ビジネス特集
"中国で役立ちたい" 32年の中国ビジネス遍歴
鐘紡の技術者として古林恒雄氏が初訪中したのが一九七五年。以来32年にわたり、中国でビジネスを行ってきた。05年までは鐘紡の中国事業の統括者として活躍。現在は、華鐘コンサルタントグループの総経理として、日系企業から絶対の信頼を得ている。「中国で役立ちたい」、古林氏の思いは不変だ。

古林恒雄氏(上海華鐘コンサルタントサービス有限公司・総経理)
鐘紡の繊維部門に配属される
今年9月29日、上海華鐘コンサルタントサービス有限公司の古林恒雄・総経理は、韓正・上海市長より「白玉蘭栄誉奨」を授与された。この日は奇しくも日中国交正常化35周年の記念すべき日。古林氏は35周年と自らの中国での32年を重ねながら、「これまで助け励まし、協力してくれた多くの日中の先輩、友人、同僚に心から感謝する」と万感の思い出を込めて語った――。
古林氏は1961年、東京大学工学部産業機械工学科に入学した。生活費のためのアルバイトから大学の勉強、学生運動と忙しい学生生活を送る。工学部の自治会委員長も務め、全国の大学で「大学自治」を論じるセミナーなどを開催した。
65年に卒業すると、鐘紡(後のカネボウ、現クラシエ)に就職。同社が合成繊維の事業を始めた頃で、「大型プラントの設計」を希望していた古林氏は、ナイロン製造工場に配属された。
PET直接連続重合法の開発に成功
入社当初は、ナイロン製造プラントの保全や三交代組長を行った。70年に開発設計部門に移籍すると、「PET直接連続重合法」の開発に従事する。
PET(ポリエステル)は、繊維にもフィルムにもボトルにもなる汎用性に富んだポリマーで、現在世界のプラスチックの半分以上がPETで作られている。当時は「間接法」により製造されていたが、有害なメタノールを使用し、コスト高なことから「直説法」が待たれていた。ところが、大手繊維メーカーが挙って進めた開発はすべて頓挫していた。
鐘紡の開発チームは72年に「直説法」の開発に成功、北陸にプラントを設け、製造を開始する。この開発チームで古林氏はプラントの設備設計と操業保全を任された。「周囲の誰もうまくいくとは思っていなかった。プラントが稼動して初めて、世界の繊維業界が震撼した。デュポンなど欧米メーカーから問い合わせが殺到した」と古林氏は振り返る。
この開発を行った鐘紡と松山石油化学は、大河内記念賞(日本の技術開発に与えられる最高賞)を共同受賞している。
今年9月29日、上海華鐘コンサルタントサービス有限公司の古林恒雄・総経理は、韓正・上海市長より「白玉蘭栄誉奨」を授与された。この日は奇しくも日中国交正常化35周年の記念すべき日。古林氏は35周年と自らの中国での32年を重ねながら、「これまで助け励まし、協力してくれた多くの日中の先輩、友人、同僚に心から感謝する」と万感の思い出を込めて語った――。
古林氏は1961年、東京大学工学部産業機械工学科に入学した。生活費のためのアルバイトから大学の勉強、学生運動と忙しい学生生活を送る。工学部の自治会委員長も務め、全国の大学で「大学自治」を論じるセミナーなどを開催した。
65年に卒業すると、鐘紡(後のカネボウ、現クラシエ)に就職。同社が合成繊維の事業を始めた頃で、「大型プラントの設計」を希望していた古林氏は、ナイロン製造工場に配属された。
PET直接連続重合法の開発に成功
入社当初は、ナイロン製造プラントの保全や三交代組長を行った。70年に開発設計部門に移籍すると、「PET直接連続重合法」の開発に従事する。
PET(ポリエステル)は、繊維にもフィルムにもボトルにもなる汎用性に富んだポリマーで、現在世界のプラスチックの半分以上がPETで作られている。当時は「間接法」により製造されていたが、有害なメタノールを使用し、コスト高なことから「直説法」が待たれていた。ところが、大手繊維メーカーが挙って進めた開発はすべて頓挫していた。
鐘紡の開発チームは72年に「直説法」の開発に成功、北陸にプラントを設け、製造を開始する。この開発チームで古林氏はプラントの設備設計と操業保全を任された。「周囲の誰もうまくいくとは思っていなかった。プラントが稼動して初めて、世界の繊維業界が震撼した。デュポンなど欧米メーカーから問い合わせが殺到した」と古林氏は振り返る。
