ビジネス特集
白紙で挑んだ中国市場 独自のビジネスモデル構築
セイコーエプソンの広瀬豪人氏は中国駐在七年目。まったく白紙の状態で中国にわたり、プリンタ事業にマーケティング担当として挑んできた。日本とはまったく異なる市場で独自のビジネスモデルを構築し、市場から一定の支持を集めている。駐在五年目にして体得したビジネス処世術は「謙虚な気持ち」だという。

広瀬豪人 氏(エプソン(中国)有限公司 信息産品営業本部総監)
未知の市場へ挑戦欲かきたてられる
セイコーエプソンの広瀬豪人氏は、1999年より中国市場のマーケティング担当を務めてきた。2001年、北京のエプソン(中国)有限公司に出向し、信息産品営業本部部門経理に着任。03年には上海事務所に籍を移し、上海市場の強化に取り組んだ。その後、今年四月に北京に戻り、同部総監に就任している。
日本本社で「中国市場を担当して欲しい」と辞令が下った時、広瀬氏はふたつ返事で引き受けた。しかし、当時中国のプリンタ市場は業界ではそれほど注目されておらず、広瀬氏も知識はゼロに等しかった。承諾したのは、未知の市場へ挑戦欲をかきたてられたからだった。
赴任した組織は設立したばかりで、スタッフも20代が中心。何から手をつけていいか分からない白紙の状態でスタートし、当初はチャレンジの連続となった。
マネージメントで大いに悩む
中国人社員にどう接し、管理していくのか? 初めて海外でマネージメントする広瀬氏を悩ませたのがこの問題だ。面子を大切にする中国人社員を人前で怒るのはタブー――当初はそんな一般に信じられる知識に頼りマネージメントした。
ところがなかなか自分の意思が伝わらない。悩んだ広瀬氏は会議の席で、「これからは叱るのも褒めるのもみんなの前で行う」と宣言。「一歩間違えれば信頼関係を損なうギリギリの賭けだった」(広瀬氏)が、これが結果的にうまく行った。社員との信頼関係を強めることになり、組織全体が活性化して行った。また広瀬氏自身にも良い影響があった。「褒めるのは決して得意ではなかったが、部下をスタッフの前で恥ずかしがらず正面から褒めることに抵抗がなくなった」という。
「ME」プロジェクトを始動
セイコーエプソンの中国のプリンタビジネスのターニングポイントが04年のMEシリーズの発売開始だ。
プリンタのビジネスモデルは「消耗品ビジネス」と言われる。ハードを安価で販売し、消耗品で利益を出すためである。MEシリーズの導入まで、プリンタ本体の出荷台数を伸ばし消耗品の拡販に努めたが、コンパチ品やニセモノが出回る市場で苦戦を強いられた。こうした中、「従来型ビジネスモデルは最適でない」と認識した広瀬氏は、日本本社に稟議書を提出。プリンタを「適正価格」で提供しインクを安価に販売する、従来のビジネスモデルから180度発想転換した「ME」プロジェクトがここに始動する。
発売1年目、数量ベースのシェアは下落、ライバルメーカーに水を開けられたが、「インクを使えば使うほどお徳なプリンタ」と次第に認知度が高まり、シェアが回復。06年末にはライバルと並ぶシェア30%前後に躍り出している。
広瀬氏には忘れられない思い出がある。04年のME導入時、一夜にして全土の販売店店頭のPOPをMEシリーズ用に変えようと「一夜城プロジェクト」を企画、プロモーションのキットを全国に広がるディーラに郵送した。完成した店頭の写真が営業所から続々とEメールで届く中、一部店舗にキットが届いていないことが判明。広瀬氏らが対策を話し合っていると、手作りのPOPで飾られた店頭の写真が送られて来た。「ディーラーやローカルスタッフが自ら行動したことに感激した。日頃から現場とコミュニケーションを密にしてきた成果だった」と広瀬氏は述べる。
5年目に得たビジネス処世術とは
「中国は馴れ合いなど一切ない正直なマーケット。本当に売れるものにだけ人が集まる」と広瀬氏は話す。
これまで仕事や私生活でいやな思いをし、中国が嫌いになったこともある。ところが駐在5年目を過ぎた頃から、そうした気持ちがなくなった。広瀬氏は言う。
「外資系企業は中国という"大家の家"を借り、そこに住む人にモノを売っているわけで、謙虚さが求められる。上からの視線でビジネスをしてもうまく行かない。『謙虚な気持ち』を身に着ける必要がある」
広瀬氏のデスクの背景には次の言葉が掲げられている。
「できるからやるのでなく、やるからできるようになる。信じるからできるようになる」
セイコーエプソンの広瀬豪人氏は、1999年より中国市場のマーケティング担当を務めてきた。2001年、北京のエプソン(中国)有限公司に出向し、信息産品営業本部部門経理に着任。03年には上海事務所に籍を移し、上海市場の強化に取り組んだ。その後、今年四月に北京に戻り、同部総監に就任している。
