を経て、半導体事業を営むテラダインで経営の辣腕を振るうこととなる。
そのバックプレーン部門を買収して独立、ティーシーエス・ジャパンを設立したのが1999年のことだ。バックブレーンの設計・組立、高速コネクターの設計・製造を主力事業として中国にも進出、2001年には上海市外高橋に上海天賜連接器有限公司を開業し、現在に至る。
日本企業の強み、そして弱点
日本滞在を始めた70年代後半、ダイク氏が関心を抱いた研究テーマ、それは半導体産業における日本的品質管理だった。
ソニーの井深大氏を訪ねた時のことである。「どうしたら悪いものを作らないようにするか、という日本のQCの真髄が経営のトップの行動からも見ることができた」(ダイク氏)。井深氏の机には半導体の不良品サンプルが並べられ、"宝物"のように扱われていたことにダイク氏は新鮮な驚きを覚える。「新製品の開発期間も長く、継続的に進歩していくことに長けているほか、顧客の満足度を重視するビジネス慣習も日本企業の強みです。もっとも、クライアントの意見に対して真摯に耳を傾けるあまり、経営トップの言葉が二の次にされることがあります(笑)」――ダイク氏の「日本的経営」への評価はざっとこんなところだ。
一方、日本企業の弱点のひとつは女性の社会進出が困難なことだという。それは課長以上の役職につく女性が7%という数字にも現れている。また、移民政策に対しても柔軟さを欠く。アメリカは「911」以降、留学ビザ発給などを制限し始めた。「ならば、中国からもっと積極的に人材を吸収し、中日間の架け橋となる人材の教育、移民政策の準備力を入れてもよいのではないか」(ダイク氏)
中国への進出企業についても、中国の人材インフラの強みをいかに活用するかが成功のカギとなるとダイク氏は指摘する。「賃金が上昇してきているものの、 (中国では)技術者の確保は比較的容易。弊社の外高橋の工場では120名が働いているが、3カ月に1度のボーナスを支払うなど競合他社からのヘッドハンティングに対抗しています。勉強するチャンスを社員に与えるべきです」(ダイク氏)
「知的関心」フィールドも拡大へ
以前、日本のメディアからのインタビューに答え、ダイク氏はおどけながらこう語っている。「日本への関心の出発点は、アメリカで見た酒井和歌子さんの映画です」
事の真相は分からない。しかし、その後の経過は、「知日派」ビジネスパーソンという称号だけではすでに物足りなくなっている。アジア全般の事情に通じた学者の片鱗も覗かせているようだ。
「日本通」の西欧人が「中国通」であるケースは数少ない。まして「韓国通」となるとなおさらだ。しかし、韓国にも工場を開設するなど、ビジネスの舞台が中・日・韓と広く及ぶ中で、ダイク氏の知的関心領域はますます広がりを見せている。
今年、遣唐使の僧が廃仏を避けて逃げ込んだという青島の朝鮮寺院に、阿南前中国大使夫妻と共に訪れた。日本と朝鮮半島とはここまで密接な交流があったのか11目を輝かせながらその感動を語るダイク氏。現在はアジアの近代史を扱う古書のコレクションも始めているという。
「日本人の島国根性と違ってアメリカ人には"大陸根性"があります。外国に成功事例があってもあまり関心を向けません。でも、80年代は"珍しく"日本に学ぼうとしました」――。
9月8日、上海国際会議中心にて行われた「日中国交正常化35周年・日中経済トップ講演会」でリチャード・ダイク氏は、時にはユーモアを交え、聴講者の笑いを誘いながら日本語で熱弁をふるった。日本貿易振興機構が上海市人民対外友好協会、上海市経済委員会とともに主催したこのイベントで、伊藤忠商事取締役会長の丹羽宇一郎氏とともに講演者として招いたのが、アメリカ人であるダイク氏だった。
ダイク氏はもともとアカデミズム界にいた。ハーバード大学大学院で博士課程を修了後、同大学およびオハイオ大学で教鞭をとっていた。その後、オハイオ州政府東京駐在事務所長、日本ゼネラルエレクトリック勤務を経て、半導体事業を営むテラダインで経営の辣腕を振るうこととなる。