この開発を行った鐘紡と松山石油化学は、大河内記念賞(日本の技術開発に与えられる最高賞)を共同受賞している。

今年9月29日の「白玉蘭栄誉奨」授与式で韓正・上海市長と握手する古林恒雄氏
上海で合繊装置建設を成功に導く
古林氏は75年に初訪中し、北京で開かれた日本工業技術展覧会でPET直接連続重合法をプレゼンテーションした。文化大革命の末期で、北京の街は夜になると漆黒の暗闇であった。
それから78年に再び中国へ。金山区で上海石化コンビナートのPETプラント建設の商談に参加した。この商談のために世界各国から20数社が集まった。
同年、鐘紡は上海石化総工場にてPET年産20万トン装置建設を200億円で契約。古林氏はこの契約から設計、建設、操業、引渡しまでを担当した。「突貫工事で、中国人、日本人とも睡眠時間を削って作業した」という。
このプロジェクトは中国で大きく注目され、当時の国家主席・李先念氏が視察に訪れている。同時進行した他のプロジェクトが2年遅れたのを尻目に、84年契約通りに引渡しを完了、国家金賞を受賞した。
「中国人スタッフは1元にも満たない残業代だったにもかかわらず、夜中までよく頑張った。このプロジェクトが私の中国ビジネスの原点となっている。当時の仕事仲間とは、いまでも付き合いがある」(古林氏)
新天地の中国で挑戦したい
上海だけでなく、いくつかのPET装置建設プロジェクトを終えた古林氏は、中国に留まり、中国事業を展開することを思い立つ。「プロジェクトで非常にお世話になった中国に何らかのかたちで役立ちたい」、「日本で働いても先のキャリアは想像がつく。新天地の中国で挑戦したい」というのが当時の心境だ。プロジェクトの検収式典を訪れた伊藤淳二・会長に古林氏が直談判し、鐘紡の中国事業がスタートした。
85年、新設された中国室で古林氏がまず行ったのが、鐘紡の日本の工場で不要となったストッキング製造機械50台の"現物出資"による合弁会社設立である。
「日本で不要なものを中国で生かす。これが私の中国事業のやり方となった。鐘紡には中国に投資できる資金余裕はなく、その後も必然的にこのかたちになった」
中国初のストッキング会社となった上海華鐘ストッキング有限公司を87年に設立後、80年代から90年代にかけ、合弁、独資、合作会社を22社設けて行った。建設と運転資金は、古林氏が中国に進出している日系大手銀行に足を運び、借り入れた。鐘紡本社の繊維事業が縮小し、工場が閉鎖するのに反比例し、中国の繊維事業は大きくなっていった。
好調な時は年間で20億円近くを儲けた華鐘グループ22社は、現在も10数社が経営を続けている。
古林氏は75年に初訪中し、北京で開かれた日本工業技術展覧会でPET直接連続重合法をプレゼンテーションした。文化大革命の末期で、北京の街は夜になると漆黒の暗闇であった。
それから78年に再び中国へ。金山区で上海石化コンビナートのPETプラント建設の商談に参加した。この商談のために世界各国から20数社が集まった。
同年、鐘紡は上海石化総工場にてPET年産20万トン装置建設を200億円で契約。古林氏はこの契約から設計、建設、操業、引渡しまでを担当した。「突貫工事で、中国人、日本人とも睡眠時間を削って作業した」という。
このプロジェクトは中国で大きく注目され、当時の国家主席・李先念氏が視察に訪れている。同時進行した他のプロジェクトが2年遅れたのを尻目に、84年契約通りに引渡しを完了、国家金賞を受賞した。
「中国人スタッフは1元にも満たない残業代だったにもかかわらず、夜中までよく頑張った。このプロジェクトが私の中国ビジネスの原点となっている。当時の仕事仲間とは、いまでも付き合いがある」(古林氏)
新天地の中国で挑戦したい
上海だけでなく、いくつかのPET装置建設プロジェクトを終えた古林氏は、中国に留まり、中国事業を展開することを思い立つ。「プロジェクトで非常にお世話になった中国に何らかのかたちで役立ちたい」、「日本で働いても先のキャリアは想像がつく。新天地の中国で挑戦したい」というのが当時の心境だ。プロジェクトの検収式典を訪れた伊藤淳二・会長に古林氏が直談判し、鐘紡の中国事業がスタートした。
85年、新設された中国室で古林氏がまず行ったのが、鐘紡の日本の工場で不要となったストッキング製造機械50台の"現物出資"による合弁会社設立である。