日本本社で「中国市場を担当して欲しい」と辞令が下った時、広瀬氏はふたつ返事で引き受けた。しかし、当時中国のプリンタ市場は業界ではそれほど注目されておらず、広瀬氏も知識はゼロに等しかった。承諾したのは、未知の市場へ挑戦欲をかきたてられたからだった。
赴任した組織は設立したばかりで、スタッフも20代が中心。何から手をつけていいか分からない白紙の状態でスタートし、当初はチャレンジの連続となった。
マネージメントで大いに悩む
中国人社員にどう接し、管理していくのか? 初めて海外でマネージメントする広瀬氏を悩ませたのがこの問題だ。面子を大切にする中国人社員を人前で怒るのはタブー――当初はそんな一般に信じられる知識に頼りマネージメントした。
ところがなかなか自分の意思が伝わらない。悩んだ広瀬氏は会議の席で、「これからは叱るのも褒めるのもみんなの前で行う」と宣言。「一歩間違えれば信頼関係を損なうギリギリの賭けだった」(広瀬氏)が、これが結果的にうまく行った。社員との信頼関係を強めることになり、組織全体が活性化して行った。また広瀬氏自身にも良い影響があった。「褒めるのは決して得意ではなかったが、部下をスタッフの前で恥ずかしがらず正面から褒めることに抵抗がなくなった」という。
「ME」プロジェクトを始動
セイコーエプソンの中国のプリンタビジネスのターニングポイントが04年のMEシリーズの発売開始だ。
プリンタのビジネスモデルは「消耗品ビジネス」と言われる。ハードを安価で販売し、消耗品で利益を出すためである。MEシリーズの導入まで、プリンタ本体の出荷台数を伸ばし消耗品の拡販に努めたが、コンパチ品やニセモノが出回る市場で苦戦を強いられた。こうした中、「従来型ビジネスモデルは最適でない」と認識した広瀬氏は、日本本社に稟議書を提出。プリンタを「適正価格」で提供しインクを安価に販売する、従来のビジネスモデルから180度発想転換した「ME」プロジェクトがここに始動する。
発売1年目、数量ベースのシェアは下落、ライバルメーカーに水を開けられたが、「インクを使えば使うほどお徳なプリンタ」と次第に認知度が高まり、シェアが回復。06年末にはライバルと並ぶシェア30%前後に躍り出している。
広瀬氏には忘れられない思い出がある。04年のME導入時、一夜にして全土の販売店店頭のPOPをMEシリーズ用に変えようと「一夜城プロジェクト」を企画、プロモーションのキットを全国に広がるディーラに郵送した。完成した店頭の写真が営業所から続々とEメールで届く中、一部店舗にキットが届いていないことが判明。広瀬氏らが対策を話し合っていると、手作りのPOPで飾られた店頭の写真が送られて来た。「ディーラーやローカルスタッフが自ら行動したことに感激した。日頃から現場とコミュニケーションを密にしてきた成果だった」と広瀬氏は述べる。
5年目に得たビジネス処世術とは
「中国は馴れ合いなど一切ない正直なマーケット。本当に売れるものにだけ人が集まる」と広瀬氏は話す。
これまで仕事や私生活でいやな思いをし、中国が嫌いになったこともある。ところが駐在5年目を過ぎた頃から、そうした気持ちがなくなった。広瀬氏は言う。
「外資系企業は中国という"大家の家"を借り、そこに住む人にモノを売っているわけで、謙虚さが求められる。上からの視線でビジネスをしてもうまく行かない。『謙虚な気持ち』を身に着ける必要がある」
広瀬氏のデスクの背景には次の言葉が掲げられている。
「できるからやるのでなく、やるからできるようになる。信じるからできるようになる」
広瀬豪人 氏(ひろせ・まさひと)
プロフィール…1965年甲府市生まれ。89年セイコーエプソン入社。以来一貫して営業、マーケティングで活躍。99年から中国のプリンタービジネスを担当。01年にエプソン中国(北京)に赴任、03年に上海事務所に異動。07年4月再度北京に着任し、エプソン(中国)信息産営業本部総監に就任、現在に至る。
プロフィール…1965年甲府市生まれ。89年セイコーエプソン入社。以来一貫して営業、マーケティングで活躍。99年から中国のプリンタービジネスを担当。01年にエプソン中国(北京)に赴任、03年に上海事務所に異動。07年4月再度北京に着任し、エプソン(中国)信息産営業本部総監に就任、現在に至る。
ビジネス特集 07年11月号一覧
情報提供:
Whenever CHINA 07年11月号
Whenever CHINA 07年11月号2007/11/7 更新









