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日本ではできない貴重な経験が魅力

日本にはなかなかない様々な経験ができるのが中国の大きな魅力――。中国と係わりを持って10年以上という守口さんは、上海日本商工クラブで主に貧困児童の救済に向けた社会貢献事業と文化交流事業を担当している。日本では会えないような会社のトップや経営者に会え、「普段、知れないこと見えないことを体験でき、想像以上に面白く刺激的な仕事」と語る。
守口さんが初めて中国に来たのは、商社マンの父親の転勤に伴って北京入りした1990年のこと。人々は人民服を着、道には馬車が走る、改革開放が本格化する以前の中国だった。初めての海外生活だったが、新し物好きの性格もあり、とにかく当時はいい思い出ばかりだったという。
小学6年から中学までの4年間、北京に滞在し、北京日本人学校に通学した。海外経験の多い友人が多かったことから、「意見を持つこと、自己主張すること、行動することを学び、その中で揉まれた経験がその後の人生に大きく影響することになった」。
守口さんが初めて中国に来たのは、商社マンの父親の転勤に伴って北京入りした1990年のこと。人々は人民服を着、道には馬車が走る、改革開放が本格化する以前の中国だった。初めての海外生活だったが、新し物好きの性格もあり、とにかく当時はいい思い出ばかりだったという。
小学6年から中学までの4年間、北京に滞在し、北京日本人学校に通学した。海外経験の多い友人が多かったことから、「意見を持つこと、自己主張すること、行動することを学び、その中で揉まれた経験がその後の人生に大きく影響することになった」。
当時は日本に対する逆風も少なからずあったが、身近に接する中国人は温かく面倒見の良い人々ばかり。生活に不便なことも多々あったが、それを補って余るぐらい楽しい生活で中国にはいいイメージばかりが残ったと振り返る。
帰国後、高校、大学と進学。日本の快適な生活を満喫していたものの、何か違和感も覚えていたという。大学卒業後の01年、上海交通大学への留学を決心した。中国語をちゃんと学んでいないことが心残りで、刺激のある世界に出て視野を広げたい思いもあった。その後、上海で就職することも考えたが、サーズが発生したことで、やむなく帰国することに。日本で不動産関連の会社に就職、中国・桂林におけるホテル建築のプロジェクトを担当した。建築に関連する専門用語が多く、日本語のみならず中国語も読まなければならなかったのが最初のハードルだった。
同僚に夜遅くまで付き合ってもらったり、日・中・英の建築用語辞典を片手に参考書を勉強し、仕事上問題ない程度まで理解できるようになった。そしてプロジェクトに絡んで建築現場の桂林へ駐在員として赴任、三度中国へ。
ここではホテルの建設からオープンに向けての翻訳、通訳、さらにはスタッフや業務の各部門の管理も担当した。最初に苦労したのが地元、桂林語。職場では普通語が公用語だったが、スタッフはほぼ桂林人。値段交渉の相手業者と対等に交渉するためには桂林語は欠かせなかった。
常に地元の人に囲まれて過ごしたことが桂林語習得への近道だったという。「仕事を円滑に進めるためにも日頃からのスタッフとのコミュニケーションが大事と感じ、清掃のおばさんから工事のおじさん、レストランのシェフ達とも大の仲良しでした」。
帰国後、高校、大学と進学。日本の快適な生活を満喫していたものの、何か違和感も覚えていたという。大学卒業後の01年、上海交通大学への留学を決心した。中国語をちゃんと学んでいないことが心残りで、刺激のある世界に出て視野を広げたい思いもあった。その後、上海で就職することも考えたが、サーズが発生したことで、やむなく帰国することに。日本で不動産関連の会社に就職、中国・桂林におけるホテル建築のプロジェクトを担当した。建築に関連する専門用語が多く、日本語のみならず中国語も読まなければならなかったのが最初のハードルだった。
同僚に夜遅くまで付き合ってもらったり、日・中・英の建築用語辞典を片手に参考書を勉強し、仕事上問題ない程度まで理解できるようになった。そしてプロジェクトに絡んで建築現場の桂林へ駐在員として赴任、三度中国へ。
ここではホテルの建設からオープンに向けての翻訳、通訳、さらにはスタッフや業務の各部門の管理も担当した。最初に苦労したのが地元、桂林語。職場では普通語が公用語だったが、スタッフはほぼ桂林人。値段交渉の相手業者と対等に交渉するためには桂林語は欠かせなかった。
常に地元の人に囲まれて過ごしたことが桂林語習得への近道だったという。「仕事を円滑に進めるためにも日頃からのスタッフとのコミュニケーションが大事と感じ、清掃のおばさんから工事のおじさん、レストランのシェフ達とも大の仲良しでした」。
ホテルのソフトオープン後は、 24時間日本語対応、ホテル唯一の日本人女性スタッフということで、時間を問わずツアー客に対応。精神的、体力的に辛いこともあったが、作り上げてきたホテルで宿泊者の反応を直接感じ取れるのはこれ以上ない刺激だった。
ホテルが軌道に乗り始めるという大きな達成感を感じていた頃、タイミングよく商工クラブの話が来た。社会貢献事業はもちろん、日中国交35周年という節目に、日中様々な業種の企業に接するという仕事内容に大きな魅力を感じ、上海で働くことを決めた。
そんな守口さんの将来の目標は、これまでの経験から自然と興味を持ったというインテリアコーディネーター。桂林でのホテル建設の経験や上海で感じた居住環境の不便さも勉強へのやる気に繋がっている。目下、勉強中でどこを舞台に活躍することになるかは分からないが、「今はまだまだ上海で貴重な経験をしていきたい」と語る。
ホテルが軌道に乗り始めるという大きな達成感を感じていた頃、タイミングよく商工クラブの話が来た。社会貢献事業はもちろん、日中国交35周年という節目に、日中様々な業種の企業に接するという仕事内容に大きな魅力を感じ、上海で働くことを決めた。
そんな守口さんの将来の目標は、これまでの経験から自然と興味を持ったというインテリアコーディネーター。桂林でのホテル建設の経験や上海で感じた居住環境の不便さも勉強へのやる気に繋がっている。目下、勉強中でどこを舞台に活躍することになるかは分からないが、「今はまだまだ上海で貴重な経験をしていきたい」と語る。
情報提供:
BiZpresso Vol.29 9月18日発行
BiZpresso Vol.29 9月18日発行2007/10/23 更新
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