「日本で不要なものを中国で生かす。これが私の中国事業のやり方となった。鐘紡には中国に投資できる資金余裕はなく、その後も必然的にこのかたちになった」
中国初のストッキング会社となった上海華鐘ストッキング有限公司を87年に設立後、80年代から90年代にかけ、合弁、独資、合作会社を22社設けて行った。建設と運転資金は、古林氏が中国に進出している日系大手銀行に足を運び、借り入れた。鐘紡本社の繊維事業が縮小し、工場が閉鎖するのに反比例し、中国の繊維事業は大きくなっていった。
好調な時は年間で20億円近くを儲けた華鐘グループ22社は、現在も10数社が経営を続けている。

華鐘コンサルタントグループは今年9月、全国4都市で「労働契約法の施行とその実務対応について」を開催、1250名が参加した。上海会場で講演する古林氏
日系初のコンサルタント会社設立
90年代初め、第一次投資ブームの頃、日系進出企業の関係者が相談のため、古林氏を頻繁に訪れるようになった。
「(相談に訪れたひとに)上海市政府の外資企業受け入れ部門を紹介した。ところが、相談件数が多くなり、外資工作委員会から『日系企業向けのコンサルティング会社を共同で設立しないか』と逆に相談を持ちかけられることになった」
こうして94年、上海華鐘コンサルタントサービス有限公司が発足。古林氏は副董事長総経理に就任する。
95年には、カネボウ企画担当補佐・国際副本部長、カネボウ合繊・カネボウ繊維社長補佐、華鐘グループ各社副董事長、董事などを兼務。「95年から05年までは、全力投球で中国事業に取り組んだ10年だった」と古林氏は語る。
華鐘コンサルが"ひとり立ち"
上海華鐘コンサルタントサービス有限公司の顧客は01年より急増した。05年前後からは、非製造業や販売会社の顧客の増加が顕著になっている。
「90年代に進出をお手伝いした企業は、いま大きく成長している。この10年を通じ、日系企業のお役に立てるコンサルタント会社になれたと思う」
カネボウは04年、経営悪化のため産業再生機構に支援を求め、グループ会社を手放すことになった。華鐘グループも例外ではなかった。古林氏は「ショックではあったが、上海華鐘コンサルタントサービス有限公司はすでに300社強の会員企業を抱えており、続けていくしかないという気持ちだった」と振り返る。
95年、古林氏は66%を出資し、三井物産、三井住友銀行らと日本に華鐘コンサルティングを設立、代表取締役社長に就任した。同時に、MBOによりカネボウが持つ上海華鐘コンサルタントサービス有限公司の出資権を購入した。
日系企業からの信頼と期待に答えたい
今年9月14日から19日にかけ、華鐘コンサルタントグループは北京、蘇州、上海、広州で、セミナー「労働契約法の施行とその実務対応について」を開催した。4都市合わせて1600余名の申し込みがあり、1250名が参加した。
18日の上海会場には、台風で大雨となったにもかかわらず、約800名が来場。1会場に収まりきらず、3会場でテレビ中継し、4会場同時開催となった。 1250名という参加者数は、中国全土の日系企業の、同グループへの信頼と期待の大きさを物語っていると言えよう。 古林氏は、「『お客様の役に立つ会社であれ』と口を酸っぱくして社員に話している」と打ち明ける。その社員教育への姿勢は非常に厳しい。
「時には怒鳴ることもある。仕事ができなければ、しっかりできるまでやらせる。それでも社員が辞めないのは、この会社にいて自分も一緒に成長できるという実感が持てるからではないか」
中国社会に貢献する仕事を続ける
優秀な日本人と中国人スタッフがおり、後継者も育ちつつある。「会社のことは余り心配していない」という古林氏。
最近は公職が増えている。「柄ではない」と謙遜するが、30年以上にわたる中国での実績は他に変えがたい。上海市で政府が外資系企業を組織する政府外郭団体・上海市外商投資企業協会で副会長を務めるほか、中国各地の人民政府、開発区より顧問を委嘱されている。
中国の役に立つ仕事がしたい――29年前の金山のプロジェクトから古林氏の思いは不変だ。 「ビジネスマンだから、仕事で損はしない。必ず利益を出しながら、中国に貢献していく。社会の役に立っているか常に検証しながら、今後も中国でビジネスを続けて行きたい」