そのバックプレーン部門を買収して独立、ティーシーエス・ジャパンを設立したのが1999年のことだ。バックブレーンの設計・組立、高速コネクターの設計・製造を主力事業として中国にも進出、2001年には上海市外高橋に上海天賜連接器有限公司を開業し、現在に至る。
日本企業の強み、そして弱点
日本滞在を始めた70年代後半、ダイク氏が関心を抱いた研究テーマ、それは半導体産業における日本的品質管理だった。
ソニーの井深大氏を訪ねた時のことである。「どうしたら悪いものを作らないようにするか、という日本のQCの真髄が経営のトップの行動からも見ることができた」(ダイク氏)。井深氏の机には半導体の不良品サンプルが並べられ、"宝物"のように扱われていたことにダイク氏は新鮮な驚きを覚える。「新製品の開発期間も長く、継続的に進歩していくことに長けているほか、顧客の満足度を重視するビジネス慣習も日本企業の強みです。もっとも、クライアントの意見に対して真摯に耳を傾けるあまり、経営トップの言葉が二の次にされることがあります(笑)」――ダイク氏の「日本的経営」への評価はざっとこんなところだ。
一方、日本企業の弱点のひとつは女性の社会進出が困難なことだという。それは課長以上の役職につく女性が7%という数字にも現れている。また、移民政策に対しても柔軟さを欠く。アメリカは「911」以降、留学ビザ発給などを制限し始めた。「ならば、中国からもっと積極的に人材を吸収し、中日間の架け橋となる人材の教育、移民政策の準備力を入れてもよいのではないか」(ダイク氏)
中国への進出企業についても、中国の人材インフラの強みをいかに活用するかが成功のカギとなるとダイク氏は指摘する。「賃金が上昇してきているものの、 (中国では)技術者の確保は比較的容易。弊社の外高橋の工場では120名が働いているが、3カ月に1度のボーナスを支払うなど競合他社からのヘッドハンティングに対抗しています。勉強するチャンスを社員に与えるべきです」(ダイク氏)
「知的関心」フィールドも拡大へ
以前、日本のメディアからのインタビューに答え、ダイク氏はおどけながらこう語っている。「日本への関心の出発点は、アメリカで見た酒井和歌子さんの映画です」
事の真相は分からない。しかし、その後の経過は、「知日派」ビジネスパーソンという称号だけではすでに物足りなくなっている。アジア全般の事情に通じた学者の片鱗も覗かせているようだ。
「日本通」の西欧人が「中国通」であるケースは数少ない。まして「韓国通」となるとなおさらだ。しかし、韓国にも工場を開設するなど、ビジネスの舞台が中・日・韓と広く及ぶ中で、ダイク氏の知的関心領域はますます広がりを見せている。
今年、遣唐使の僧が廃仏を避けて逃げ込んだという青島の朝鮮寺院に、阿南前中国大使夫妻と共に訪れた。日本と朝鮮半島とはここまで密接な交流があったのか11目を輝かせながらその感動を語るダイク氏。現在はアジアの近代史を扱う古書のコレクションも始めているという。
リチャード・ダイク 氏
プロフィール…カリフォルニア州立大学卒業後、ハーバード大学大学院にて博士号を取得。その後、同大学及びオハイオ州立大学にて教鞭をとる。オハイオ州政府東京駐在事務所長、日本ゼネラルエレクトリック勤務などを経て、1982年、テラダイン(株)代表取締役に就任。99年に独立。ティーシーエスジャパン(株)を設立、代表取締役に就任。2001年、上海市に上海天賜連接器有限公司を設立、現在に至る。日本経済産業省JETRO評価委員会専門委員も務める。
プロフィール…カリフォルニア州立大学卒業後、ハーバード大学大学院にて博士号を取得。その後、同大学及びオハイオ州立大学にて教鞭をとる。オハイオ州政府東京駐在事務所長、日本ゼネラルエレクトリック勤務などを経て、1982年、テラダイン(株)代表取締役に就任。99年に独立。ティーシーエスジャパン(株)を設立、代表取締役に就任。2001年、上海市に上海天賜連接器有限公司を設立、現在に至る。日本経済産業省JETRO評価委員会専門委員も務める。
ビジネス特集 07年11月号一覧
情報提供:
Whenever CHINA 07年11月号
Whenever CHINA 07年11月号2007/11/7 更新