90年代初め、第一次投資ブームの頃、日系進出企業の関係者が相談のため、古林氏を頻繁に訪れるようになった。
「(相談に訪れたひとに)上海市政府の外資企業受け入れ部門を紹介した。ところが、相談件数が多くなり、外資工作委員会から『日系企業向けのコンサルティング会社を共同で設立しないか』と逆に相談を持ちかけられることになった」
こうして94年、上海華鐘コンサルタントサービス有限公司が発足。古林氏は副董事長総経理に就任する。
95年には、カネボウ企画担当補佐・国際副本部長、カネボウ合繊・カネボウ繊維社長補佐、華鐘グループ各社副董事長、董事などを兼務。「95年から05年までは、全力投球で中国事業に取り組んだ10年だった」と古林氏は語る。
華鐘コンサルが"ひとり立ち"
上海華鐘コンサルタントサービス有限公司の顧客は01年より急増した。05年前後からは、非製造業や販売会社の顧客の増加が顕著になっている。
「90年代に進出をお手伝いした企業は、いま大きく成長している。この10年を通じ、日系企業のお役に立てるコンサルタント会社になれたと思う」
カネボウは04年、経営悪化のため産業再生機構に支援を求め、グループ会社を手放すことになった。華鐘グループも例外ではなかった。古林氏は「ショックではあったが、上海華鐘コンサルタントサービス有限公司はすでに300社強の会員企業を抱えており、続けていくしかないという気持ちだった」と振り返る。
95年、古林氏は66%を出資し、三井物産、三井住友銀行らと日本に華鐘コンサルティングを設立、代表取締役社長に就任した。同時に、MBOによりカネボウが持つ上海華鐘コンサルタントサービス有限公司の出資権を購入した。
日系企業からの信頼と期待に答えたい
今年9月14日から19日にかけ、華鐘コンサルタントグループは北京、蘇州、上海、広州で、セミナー「労働契約法の施行とその実務対応について」を開催した。4都市合わせて1600余名の申し込みがあり、1250名が参加した。
18日の上海会場には、台風で大雨となったにもかかわらず、約800名が来場。1会場に収まりきらず、3会場でテレビ中継し、4会場同時開催となった。 1250名という参加者数は、中国全土の日系企業の、同グループへの信頼と期待の大きさを物語っていると言えよう。 古林氏は、「『お客様の役に立つ会社であれ』と口を酸っぱくして社員に話している」と打ち明ける。その社員教育への姿勢は非常に厳しい。
「時には怒鳴ることもある。仕事ができなければ、しっかりできるまでやらせる。それでも社員が辞めないのは、この会社にいて自分も一緒に成長できるという実感が持てるからではないか」
中国社会に貢献する仕事を続ける
優秀な日本人と中国人スタッフがおり、後継者も育ちつつある。「会社のことは余り心配していない」という古林氏。
最近は公職が増えている。「柄ではない」と謙遜するが、30年以上にわたる中国での実績は他に変えがたい。上海市で政府が外資系企業を組織する政府外郭団体・上海市外商投資企業協会で副会長を務めるほか、中国各地の人民政府、開発区より顧問を委嘱されている。
中国の役に立つ仕事がしたい――29年前の金山のプロジェクトから古林氏の思いは不変だ。 「ビジネスマンだから、仕事で損はしない。必ず利益を出しながら、中国に貢献していく。社会の役に立っているか常に検証しながら、今後も中国でビジネスを続けて行きたい」
古林恒雄 氏(こばやし つねお)
プロフィール…1942年岡山生まれ。65年東京大学工学部卒業、鐘紡に入社。78年中国上海石油化工総工場のPET年産20万トン装置建設プロジェクトに参加。85年鐘紡中国室長に就任。94年上海華鐘コンサルタントサービス有限公司副董事長・総経理、05年華鐘コンサルティング代表取締役社長に就任、現在に至る。
プロフィール…1942年岡山生まれ。65年東京大学工学部卒業、鐘紡に入社。78年中国上海石油化工総工場のPET年産20万トン装置建設プロジェクトに参加。85年鐘紡中国室長に就任。94年上海華鐘コンサルタントサービス有限公司副董事長・総経理、05年華鐘コンサルティング代表取締役社長に就任、現在に至る。
ビジネス特集 07年11月号一覧
情報提供:
Whenever CHINA 07年11月号
Whenever CHINA 07年11月号2007/11/7 更新









